1995年刊の「デジデリオ・ラビリンス」という本は、
霊能者に前世を観てもらい、ルネッサンス期のフィレンツェで
活躍した彫刻家であったと告げられた著者が現地へ行って
確かめるというお話し。
つい先日、BSTVでドラマとして
放送されていた。史実として記録されている内容と
リーディングとで合致しない事実が浮き彫りになり、
リーディングの方がより真実味を帯びていたということか。
そんなこともあるのだろうね、と思いつつ、実は昨年
似たような現象を身近に体験していた。
次男のリーディングをして貰ったところ、歴史に名が残っていても
不思議ではない地位の人物であった。ところがどう調べても、
リーディングにぴったり合致する人が見当たらず、
首をひねる結果となった。以下そのリーディング。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
時代はかなり遡ります。
帝政ローマ時代のイタリアです。
今見えています姿は30代頃の青年期の様です。
これは割合強く感じる事なのですが
どうもご自身はシーザー(カエサル)の弟か息子のどちらかでは
なかったかと思います。いずれにしましても皇帝の強い信頼と
信任を受け、且つまた大変寵愛されてもいた様です。
仕事は政治家です。
若くして元老院の一員になっています。
赤く長いベルベットの様な布を全身に纏い、頭に草状の冠を
頂いています。しかしこれは植物ではなく、恐らく銀で出来た
装飾を施された冠の様です。
所々にオリーブか月桂樹の様な実際の葉も飾られています。
今まで映画などで見た衣装にかなり近く感じます。
片手を布の一方を肩の辺りで押さえるように位置し
もう片方は布の中に手を入れています、利き腕(右手)です。
そして表からは見え何のですが、懐に呑んだ短剣の柄を握っています。
これは彼に限らず議会に向かう元老院全ての人が等しく行う
ポーズの様です。言わば議会への入場時のしきたりだった
のではないかと思います。
今で言うと防衛大臣か官房長官の様な、国の安全に関わるトップです。
この若さでの重用は異例の事の様で、皇帝親族である事以上に
それには理由があった様です。
彼は若い頃から軍に籍を置いていました。
これは自身の希望からです。
少年から青年に掛けての若い頃には大変血気盛んな若者でした。
自ら馬が引く「戦車」を見事に操り
弓の名手でもありました。
この時代頑強な敵対勢力はローマ周辺にはいませんでした。
覇権を広げる為に辺境の地や、遠く東ヨーロッパ中東、北アフリカ、
イギリスまでその勢力を伸ばして行きます。
戦いはそう言った「前線」で主に行われていました。
ご自身は若くして大軍を率いる大隊長の任に着き自分の
部下500名近くを統率しています。
主に任地はエジプトを始めとする中東周辺でした。
彼の部隊は大変に強く武勲の数々は20代中頃には都にも伝えられます。
ローマ軍の中にあって名を馳せた部隊となって行きます。
しかし彼の能力は戦いだけに留まりません。それ以上に政治手腕
の見事さが際立ちます。彼の外交手腕は卓越していて和議や無血占領
などを数多くこなしたのです。
戦いだけでなく外交を重要とした理由は、人の深層心理を理解して
いたからだと思います。
人々を服従平伏させるのを力と恐怖で行う事は、被占領民に
心のしこりを持たせ、ひいては将来に遺恨を残し内部からの
脅威になる事を「勘」として感じ取っていたからです。
また無意味な戦いや流血を極力裂け、和議を持って戦いに勝利する
事を心情としていた様です。
男は兵士になるの風潮が当然だった時代ですがもともと戦いが
好きな訳ではなかった様です。
むしろ敵であっても兵士に対しての敬意を持ち、これは当時
としては考えられない事ではなかったかと思うのですが敵味方の
区別なく、戦いで傷ついた兵士達の治療を命令しています。
戦場に外科医を多数伴って行くのが常でした。
30歳を目前とした頃都から帰還の命令が来ます。
元老院への参画の為です。
皇帝自らの書簡が、新しい任地に向かう時にもたらされます。
元々皇帝への忠誠は強くあったので直ぐに帰還の途に着きます。
しかし心残りは残して行く、命を分け合った自分の部隊の事、
兵士達のことでした。
これはしばらくして心配が的中してしまうのですが、能力の劣った
部隊長のもと北アフリカに近い前線でその部隊がほぼ壊滅して
