モイ!フィンランド整体らくしんかん・ナガミです。

 

 

前回に続いてフィンランドの歴史です。

今回は②第2次世界大戦から現代まで(※)です。

 

 

前回①”独立から戦争まで”は

こちらからどうぞ!

 

 

 

 

 

(フィンランド東部カレリア地方は主戦場になった)

 

 

第2次世界大戦に

フィンランドはソ連と2回戦争しています。

1回目は”冬戦争”、2回目は”継続戦争”と

呼ばれています。

 

 

いま日本での報道では

「フィンランドはソ連と戦争して負けている」

と簡単にかたづけられていますが

 

 

こんなふうに簡単に片づけられては

「自由と独立」のために闘い抜いた

フィンランドの人々に大変失礼だと思い、

少しこの戦争について触れていきます。

 

冬戦争-雪中の奇跡・フィンランドの抵抗

 

まず、1939年の冬戦争・開始時の

ソ連とフィンランドとの戦力比較をします。

 

 

《ソ連》

・総人口 1億7千万人

・フィンランド戦線への兵力 45万人

・大砲1,900門。戦車2,400両。航空機670機以上

 

 

《フィンランド》

・総人口 370万人

・兵力 19万人

・大砲120門。軽戦車20両。航空機160機。

 

 

誰がどう見ても、ソ連軍が圧倒的に有利ですね。

1週間でフィンランドは全面降伏すると見込んで

冬なのにソ連軍も軽装で攻めたんですね。

 

 

実際には

フィンランド軍は善戦をし

ソ連軍は大苦戦。

 

 

それには

・ソ連スターリンの恐怖政治で有能な人材が粛清され

 兵の熟練度が低いうえに、軍の指揮系統がとれなかった。

 

・森と湖のフィンランドは、泥地や丘陵の多く

 戦車での戦い不向きであった。さらにフィンランド軍が

 得意とするゲリラ戦も功を奏したこと。

 

・冬場の猛烈な寒波が、軽装のソ連軍を襲い

 凍死者が多く出て、戦力が大きくそがれたこと。

 

余談ですが、いまのロシアのウクライナ侵攻にも

少し共通している部分があるかと思います。

 

 

そういったソ連側の落ち度だけでなく、

フィンランド軍のがんばりで、何とか防衛線を

持ちこたえるコトができたのです。

 

 

いっぽうフィンランドで

超人的な活躍するヒーローも

数多く生まれています。

 

 

たとえば

無傷の撃墜王”イルマリ・ユーティライネン”

500人以上のソ連兵を狙撃した”シモ・ヘイヘ”

が日本でも知られていますね。

 

 

しかし

他国からめぼしい援助がないフィンランドは

次第に追い詰められて、結局はソ連に不利な状況で

講和せざるを得ませんでした。

 

 

結果、独立は維持できたものの

フィンランド東側の領土の一部を割譲するなどの

不条理を受け入れざるを得ませんでした。

 

 

この不条理も

のちの継続戦争の原因にも

つながってくるのです。

 

継続戦争-国の存亡と自由主義体制を守り抜いた

 
さきの冬戦争で、
フィンランド征服が果たせられなかったソ連。
領土の10パーセントをとられたフィンランド。
 
 
とりあえず停戦はしたけど、
お互いこのままでは良いというワケには
いかなかったのです。
 
 
さらにフィンランドにとって
またソ連がちょっかいをかけてくる可能性が
あって、気が気でなかったのです。
 
 
しかし
フィンランドは小国で生産力がありません。
軍備を増強するにも、第2次世界大戦のさなか
他国の援助も期待できる状況でありません。
 
 
そのとき
フィンランドに声をかけたのが
ヒトラーがいるナチス・ドイツです。
 
 
ヒトラーは
航空機や戦車などを軍事援助するかわりに
フィンランド内にドイツ軍を駐留させました。
 
 
1941年6月ドイツ軍は
対ソ連に宣戦布告し、レニングラードに攻め入ります。
ソ連軍はフィンランド領内にいるドイツ軍に向けて
攻撃をしかけます。
 
 
こうなると
いやでもフィンランドもドイツと
一緒にソ連と戦わざるをえません。
 
 
この3年にもわたった戦争を
”継続戦争”と呼びます。
 
 
ちなみに
ドイツといっしょに戦うので
日独伊三国同盟下のドイツ、イタリア、日本と
いっしょに枢軸国側についたわけです。
 
 
最初のうちは
フィンランド軍は善戦して
冬戦争で割譲した領土を取り戻して
失地を回復しました。
 
 
しかしながら
またもやソ連の圧倒的な物量のまえに
ドイツはレニングラードから退却し
フィンランドも不利になってきました。
 
 
苦しい戦いがつづくなか
フィンランド軍が多大な犠牲をだしながら
国境付近でソ連の総攻撃を防ぎきったところで
双方が停戦講和。
 
 
独立と自由主義体制は勝ち取ったものの
またしても領土の一部割譲されたうえに、
自国内にソ連軍の駐留や賠償金など。
フィンランドにとっては厳しい内容でした。
 
(講和後、ソ連に割譲された領土部分
現在もロシア領となり返還されていない)
 
 
しかしながら
第2次世界大戦後、ソ連の影響下で
バルト三国はソ連領になり、東欧の国々は
すべてが社会主義国となってしまったことを
考えると
 
 
フィンランドの
国家の独立と自由主義体制が維持ができたのは
非常に大きなことです。
 
 
もし日本の敗戦のように
ソ連に”無条件降伏”だったらどうなっていたか
わかりません。
 
 
もしフィンランドが
ソ連領になっていたり
社会主義国になっていたら
 
 
悪名高き”スターリン”の粛清の嵐て
多くの人々が命を落としたり、シベリアへ
強制移動させられたかもしれません。
 
 
それを考えると
フィンランドは最後の最後まで
国を守り抜いたといえます。
 
 
戦争の話を
少し長く書き過ぎましたので
戦後のことは、次回にまわしたいと思います。
予定を変えてしまって申し訳ございません。
 
(※)戦争の話しが長くなったため
   ”戦後~現代”は次回にまわします。
(つづく)