先月尾道鉄道の廃線跡をざっくりと訪ねて記事に掲載してみたが、その中でスイッチバック式だった諸原(もろはら)駅の位置関係などがイマイチ把握できなかったのでさらに資料などを調べ直し、昭和21年8月に発生した逆走、脱線事故のことも気になることがあったのでそちらと合わせて再び現地に行くことにした。(※逆走、脱線事故については「尾道鉄道の惨事」を参照)



↑大まかな諸原駅周辺のマップ。矢印は畑駅(尾道)方面から諸原駅経由で市駅(御調町)へ向かう場合を表している。緑色の線は国道184号線、グレーの蛇行している線が旧国道と尾鉄の路盤の一部になる。
  現在の国道184号線はループ橋で高度差をクリアしているが、これはスイッチバック式の出雲坂根駅と国道314号線のダブルループ橋(通称おろちループ)の関係に似ている。


↑畑駅跡を通過して諸原駅方面に下って行くと、国道は連続してトンネルを通過する(マップ1地点)。写真奥が畑トンネル、手前が諸原トンネルだが、これは尾鉄のそれぞれ旧7号、8号トンネルを拡幅して国道に転用したもの。旧国道は畑トンネルの手前に分岐がある。


↑諸原トンネルを抜けると国道はループ橋で右に大きくカーブしながら御調町(市駅)方面に下って行く(マップ2地点)。尾鉄の路盤はセリカがいる辺りの小道を左に曲がって駅に進入していたようだ。


↑マップ2地点の先はこんな感じ。道幅は尾鉄時代とさほど変わらないのではないかと思う。現在はこの先にある工場の私有地になっているようなので引き返して旧道経由で諸原駅跡へ向かう。



↑マップ3地点の分岐。右側の一段高くなっている畦道みたいなところがマップ2地点に繋がっていると思われる。舗装してある道路は市駅方面へと下る路盤を利用したようだ。


↑ちょっとアングルは違うが上写真の分岐地点。電車がいるレールが市駅方面。右側のレールはマップ2地点の畑駅方面へ至る。




↑現役時代の諸原駅と駅舎があったと思われる現在の様子(マップ3地点)。位置関係について確証はないが、古写真周囲の様子から現在1軒の民家が建っている敷地が駅舎のあった場所ではないかと思う。近所の人から話を聞ければ何か分かったのかもしれないが、残念ながら周囲は人の気配無し。
   諸原駅の古写真を見ていると軒にボンボリのようなものがいくつも下げられており、春になると周囲は桜の見所になっていたのかもしれない(現在も桜の樹が残っている)。


↑諸原駅から市駅方面に下って行くと路盤の下に水路兼通路のような暗渠?があった(マップ4地点)。コンクリートは老化が目立つが、両側の石積みはキッチリしている。本来の路盤は下っていたが、現在は一段高い国道に合流するためこの先(写真右方向)から登りになり、国道に吸収されていた。


↑旧国道には「おにぎり」184号線の標識が残っている(マップ5地点)。現在の国道は矢印のかなり高い場所に移っているが、尾鉄の路盤は現国道と旧国道の中間付近にある。マップを見ると旧国道は地形に沿うように蛇行しつつ下っていることが分かる。

  鉄道は廃線になると荒れ果ててやがては自然に還ってしまうことが多いが、石畦~市間は国道に転用されたので当時の遺構が無くなってしまうものの、当時の線形を辿ることができるメリットもある。この区間は廃止後路盤はそのままにされていたというが、現在の国道に改修、転用されたのは1986(昭和61)年頃だったそうである(現地で話を聞いた年配の男性は現国道のことを「バイパス」と呼んでいた)。
  廃線めぐりの楽しみは人それぞれだと思うが、自分の場合は残された遺構や文献を突き合わせ、当時の様子を「推理」することが醍醐味ではないかと考えている。また、先人たちのこうした努力に敬意をはらうことも忘れてはならない。


 (追補)
↑昭和21年8月に逆走、脱線事故を起こした「デキ1」型。扉付も存在するが、中田さんの事故証言で「電車の外にぶら下がっていた乗客は…」という記述があるのでこの扉無し(オープンデッキ)タイプだったと思われる。屋根上の棒が事故の原因になったトロリーポール。先端の滑車を架線に押し当てて集電するが、外れる恐れがある。


  (引用文献)

タイムスリップ・レール…オノテツ
尾道学研究会

鉄道廃線跡を歩く…3
宮脇俊三 編著・JTBキャンブックス

古写真撮影…細川延夫氏