AI故人
AI故人とは、
亡くなった人の
写真や映像、音声データなどを
AIに学習させて、
故人をデジタル上で再現する技術のこと。
既にAI故人との対話型サービスも
現在存在します。
まるで、まだ本人が生きているかの如く
動画なども生成できる
AI技術の進歩はすごいですね!
但し、
僕が”個人的に”このサービスを使いたいか?
と聞かれれば、はっきりNOです。
(企業が亡き創業者のメッセージを
伝えるのに使うのは面白いとは思うが)
僕が使いたくないその理由は・・・
いつでも、いつまでも、
故人を簡単に”デジタル再現”することは
言葉を変えれば、
過去にいつまでも”執着”する
ことを意味するからです。
執着とは、
人間の苦悩の真なる根源でしたよね。
執着することで、いつまでも
現実を直視して乗り越えることを
先延ばしにすることとなります。
執着がある限り、
そこには苦悩も共存することになります。
少しうがった見方をすれば
人間の執着や依存性という弱さ
という足下をみた
”麻薬のようなサービス”とも考えることができます。
きちんと現実を直視し
執着を捨て去ることで
乗り越えた後
本当の”人間的”成長があり
芯の強さを得ることができます。
僕自身も、過去
人生で一番大切なものを
突然失った時、死を考えたのですが
現実と正面から向き合い、
自分自身と対話し
執着を捨てたことで
人生最大の困難を乗り越えて今があります。
安易な方向に走ると、人間は
依存に陥ってしまいます。薬と同じですね。
故人を、AIを使って
あえてデジタル化で再現・視覚化せず
自分の心の中に留め置いておく
ことで十分かと思うしだいです。
人間の心というものは、
想像し・イメージを抱き・思念を持つことで
”生きた人間の心”となるのであって
その重要な部分を放棄して
AIに任せるというのは
人間の脳機能である思考自体を放棄し
みずから考えないバカになる選択をする
ようなものです。
自分の頭で考え脳みそを活用していれば
安易な方向には飛びつかないものです。
AIは僕も使っていますが
その使いどころと距離感を
くれぐれも間違えないようにしないと
本来使う側である人間自体が
骨抜きにされてしまう。
AIの奴隷になりたいと自ら望むなら
しょうがないが・・・