口和郷土資料館を見学し、帰宅してから頂いたパンフレットを眺めたり資料館のことを調べているとやはりここはだだの場所ではないことを知った。館長の安部博良さんは同町出身、あのソニーで映像機器のエンジニアとして技術を磨き、アジアや中東などで映像機器のメンテナンスや技術指導、テレビ放送のノウハウを伝授して回ったという国際人だった。展示品にソニー社製品が多いのはそうしたことが関係しているのかも知れない。展示品の中にあった世界初のポータブルトランジスタテレビが稼働状態になっているのは安部さんの技量の成せる技なのだろう(ソニー本社にも本機が現存しているが使用できる状態にはないらしい)。



 そして副館長の才田孝さんの経歴も調べてみるとやはりただ者ではなかった。才田さんは日立製作所で自社家電製品の保守、管理やカスタマーサービスを担当し、シンガポールや英国など海外で23年間技術指導を行ったところは安部さんと通じるものがある。定年後実家の君田町にUターンし、同資料館を訪れて真空管アンプの相談などをしていたところその技術や人柄に目をつけた安部さんにスカウトされたという。現在は学芸員の資格も取得し、収蔵品の管理やデータベース化も手掛けている。

 実際に自分が同資料館を見学した際、安部さんと奥様、才田さんにお会いして話を伺っていると実直な人柄が感じられ、展示品のラインナップも鑑みて「ここならウチに死蔵している電気製品やカメラなどを活用してもらえるのではないか」と思うようになった。
 本来なら事前に寄贈の有無を問い合わせてから行くべきなのかも知れないが、ダメならまた持ち帰ればいいかと思い再び郷土資料館を訪れることにした。日を改めて再びお邪魔すると奥様のミヨコさんがいらしたので寄贈品があることをお伝えすると早速安部さんと才田さんが対応にやって来た。安部さんは自分が持ち込んだ機器を見て「これ全て寄贈して頂けるんですか?」と言われ、結局オープンリールのテープレコーダーやフィルム式カメラ、ソニーのビデオカメラなど全て当館で引き取って頂けることになった。一時は処分するしかないと思われたこれらも収まる所に収まったか、と長年の懸念が解決して安堵した。これらが展示されるかどうかはともかく、部品取りの「ドナー」としても活用してもらえればこちらも持ち込んだ意味があったと思う(安部さんによるとオープンリールのテープレコーダーは程度も良く、きちんと作動したとのこと)。
 この後オーディオルーム?でお二人と歓談したのだが、技術的な苦労話や昭和の暮らし、フォーマットの移り変わりなど貴重なお話を聞くことができた。振り返って見ると自分たちの世代は様々なフォーマットが目まぐるしく出ては消えて行った時代を体験したのだと再認識させられた。
 楽しいひとときを過ごし、お暇する際皆さんにお見送りして頂いたのだが、自分のセリカにも興味津々で安部さんはスマホで写真を撮影されていた(もちろん自分は大歓迎)。エンジニアの人はやはりオールドカーにも目が行ってしまうのかも知れない(安部さん自身はスバル360通称テントウムシを所有されていたらしい)。



↑後で分かったのだが、廊下に置かれていたアーク式35ミリ映写機は大林監督の遺作「海辺の映画館~キネマの玉手箱~」で使われたものだそうである。アーク式とは電気溶接のように強烈な光を出す方式で、電球では出せない照度が必要な時の光源として利用された(炭素棒が必要となる)。

 〈終わり〉