最近は身の回りにある不要なものを少しずつ処分しているのだが、その中にフィルム時代のボツ写真が大量にあったのでシュレッダーにかけていた。自分用のカメラを買い、本格的に撮影を始めたのが平成のアタマ頃でデジカメに切り替えたのが2007年頃だったので約20年分のボツ写真が大量にたまっていたことになる。
 その中に「廃校」の写真がかなり残っており、「そう言えば一時期ハマったなぁ…」としみじみ。90年代頃にたまたま見た廃墟の写真集にインスパイアされたのではないかと思うが、当時は「平成の大合併」に伴う統廃合で休校や廃校が一気に加速し、使われなくなった校舎をよく目にしたこともあったのかも知れない。



↑写真は残したもののメモなどに記録していなかったので何小学校だったのか思い出せない。木造校舎はリノベーションしてレクリエーション施設や工場に転用されるケースもあるが、老朽化すると解体されることが多い。写真の校舎も今はもう無いかも知れない。


↑上写真の校舎かどうか不明だが、木造校舎だと廊下はこんな感じ。窓はサッシではなく木枠。現役時代は子供たちが休憩時間にバタバタ走っていたことだろう。



↑廊下には校歌の歌詞が残っていた。歌詞に河戸小学校と記載されているので安佐北あたりの学校ではなかったか? 


↑これは職員室か? 手書きの日程表やチャイムのタイマーが残っていた。当時は「ゆとり教育」以前なので土曜日も昼まで授業がある。しかもここは土曜日も昼給食があったらしい。


↑ブランコでたそがれている奴はさておき、ここは三江線の浜原近くにあった分校だった気がする。グーグルマップやストビューでそれと思われる付近を検索してみたが、校舎らしいものは見当たらなかったので解体されたのだろう。

 廃校になった学校は前述のように再利用されることもあるが、体育館以外は解体されることが多い。自分が撮影した頃はちょうど平成の大合併で廃校が増えたものの保存の有無が判然としないまま残置され、本格的な解体が始まる前に撮影できた絶妙のタイミングだったのではないかと思う。場所によっては内部を見ることができたものもあり、自己責任ではあるが貴重な写真を残すこともできた。こうした場所ではいつも現役時代の様子に思いを馳せたりするのだが、今となっては誰の声を聞くこともないし姿も見えない。まさに栄枯盛衰、時の流れはとどまることを知らず…である。自分は卒業生ではないが、こうした光景を目にすると何とも言えない寂しさを禁じ得ない。


追補…最後の写真は浜原小学校信喜分校で1995年廃校。

追補2…河戸小学校は1993年河内町立河内西小学校と統合。1~2枚目写真は別の学校と思われる。