ママはメンヘラ。/ 星宮らら

ママはメンヘラ。/ 星宮らら

当blogは、精神障害者で難治性の睡眠リズム障害を抱えるシングルマザーララと同じ障害を抱える娘ちゃんのお話です☆

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3週間ほど前に昔の職場に遊びに行って来て、元上司の女性とご飯に行ってきた。PTAの仲間だと言う男性2人を交え、4人で近くの呑み屋で話をした。



まだ若いし小綺麗にしてるのだから再婚しないのか?と言う話になった。



私は、ウチに居るのは娘だから再婚は全く考えていないと答えた。男性を入れて何か遭ったら嫌だし、こわいからだと答えた。



男性陣2人は自分達男はそんなこわい生き物ではないと所在なさげに答えた。そして、そんな男はよっぽどのハズレでそんなハズレを引く確率は1割にも満たないと力説を始めた。



じゃあ1割にも満たないとみんなが思っている事態に二重に遭って来た私はどんなけハズレな人生なんだろうかと急に自分が虚しい存在に思えた。結構幸せだと思えていたはずなのに、何かが崩れて落ちていく気がした。











私の産まれた家庭は、父親が父親ではなかった。父は男としてしか生きられない不器用な人で、母の事を心の底から想い、愛しているが父親らしいことなど何一つできない人だった。



だから、兄が私の保護者代理のような存在でいつも私の事を守り大事にしてくれていた。



兄は私より5歳年上で、いつもおふざけをしては私をからかい、笑わし・困っていたら助けてくれて・悩んでいれば真剣に相談にのってくれる、楽しくて頼りになる人だった。



私達は非常に仲が良かった。誰と居るよりも兄と一緒に居るのがすきだった。私は兄によく懐きよく慕い、兄はそんな私をよく可愛がってくれていた。



ただ、仲が良すぎたのが歪んでいく原因となってしまったのだろうと思う。



私が小5の時、母が私と兄の部屋を別々にする為に引っ越すと言い出した。



8歳年上の姉は


「自分だって部屋を持てたのは高校受験の勉強が始まってから。弟だって中学生になっても相部屋で我慢してるのに、また妹だけ特別扱いなの?!」


と母にくってかかっていた。


「近親相姦がおきてからじゃ遅いからだよ!!!!」


と母は姉に怒っていた。



その時の私はまだ気付いてはいなかった。兄の心の中で私の存在が『可愛い妹』から『可愛い女の子』に歪んでしまったこと。



私達は別々の部屋を持ち、それぞれの世界ができた。その後もずっと仲は良く、よく兄の部屋でお喋りをして過ごしていた。



自分の気持ちがいつから歪んだのかは全く分からない。いつの頃からなのか、私の中で兄は『私を守ってくれるナイト』から『私を守ってくれる男の子』へと歪んでいた。



私の兄への気持ちにはずっとモヤがかかっている様な感覚だった。



兄ちゃんのことが『すき』で、私達は兄妹で、仲良しで、だから『すき』なのは普通で、ずっと一緒に居たくて、もし兄ちゃんが兄じゃなくて違ってたら『すき』だから恋人になれるのに。でもそんな風に考えるのはやっぱり変だし私はブラコンなのかな?兄ちゃんみたいな恋人に出逢えたら良いな。




そんな事を思っていた。




いけない事だと分かっているから、きっと自分でモヤをかけて見えなくしたんだろうと思う。




私にとっては、兄をすきな気持ちはとても自然なことで、誰よりも私の事を分かっていて私が何者でもどんなでも絶対に嫌われたりしなくて、だからこそ心から安心で、心が落ち着く相手で、兄が私を何もりも大事に思ってくれている事も知っていた。だから、兄の彼女にも焼きもちを妬いたりはしなかった。



もしも、母が気付いて私達を引き離さなかったら、もしも、兄が私を求めてしまったら、私はきっと応じてしまっていたんだろうと思う。私にとっては兄と強く結びつくことは嬉しいことで、とても自然なことだったからだ。



だから、もしかしたら、例え一生籍を入れることなど出来いと分かっていても一生、兄を愛し一緒に居る未来を選ぼうとしたかもしれなかった。




私は母に感謝している。あの頃、母は父の兄への虐待が起こっていた時期の直後で、母は離婚問題で揉めていた頃だったと思う。母が気付いてくれたから兄妹のままでいられた。お互い、自分達の別々の幸せを歩んでいけてるのだから。



