高木兼寛(たかぎかねひろ) | 【らくーん別邸】50歳から体調も運気もグイグイ回復

高木兼寛(たかぎかねひろ)

 

慈恵医大の患者さんと脚気の話題になった 

 

脚気(かっけ)と言えば、

100年ちょっと前は、

年間1万~3万人も亡くなる

非常に恐れられた国民病であった。

 

現に、脚気で

日清戦争では4千人の陸軍兵士が亡くなり、

日露戦争では2万7千人の陸軍兵士が亡くなった。

戦争による死傷よりも多かった。

 

陸軍軍医だった森林太郎(森鴎外)は

脚気は細菌が原因であるとの細菌説に

こだわった。

 

一方、海軍軍医であった高木兼寛は、

脚気の原因ビタミンB1不足であることを

見抜いて兵食に麦飯やカレーを取り入れて

海軍の脚気を激減させた。

 

海軍は、日清戦争で脚気による死亡は0、

日露戦争では3人。

後に「ビタミンの父」と言われる。

高木兼寛は、今の慈恵医大の創設者。

 

病気の原因の絞り方は、

決して1つの診方にこだわってはいけない。

 

 

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