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大船渡市綾里出身のノンフィクション作家、山下文男氏は昭和8年の三陸大津波を経験している(当時小学4年生)。山下氏は同じく綾里で昭和8年に大津波を経験した古老の泉勇さんから話を聞いている。
「津波だ!」の叫び声を聞いた泉さんが逃げようとしている時、
「ウチの婆さん(※泉さんの奥さん)が引き出しを開けて通帳などを持ち出そうとしたので、私は叱り飛ばして子どもを背負い、家族を点呼しながら逃げた。助かった人と死んだ人の違いは紙一重の時間差だと思う」と話している。この時、末崎村船河原(※現在の大船渡市)では高台に避難しながら自宅にお金を取りに戻った娘たちが津波に呑まれている。

山下氏は三陸大津波史を振り返った時、
・互いに助け合おうとしての共倒れ
・津波のスピードと引き波の威力を軽視した逃げ遅れ
・高台に避難しながら物欲に駆られて引き返し、津波に呑まれる
などといった悲劇が繰り返されており、この震災でも同じことが起きてしまった、と指摘している。昭和8年の大津波では明治29年の大津波を経験した人が多く、このことが素早い避難につながったのではないかと言われている。
山下氏の父親もその1人で(※山下氏の父親は明治の大津波で家族らを亡くしている)、昭和の大津波の時は子どもたちを省みず真っ先に避難している。後日妻(山下氏の母親)から「子どもたちを放って自分だけ逃げた」と事ある毎に話のタネにされたが本人は悪びれる様子も無く「なあに、(津波の時は)てんでんこだ」と話していたそうである。山下氏は講演などでよくこの「津波てんでんこ」を引き合いに出したため、メディアを通じて広まったのではないか、と話している。

我々は惨事が起きる度に「この教訓を生かして同じ過ちを繰り返さないよう…」というが、残念ながら「悲劇は繰り返される」と言わざるを得ない。この震災のような惨事を繰り返すことだけは絶対にあってはならない。さもなければ犠牲になった2万人余りの霊が黙ってはいまい。

※掲載写真は惨状を報じる昭和8年3月4日付の大阪毎日新聞