これは2013年5月の話だが、気仙沼でお話しを聞いた印象深い人のことを書いておこうと思う。


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あの日、気仙沼の復興商店街などを回り、所々空き地になった南町辺りを歩いていると「津波資料館みたいなスペース お気軽にご覧下さい」みたいな看板が目についた。そこで津波の被害も生々しい階段を上がって行くと、二階のパブみたいな店舗に被災地のパネルなどが展示してあった。オーナーと思われる男性がいたので、自分は広島から来たことを話すと江田島市が大島汽船にフェリーを無償貸与したことを覚えてくれていて、感謝の言葉を述べられた。
震災当時この辺りはどうだったのか尋ねた所、二階の窓にヘドロの痕が残っていた(店舗前にあった自宅は全壊)。このオーナーの方は直接名前を伺った訳ではないのだが、以前新聞で見た伊藤雄一郎さんではないかと後で思った。伊藤さんは震災直後に瓦礫の中から大漁旗や個人の思い出の品などを回収してきれいに保存していたことが記事に書かれていた(実際かなりの数の大漁旗が店舗下に畳んで置かれていた)。

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自宅跡地にはビン玉や午後2:46で止まった時計などで作られたモニュメント「グランド・ゼロ」(↑上写真)が設置されていたが、これも彼の作品らしい(現在は区画整理のため撤去)。
伊藤さんは震災で甚大な被害を被った気仙沼を活気ある町にしたい、と奮闘されていたが、地元商工会などの賛同を得られない、とこぼしていた(どちらかというと変わり者扱いされて孤立しているような印象だった)。

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震災遺構の保存について、当時まだ撤去されていなかった「第18共徳丸」も話題に及んだ。「自分としては震災遺構は残して欲しいが、他所者の自分にはどうこう言える立場にない」というと「いや、むしろ他所者の人こそどんどん意見を言うべきで、そうしないと閉鎖的な空気は変わらない」という意味のことを言われた。

伊藤さんとは1時間近く話し込んでしまったが、この時I Cレコーダーできちんと記録しておけば良かったと思うくらい濃い話を聞くことができた。
なお、伊藤さんは共徳丸が解体される前に船全体を大漁旗で覆うという企画を実行されたのでニュースで見た人がいるかもしれない。気仙沼に行ったらまたお会いしたいところだが、現在本人は多忙らしいので難しいかもしれないなぁ…。