おはようございます。
チャーリーです。
きな臭いニュースが流れていますね。
いつの時代も争いは絶えませんが、賢く生きる上でも先輩の経験を参考に、事物を透徹した眼差しで判断して行きたいと思います。
遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもつてきたんだ。
君達のせゐぢゃない。僕のせゐでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。
寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあつて、旗のなびく方へ、
母や妻をすててまで出発したのだ。
飾り職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、
風にそよぐ民くさになつて。
僕、僕がいま、ほんたうに寂しがってゐる寂しさは、
この零落の方向とは反対に、ひとりふみとどまった、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といっしょに歩いてゐるたつた一人の意欲も僕のまはりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。
(『寂しさの歌』 金子光晴 より抜粋)
明日は今日よりも心がふれあうように。