けど、私達は独身時代いっぱい精神的な恋人になってしまっていたのは変えられなかった。




一緒にショッピングに行き恋人と間違えられては「嬉しいね」とハニカミ合って微笑み合い、私が恐い目に合って1人で帰れないと言えば兄が迎えに来て、体調不良で動けないと言えば助けに来てくれた。



兄は私のことを男の目で見ている奴が居るたび私をさり気なく連れ去る。私はその時の兄の視線を女の本能的感覚で凄く恐いと感じ、身体に電流が走る様な感覚の中、凄く恐いのに凄く嬉しいと感じていた。



私の結婚式の時に同じ事態が起こった時、相手の男性陣が凍りついた笑顔で本当に血の繋がった本物の兄妹なのかと聞いてきた。誰から見ても兄の私を見る視線は男で、私に近寄る男を見る視線は男が男を敵視する視線なのだと悟った。




兄が離婚から9年も経過していても私の離婚を許せないのは当然だ。



私は兄の言う通り、兄の反対を押し切って勝手に結婚したのだ。兄は手離したくないのを堪え、私の幸せを思って身を引いたのだから。



私は兄の言う通り、兄の反対を押し切って勝手に離婚したのだ。兄が決死の思いで送り出した気持ちを踏みにじったのだから。



だけど、私は今更、兄の愛人になんてなれない。私は私の人生を歩むんだって決めているんだから。だから、一生気付かないフリをして生きていく。






父とは私が中学生に入った頃から今でも寄れば触れば険悪になる。父は私のことを否定しなじり続ける。



独身時代いっぱい、その理由は分からないまま過ごしていた。だが、結果的に言えば私と母が身長も顔も大まかな性格もよく似ているからだった。



父の中に私という娘は居なくなっていた。父の隣りには長年連れ添ってくれていて苦楽を共にしてきてくれている愛する妻が居て、父の前には父が恋焦がれた若かりし愛しの彼女の幻影が居る。



父は女を支配したがるタイプの男性だった。冷酷で傲慢で偉そうで平気で人を貶める酷い男。だから私は常に批判に晒され、なじられ、支配下においこうとされ続けて来た。



父がしている事は精神的なレイプだ。



妻に対してすればモラハラDV。娘に対してすればモラハラ虐待。



私は母を貶める様な男は娘として許せないし、私を貶める様な男は女としても許せない。



一方で私は父の事を気の毒な人だとも思っている。1人の女性を強く強く愛する余り、その女性と自分との子供ですら愛する事が出来ず、自分と愛する女性との娘に歪んだ愛情を向けてしまっているのだから。



1人の男に愛する女は2人も要らない。私はあくまで愛する女の幻影に過ぎないのだから、私は父の待つ家には帰らない。



父の最後を看取るのも、本物の愛する女だけでいい。私は行かない。私は父がこの世を去る時、父の呪縛を断ち切れる時が来る。その後はもう二度と会わない。会いに行かない。




私は母の気持ちを考えたら後に引く事など絶対に絶対に出来ない。



だから、一生、父の気持ちに対しては無視して生きていく。拒否し続けていく。











私はあの家の中で一番愛されているのはきっと私なんだろうと思う。



だけど、それが私の為に何になったんだろう?って思う。最初は純粋だったはずの愛情が歪み、歪んだ愛情が私を歪ませ、私の人生全部を歪ませてしまっただけで。不幸と言うよりも、損した気分になる事がある。つまんない気持ちではある。



結局、母が私を守る術があったとしたら国の世話になり、国のお荷物となってもそれを受け入れ父と離婚をし、私達子どもから文句轟々となってでも多家族向けの国の住宅に住む事を受け入れ、自分のプライドを全て投げ捨ててでも本当に守りたいものだけを選ぶことだっただろうと思う。




だから私は人から見ればどれだけ惨めであろうとも自分が守りたいものだけを見て選び、それ以外は投げ捨てて生きてきている。自分が掴みたいと思うものだけに手を伸ばし、多くのものを望まない。そんなに沢山のものは要らないし、欲いとも思わない。




ただ、私はそんな損な人生、娘に送らせたいとは思えないし、可能性は潰したい。石橋を叩いてでも、娘には出来うる限り楽な人生をプレゼント出来たらって思う。出来うる限り沢山のものに手を伸ばして沢山のキラキラしたものを掴んで宝物を沢山持って生きて行って欲しいと願っている。



だから、やっぱり娘が巣立つまで再婚はしたくない。



私だってこんな複雑で絡まりあってて、面倒で疲れる人生ほんとなら欲しくなかった。



ずっと気分が上がらない。考える事すら疲れる。人生って疲れる。