事の発端は今年11月7日に大川地区復興協議会で配布された「河北地域 釜谷地区鎮魂の森計画図(案1~3)」を見た地元住民A氏の告発だった。
案1では敷地に芝生や桜の植樹、慰霊碑の建立を行う。校舎は全て解体し、跡地に特殊タイルを敷き詰め、ここにスマホやタブレット端末をかざすと震災前の大川小学校を見ることができる。
案2は案1とほぼ同じだが校舎の一部は保存する。
案3では校舎を全て保存する、というもの。
この計画は遺族の相談なしに行われており、たまたまこの計画を知った遺族の紫桃隆洋さんが第3案を付け加えさせたという。
遺族を協議会に出席させず、校舎の解体を前提にした計画は「証拠隠滅」と取られてもおかしくない。
計画は石巻市の下部組織、河北総合支所が行っているとして「市は把握していない」とコメントしている。一方河北総合支所の相澤清也主幹も取材に対して「まだアイデアの段階。予算云々も何もしていない」と答えている。
しかし、「鎮魂の森」事業が決まれば復興予算が市に入るし「証拠」も消せる一石二鳥、と地元メディア関係者は推測する。
※この計画は河北総合支所の事業で、大川小学校の解体・保存に関して市は把握していないので分からないと石巻市はコメントしているが、「河北」総合支所にどれだけ地元の人が職員として勤務しているのか自分は疑問に思う。また、記事が指摘するように遺族を「外して」計画を既成事実化しようとするやり方は先の「検証委員会」と同じパターンのような気がする。
名取市の閖上公民館で起きた惨事をご存知の方もいると思うが、この公民館も震災からかなり早い段階で「いつの間にか」解体されており、遺族や検証に取り組んでいた市議らから「証拠隠滅ではないか」と指摘されている。大川小学校の惨事は石巻市や教育委員会等にとって早く消してしまいたい出来事であり、復興事業に名を借りた「証拠隠滅」を目論んでいると思うのは自分の偏見だろうか…?