先日で震災から1000日、昨日は同じく2年9ヶ月であり、各地で集中捜索や追悼が行われた。震災直後からの「自分にできることを模索し、実際に被災地を訪れて現実を見聞きすべき」だというスタンスは今も変わらない。

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何度も現地を見ているとあれだけあった膨大な瓦礫は姿を消し、焼却プラントもその役目を終えて閉鎖されつつある。当初数十年かかると言われた瓦礫処理も予想外のスピードで目処がついたことは復興が進んだと言える(※福島はこの限りではない)。
しかし焼却プラントの閉鎖は作業員の解雇に繋がるし、原発事故の処理、高台移転や新たな町づくり、農漁業、地元産業の再生など問題は山積みにもかかわらず劇的な進展が感じられない。
政府は「何故今このようなことを?」ということばかり急ぐのか全く理解できない。鶴姫さんは自民党のことを「奇民党」と書いているが、自分は「棄民党:国民を見捨てる党」と呼びたい。
これまで何度も引用してきたが、こうした現状に明治大学の福田逸教授は「(この震災を)自分たちの痛みとして受け止めることができないならば、この国の再建は有り得ない。個人主義とすら呼べないような、自分さえよければそれでいいという考えが行き過ぎと思えるところまで来ている」と警告している。
震災直後海外のメディアは日本人の「共助」の素晴らしさを絶賛したが、実は「相手の立場になって考える」という初歩的なことすら顧みなくなっていることを最近痛感する…。

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↑村岡ユウ画:「葬送」より