朝8時過ぎに志津川の宿泊施設を出発、市街地方面に進む。途中志津川を見下ろす高台に車を停めてかつての街並みがあった方面を眺めてみた。町があった場所はかさ上げのため以前の面影は全く無く、防災対策庁舎の位置がかつての町の記憶をつなぎ止めているだけである。
この後気仙沼の市場で買い物をして自宅に発送する。近くにある「酒のサイシン」にも立ち寄って土産物とは別に「日常」なものも買ってみた。お店の人に聞いてみるとようやく市街地のかさ上げも終わり、これから区画や道路の整備にかかるとのこと。
市内を見て回り、お昼時には少し早かったが、鹿折の「塩田食堂」さんで昼食にすることにした。この時ご主人にダメもとで「やおりき」さんのことをお尋ねしたところ、やはりお店は現在閉業しているとのことだった。しかしご主人の御厚意でやおりきさんに連絡していただき、転居した災害公営住宅の住所を知ることができた。
早速自宅を訪ねたところ、ご主人と奥さんに久し振りの再会となった(1昨年の8月以来)。お二人とも変わらずお元気だったが、ご主人はやはり商売を辞めたせいか少し気が抜けたように見えたのは自分の考え過ぎだろうか…。
町の復興や他の商店の再開、今後起こるであろう巨大災害など色々な話を伺った。また、オリンピックやスポーツが被災地にプラスになるのか疑問に思っていることや、メディアはイイ話しか報じないことも指摘されていた。当の被災者を置き去りにした「中央」の都合のよい筋書きには多くのブロ友さんも異を唱えており、逆に風化を助長しているだけではないかと思う。話は尽きなかったが、大船渡方面にも行きたかったので名残惜しいがお宅を辞することにした。
大船渡では三陸鉄道グッズや震災関連書籍を調達し、滞在もそこそこに今日の宿泊地、陸前高田市まで引き返した。チェックインには早かったので箱根山にある気仙大工左官伝承館を再訪した。
そうこうしていたら時間になったので市内の民宿にチェックインした。この施設についてはあらためて紹介しようと思う。明日はいよいよ仙台に帰還である…。
(ノД`)ノシ…
この後気仙沼の市場で買い物をして自宅に発送する。近くにある「酒のサイシン」にも立ち寄って土産物とは別に「日常」なものも買ってみた。お店の人に聞いてみるとようやく市街地のかさ上げも終わり、これから区画や道路の整備にかかるとのこと。
市内を見て回り、お昼時には少し早かったが、鹿折の「塩田食堂」さんで昼食にすることにした。この時ご主人にダメもとで「やおりき」さんのことをお尋ねしたところ、やはりお店は現在閉業しているとのことだった。しかしご主人の御厚意でやおりきさんに連絡していただき、転居した災害公営住宅の住所を知ることができた。
早速自宅を訪ねたところ、ご主人と奥さんに久し振りの再会となった(1昨年の8月以来)。お二人とも変わらずお元気だったが、ご主人はやはり商売を辞めたせいか少し気が抜けたように見えたのは自分の考え過ぎだろうか…。
町の復興や他の商店の再開、今後起こるであろう巨大災害など色々な話を伺った。また、オリンピックやスポーツが被災地にプラスになるのか疑問に思っていることや、メディアはイイ話しか報じないことも指摘されていた。当の被災者を置き去りにした「中央」の都合のよい筋書きには多くのブロ友さんも異を唱えており、逆に風化を助長しているだけではないかと思う。話は尽きなかったが、大船渡方面にも行きたかったので名残惜しいがお宅を辞することにした。
大船渡では三陸鉄道グッズや震災関連書籍を調達し、滞在もそこそこに今日の宿泊地、陸前高田市まで引き返した。チェックインには早かったので箱根山にある気仙大工左官伝承館を再訪した。
そうこうしていたら時間になったので市内の民宿にチェックインした。この施設についてはあらためて紹介しようと思う。明日はいよいよ仙台に帰還である…。
(ノД`)ノシ…