先日お会いしたMさんからうかがったお話。

(余談だけれど、最近お会いする人は、不思議な程イニシャルがKさん、Mさん、Yさんが多い)


世界の7つの海をすべて合わせた広い広い海に、
10センチの浮き輪があって、
そこに呼吸をしに海面へあがってきた目の見えない亀が、
首をつっこむ確率。  

それ位稀なのが、人間としてこの世に生まれる確率なのだそう。

そして、人と人が出会う確率は、それ以上の確率!!
一緒に食事をする確率は、更にそれを上回る確率!!

このお話を聞いたら、 人との出会いやご縁がいかに有難いのか、
しみじみ思った。

 


袖触れ合うも他生の縁とも言うし、
電車で前や横に座っている人にも、なんだか優しい気持ちになった。
嫌な思いをしたことがある人の顔も浮かんだけれど、
深いご縁だったんですね~と思えた。

(嫌な気持ちや怒りが完全に消えたわけではなく、あるけれど、そこにフォーカスしていない感じ?よくわからないけれど、ラク!心地よい!
ま、今後も、怒りにフォーカスする時はあると思う。その時はその時で、じっくり怒りの感情に寄り添って、私の気持ちを大事にしたい♪ 怒ることも大事だから!理不尽なことをされた時にノーと言うのは、自分を大切にすることでもある♪)



脱線が長くなったけれど、
上記のお話は、盲亀浮木という仏教の教え。

ネットで調べてみると、
浮き輪は、穴の開いた小さな木片だったり(←だから“浮木ふぼく”)
目の見えない亀が海面に上がってくるのは、百年に一度だったり千年だったりと、
小さな差異はあるけれど、私は、
凪の青~い海面に赤いドットの小さな浮き輪と、悠然と泳ぐウミガメが思い浮かんだので、
Mさんバージョンの
盲亀浮輪
が好き。



中国のサイトを探してみたら、ありました。
今日はそのうち2つをご紹介。

http://holland316.blog.sohu.com/72138218.html

↑個人の方のブログです。こちらは簡単な文章。
得到人身犹如"盲龟得浮木"。
 
意谓:大海里有只海龟,眼睛是瞎的,每过一百年浮出海面一次。一块浮木中间有一小孔,在海面上漂流,等到有一天海龟浮出海面时,能恰好地钻进浮木孔中,这是何等的难遇难遇!




(c) .foto project


http://baike.baidu.com/link?url=PAKLvoEZ7lGEIPbSheBuXUJhpuKj2MTW4lSEDdWz-dHE-Vc2R0TMp9OYMaxoYzNsfWzx72PT3D57seHz7UJjxK

↑ざっくりですが(笑)、こちらはちょっと難しい文章。

佛经《杂阿含经》里有一则描绘“人生难得”的譬喻说;在幽暗的大海深处,住了一只乌龟,这只乌龟虽然寿命比宇宙还要漫长,但是它的双眼却瞎了,看不见一丝的光明,在漆黑的深海里,它生活在永无止境的黑暗之中,每经过一百年,才有机会浮出广袤的海面。大海中飘荡着一根长长圆圆的浮木,浮木的中间挖有如其劲项一般大小的孔洞。亘古洪荒以来,浮木就随着惊涛骇浪忽东忽西,载浮载沉。瞎了眼睛的盲龟要凭藉它的感觉,在茫茫的大海中,追逐浮木不定的方向。当每一百年才浮出一次水面的盲龟尖尖的头恰巧顶住浮木小小的洞穴时,便能重见光明,获得人身。潮来潮去,一百年一百年的岁月更替流逝,盲龟依旧沉浮于生死的洪流大海,找不到那决定它命运的浮木。又一个一百年,当盲龟再度浮出水面,头才接触到清凉的空气, 突然一头撞进浮木的小小洞孔, 轰然一响, 眼前霎时霞光万丈,盲龟终于脱离久远以来笨重的躯壳,蜕变成为一个俊秀的童子, 睁开跟睛觑着滚滚的红尘。