震災から6年以上経ち、現地を訪れても当時の惨状を留めている地域は殆ど見かけなくなった。曲がりなりにも復興が進んでいる以上、福島などを除いて町が手つかずのままということはないので当時の記憶が薄れていくのはやむを得ないことではある。
 震災直後を思い返すためにこれまで撮影してきた写真を見直してみると、破壊された消防車がかなり写っていることに気付いた。色が目立つこともあるが、この震災で消防団の犠牲が突出していることも関係していると思う。



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↑陸前高田市消防団のポンプ車



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↑高田市消防署の指揮連絡車? これらは同消防署の近くに集められていた。



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↑大槌町の車輌集積所に置かれたポンプ車? キャビン部分が激しく損傷している。



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↑山元町消防団の車輌。車内で犠牲になった団員が発見されたものもあったという。



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↑北上町十三浜で見かけたポンプ車




※この震災で犠牲になった消防団員は過去に例がない甚大なものであった。こうした車輌を目にすると、自らの命と引き換えに職務を全うしようとした団員のことを思わずにはいられなかった(初めから死ぬつもりで任務に当たったのではないと思うが)。自分には合掌してご冥福をお祈りするしかできなかったが、震災直後は犠牲になった消防団を美談として報道するメディアが多く、これには如何なものかと思った。消防団は究極のボランティアと言われるが、リスクに対してあまりにセーフティネットが軽んじられていることが指摘され、震災後大幅な見直しが図られた。廃車になったこれらの車輌が何か訴えているように見えるのは自分の入れ込み過ぎかも知れないが、何故ここまで犠牲者を出さなければならなかったのかを感じてもらえれば、と思う。