私が今まで読んだ本の中で一番感動したのが、ジョージ・アダムスキーと「新約聖書」(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書)。
家庭的には仏教徒なのでキリスト教とは全く縁もゆかりも無いはずなのに、福音書を読んで以来、イエス・キリストに魅了されてしまっている。キリスト教徒ではなくても、イエス・キリストに様々な観点から多大な関心を寄せている人は多数いるはずなので、とりたてて私が特別ではないと思う。(私自身は残念ながら、イエスの時代に前世は無く、18世紀にクロアチアでカトリックの神父だった前世がある程度。)

 アダムスキーと交流のあった人々の話によると、アダムスキーは「ガリラヤの愛されしヨハネ(十二使徒)」の生まれ変わりだったらしい。それはつまり、アダムスキーの体験とイエスを巡る物語が、2千年の時を隔てて宇宙的に照応してくるということを意味している。


私如きがその詳細を語ることは不可能であるし畏れ多いことなのだが、クリスマスの時期でもあるので、一般に公表されている資料から少し思いを巡らせて見たい。
そこで今日は第1弾として、

「トリノの聖骸布」
について。

アリマタヤのヨセフはイエスの弟子であって、
ーーーしかしユダヤ人に対する恐れのために隠れた弟子であったーーーー、
ピラトスにイエスの死体を取りはずさせてくれるように頼んだ。ピラトスは許した。
そこで彼は行ってイエスの死体を取りはずした。
ニコデモももつ薬と沈香との混ぜたものを約百リブラ携えてやって来た。
そこで彼らはイエスの死体を取った、そしてそれを香料といっしょに亜麻布で巻いた。
中略。
マグダラのマリアは、朝早くまだ暗いころ墓に来る、そしてあの石が墓の入り口からとりのけられているのを見る。中略。
もう一人の弟子(ガリラヤの愛されしヨハネ)の方がペトロよりはやく先に走った、そして最初に墓に来た。
そしてのぞき込んで亜麻布がおいてあるのを見る、しかし中にははいらなかった。
(岩隈 直 訳 福音書)中、ヨハネ福音書より転載一部改変


「ゲルな夢日記」は主張する。
アリマタヤのヨセフがイエスを包んだ亜麻布こそが、現在「トリノの聖骸布」として知られている布かも知れないと。
イエスが包まれた状態で、何らかのヒーリングエネルギーが外部から照射され、その副次効果で裸の身体が布に写しとられたらしく、ポジネガ変換をするとこのような顔が現れる。

ゲルな夢日記-聖骸布1
1988年にこの布の一部を切り取って炭素14による年代測定を行ったところ、この布が1260年~1380年の間のものであると発表された。

しかし、後世になって布の表面に微生物によるバイオフィルム形成があったため、この年代測定方法では正確な測定は不可能という批判もあるようだ。
 さらに、このサンプルから血液(痕跡)が採取されて分析した結果、男性の血液であることが判明した。(当然DNAが保存されたはずであるが。)

聖骸布を巡る謎は尽きないのだが、
それとは別に「アリマタヤのヨセフ」にも謎がある。イングランド方面との錫の貿易で大金持ちになり、イエス一行を経済的に援助していたのみならず、隠れ使徒でもあった。
 
驚くべき事にこのヨセフの生まれ変わりが日本人翻訳者のK氏であるとか、イエスによって生き返らされたラザロの妹であるマルタもK氏近くにいたある男性に生まれ変わっているという話しがアダムスキー支持者の間で語られている(
真偽は不明)。
ベタニア村のラザロ、マルタ、マリア兄弟姉妹もエッセネ派であったらしく、イエスとは大変親しい間柄だったようだ。このマリアもエドガー・ケイシー情報では謎深い存在。
 
ちなみにハリウッド映画「聖衣」も大変素晴らしく感動的だった。
しかしこちらはイエスが元々着ていた衣服を巡って、ポンテオ・ピラトの葛藤とその奴隷の物語だったので、残念ながら聖骸布とは無関係である。

イエスの伝説と聖遺物、まだまだ不思議な話がありそうで興味が尽きない。



クリック有り難う御座います。
ゲルな夢日記-fc2新着1位
クリック有り難う御座います。
ゲルな夢日記-精神世界