オペレーション3日目は志津川を出発し、45号線を北上して気仙沼へ向かった。市場で海産物やホヤぼーやグッズを調達した後、鹿折の「やおりき」さんにお会いしようと思い電話をかけてみた。突然の電話にもかかわらず快く迎えて頂き、さっそくお住まいの災害公営住宅にお邪魔した。
数年前に整備された鹿折の町はあの津波や火災を想起させるものはなく、「ニュータウン」というイメージの町になっていた。
1年振りにお会いしたご主人と奥さんはお変わりないように見えたが、まずは昨年の西日本豪雨で支援物資を送って頂いたことにお礼を延べてお土産を手渡した。お二人は豪雨の惨状をニュースで知り、何か自分たちにできることはないかと奔走されたとのことだった。そこにはメディアが言う「絆」とか「がんばろう日本」みたいなものではなく、かつて自分たちが受けた支援を次の被災者に繋げようという極めてシンプルな思いがそうさせたように感じた。
会話の話題は自然と災害や町の復興などになるが、その中でご主人が「今はオリンピックやワールドカップなんかで盛り上がってっけど、ここにいるとそう言う話は別の世界のことでしかないんだナ…」と言われた。東京オリンピックは「復興」を謳い文句にしていたが、被災者でない自分ですら「都合のいい時だけ被災地をダシにするな!」と言いたくなる。また、「今の日本は枠組みから外れた弱者は顧みられることなく見捨てられるだろう」という意味のことを言われた。金融庁は先日「老後に備えて2000万円準備せよ」みたいなことを言ったが、これは戦時中軍部が南方に孤立した兵士たちに「自活せよ」と通達したことと何ら変わりないことを今の政府はしているとしか思えない。
さて、「やおりき」さんは震災前は八百屋を営まれていたが、震災で全てを失った。震災後は仮設商店街で日用品も扱うお店として再スタートした。自分は「復幸マルシェ」時代からのお付き合いで、広島から来た人ということもあって懇意にして頂いた。しかし復興マルシェの閉鎖に伴い多くの個人商店が自力移転や閉業を余儀なくされた。やおりきさんは当初かもめ通り商店街にお店を再建されるのではないかと塩田食堂のご主人から伺ったが、1年振りに訪れた鹿折には大型スーパーがオープンしており、残念ながら個人商店が再開してもやっていけないだろうと思った。そのせいかご主人も心なしか覇気がないように見えた。何度も言うが、こうした問題は今のメディアはまず報じない。しかし被災地の問題は今の日本が抱える問題の縮図であるという危機感が全く感じられない。むしろ目を背けているとしか思えない。
ご主人からは他に気仙沼の郷土史的な話や漁師の生業といった興味深いこともお聞きしたが、このことはあらためて書こうと思う。話は尽きなかったが、長居してはご迷惑だし大船渡まで行っておきたかったので8月の再会を約束して辞することにした。
数年前に整備された鹿折の町はあの津波や火災を想起させるものはなく、「ニュータウン」というイメージの町になっていた。
1年振りにお会いしたご主人と奥さんはお変わりないように見えたが、まずは昨年の西日本豪雨で支援物資を送って頂いたことにお礼を延べてお土産を手渡した。お二人は豪雨の惨状をニュースで知り、何か自分たちにできることはないかと奔走されたとのことだった。そこにはメディアが言う「絆」とか「がんばろう日本」みたいなものではなく、かつて自分たちが受けた支援を次の被災者に繋げようという極めてシンプルな思いがそうさせたように感じた。
会話の話題は自然と災害や町の復興などになるが、その中でご主人が「今はオリンピックやワールドカップなんかで盛り上がってっけど、ここにいるとそう言う話は別の世界のことでしかないんだナ…」と言われた。東京オリンピックは「復興」を謳い文句にしていたが、被災者でない自分ですら「都合のいい時だけ被災地をダシにするな!」と言いたくなる。また、「今の日本は枠組みから外れた弱者は顧みられることなく見捨てられるだろう」という意味のことを言われた。金融庁は先日「老後に備えて2000万円準備せよ」みたいなことを言ったが、これは戦時中軍部が南方に孤立した兵士たちに「自活せよ」と通達したことと何ら変わりないことを今の政府はしているとしか思えない。
さて、「やおりき」さんは震災前は八百屋を営まれていたが、震災で全てを失った。震災後は仮設商店街で日用品も扱うお店として再スタートした。自分は「復幸マルシェ」時代からのお付き合いで、広島から来た人ということもあって懇意にして頂いた。しかし復興マルシェの閉鎖に伴い多くの個人商店が自力移転や閉業を余儀なくされた。やおりきさんは当初かもめ通り商店街にお店を再建されるのではないかと塩田食堂のご主人から伺ったが、1年振りに訪れた鹿折には大型スーパーがオープンしており、残念ながら個人商店が再開してもやっていけないだろうと思った。そのせいかご主人も心なしか覇気がないように見えた。何度も言うが、こうした問題は今のメディアはまず報じない。しかし被災地の問題は今の日本が抱える問題の縮図であるという危機感が全く感じられない。むしろ目を背けているとしか思えない。
ご主人からは他に気仙沼の郷土史的な話や漁師の生業といった興味深いこともお聞きしたが、このことはあらためて書こうと思う。話は尽きなかったが、長居してはご迷惑だし大船渡まで行っておきたかったので8月の再会を約束して辞することにした。