秘境駅とは、何故このような場所に駅が?とか利用する人はいるのか?と言った存在そのものが疑問視されるものや、列車以外では到達不能(※列車ですら停まらない場合もあり)な駅のことである。自分の記憶ではこの秘境駅というジャンルが世間に知られるようになったのは牛山隆信氏の功績ではないかと思う(今から15年くらい前か?)。

 今回セリカの車検も無事終わり、シェイクダウンも兼ねて島根との県境付近に行ってみることにしたのだが、せっかくなので久しぶりに道後山駅へも行ってみることにした。




駅舎の入口はこんな感じ。当然無人駅で、本来駅事務所だったと思われる場所は消防団のポンプ車が格納されていた。アルミサッシの引き戸は後付けであろう(立て付けが悪いのかいやに重い)。




 待合い室は木のベンチがレトロ。ハロウィンのカボチャが置かれている台は切符売り場の窓口だったと思われ。現在は掲示板で塞がれており、様々なメッセージや写真が貼られているので管理している人やマニアがいるのだろう。奥の台は小荷物を扱っていたのだろうか?台上の青い板は以前入口に掲げられていた駅名看板(殆ど掠れて見えにくい)。なお、開業直後は「だうごやま」と表記されていたらしい。
駅事務所は車庫になっているが、駅員の休憩室(滞泊所?)はそのまま残してあるように見える。



 ゲージのような改札口には鋏を持った駅員さんが立っていたのだろう。右上のイラスト看板には「国鉄ご利用ありがとうございます」と書かれていた。因みにJRの表記はホームの看板以外に見なかったような気がする。





 ホームは2本の対面式だったが、反対側のホームは草ボウボウでレールも撤去されており、使われなくなってかなり時間が経っているのだろう。以前は左側の斜面にスキー場があり、管理棟兼民宿と思われる建物も残っていたが今は全く痕跡が見当たらなかったので解体されたらしい(リフトも備えたそこそこの規模のスキー場だった)。




 かつてはそれなりに賑わった「駅前」も人の気配すら無い。写真右奥には鉄道官舎があったそうだが、現在は学校の研修施設に建て替えられていた。しかし道後山駅開業を祝う石碑は残っており、碑文からは住民の悲願達成を喜ぶ様子がひしひしと伝わってくる。おそらく住民の嘆願など努力の末に道後山駅開業に漕ぎ着けたと思われるが、現在地元の住民はおろか乗降客すら皆無に等しい状況になっている。また、「道後山駅」と言っても登山口までは4km 以上離れているため登山口駅の役割を果たしておらず、1日3本(早朝・午後・夜)のダイヤでは言わずもがな、である。




駅の向かいにある空き家には「国鉄旅行連絡所」の看板がそのままになっており、以前は旅行代理店のようなことをしていたのかも知れない。つまりそれだけの需要(利用客)があったということなのだろう。



 その隣の建物は整骨院の看板が残っているがこちらも空き家。理髪店の看板も傍らに置かれていた。多くの人が駅を利用していた頃はこの辺りだけで生活をするに事足りるくらいの商店があったのではないかと推測される。しかし現在は数軒の民家が点在するのみで、話を聞こうにも人の気配が感じられなかった。道後山駅は残念ながら駅としての使命は終えているのではないかと思うが、こうした場所を訪れると「栄枯盛衰」とか「諸行無常」という言葉を想起せずにはいられない。駅の開業に尽力した方々はこの現実を草葉の陰からどのような思いで見ているだろうか。



「どうせ君は秘境なんだろ」←そっちかよ