これは2013年5月の話だが、気仙沼でお話しを聞いた印象深い人のことを書いておこうと思う。
震災当時この辺りはどうだったのか尋ねた所、二階の窓にヘドロの痕が残っていた(店舗前にあった自宅は全壊)。このオーナーの方は直接名前を伺った訳ではないのだが、以前新聞で見た伊藤雄一郎さんではないかと後で思った。伊藤さんは震災直後に瓦礫の中から大漁旗や個人の思い出の品などを回収してきれいに保存していたことが記事に書かれていた(実際かなりの数の大漁旗が店舗下に畳んで置かれていた)。
伊藤さんは震災で甚大な被害を被った気仙沼を活気ある町にしたい、と奮闘されていたが、地元商工会などの賛同を得られない、とこぼしていた(どちらかというと変わり者扱いされて孤立しているような印象だった)。
伊藤さんとは1時間近く話し込んでしまったが、この時I Cレコーダーできちんと記録しておけば良かったと思うくらい濃い話を聞くことができた。
なお、伊藤さんは共徳丸が解体される前に船全体を大漁旗で覆うという企画を実行されたのでニュースで見た人がいるかもしれない。気仙沼に行ったらまたお会いしたいところだが、現在本人は多忙らしいので難しいかもしれないなぁ…。
震災当時この辺りはどうだったのか尋ねた所、二階の窓にヘドロの痕が残っていた(店舗前にあった自宅は全壊)。このオーナーの方は直接名前を伺った訳ではないのだが、以前新聞で見た伊藤雄一郎さんではないかと後で思った。伊藤さんは震災直後に瓦礫の中から大漁旗や個人の思い出の品などを回収してきれいに保存していたことが記事に書かれていた(実際かなりの数の大漁旗が店舗下に畳んで置かれていた)。
伊藤さんは震災で甚大な被害を被った気仙沼を活気ある町にしたい、と奮闘されていたが、地元商工会などの賛同を得られない、とこぼしていた(どちらかというと変わり者扱いされて孤立しているような印象だった)。
伊藤さんとは1時間近く話し込んでしまったが、この時I Cレコーダーできちんと記録しておけば良かったと思うくらい濃い話を聞くことができた。
なお、伊藤さんは共徳丸が解体される前に船全体を大漁旗で覆うという企画を実行されたのでニュースで見た人がいるかもしれない。気仙沼に行ったらまたお会いしたいところだが、現在本人は多忙らしいので難しいかもしれないなぁ…。