しまう負け戦に会い、信頼していた数多くの部下達を亡くしてしまいます。
その報を受けた時には人前で声を上げて泣き崩れてしまいます。
この事があってより後、ますます命を大切に思うようになります。
そして出来る事ならば覇権の為の戦は避け、外交によて領土の
拡大を図れないものかを自らに問いかけるのです。
しかし混乱が始ります。皇帝の死です。
死に関して不明な部分や憶測などが入り乱れます。
為に官僚や政治家達の間の疑心暗鬼は最高潮になり国を分ける程
の混乱となります。
ご自身は、そんな光景を見るに付け皇帝の死を心から悼みますが、
早々と自らの職から離れる事を決意し隠遁生活をする事になります。
今のミラノ周辺ではないかと思うのですが、きれいな丘陵地帯に
屋敷を構え中央から身を引き、残りの人生を静かに送る事になります。
しかし心にくすぶる天下国家への思いは消える事がありませんでした。
晩年は近隣で猟りや研究に没頭し、自身の経験と政治信条や外交に
関わる知識の全てを文書に残した様です。
没年は50代前半家族に看取られながら静かに人生を閉じた様です。
なお、次男様はアトランティスにおられたかもしれません。
今回そちらの内容をお伝えしませんでしたのは、ローマ時代に
比べエネルギーが強くなく鮮明にリーディングする事が出来なかった為です。
分かる範囲で補足しますが息子さんはアトランティスの時代科学者
だったように感じます。
不可知様にかなり近いスキルかもしれませんので、接する事もあった
可能性もあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー終了
カエサル時代、アウグストゥス時代の事象と人物を調べてみたが
上記の条件にぴったりあてはまる人物はいなかった。少しずつ
重なっているような候補者は何人か居るのだが、経歴や死に際が
違っていたり。結局真実は謎として残る、というのが結論か。
霊能者に前世を観てもらい、ルネッサンス期のフィレンツェで
活躍した彫刻家であったと告げられた著者が現地へ行って
確かめるというお話し。
つい先日、BSTVでドラマとして
放送されていた。史実として記録されている内容と
リーディングとで合致しない事実が浮き彫りになり、
リーディングの方がより真実味を帯びていたということか。
そんなこともあるのだろうね、と思いつつ、実は昨年
似たような現象を身近に体験していた。
次男のリーディングをして貰ったところ、歴史に名が残っていても
不思議ではない地位の人物であった。ところがどう調べても、
リーディングにぴったり合致する人が見当たらず、
首をひねる結果となった。以下そのリーディング。
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時代はかなり遡ります。
帝政ローマ時代のイタリアです。
今見えています姿は30代頃の青年期の様です。
これは割合強く感じる事なのですが
どうもご自身はシーザー(カエサル)の弟か息子のどちらかでは
なかったかと思います。いずれにしましても皇帝の強い信頼と
信任を受け、且つまた大変寵愛されてもいた様です。
仕事は政治家です。
若くして元老院の一員になっています。
赤く長いベルベットの様な布を全身に纏い、頭に草状の冠を
頂いています。しかしこれは植物ではなく、恐らく銀で出来た
装飾を施された冠の様です。
所々にオリーブか月桂樹の様な実際の葉も飾られています。
今まで映画などで見た衣装にかなり近く感じます。
片手を布の一方を肩の辺りで押さえるように位置し
もう片方は布の中に手を入れています、利き腕(右手)です。
そして表からは見え何のですが、懐に呑んだ短剣の柄を握っています。
これは彼に限らず議会に向かう元老院全ての人が等しく行う
ポーズの様です。言わば議会への入場時のしきたりだった
のではないかと思います。
今で言うと防衛大臣か官房長官の様な、国の安全に関わるトップです。
この若さでの重用は異例の事の様で、皇帝親族である事以上に
それには理由があった様です。
彼は若い頃から軍に籍を置いていました。
これは自身の希望からです。
少年から青年に掛けての若い頃には大変血気盛んな若者でした。
自ら馬が引く「戦車」を見事に操り
弓の名手でもありました。
この時代頑強な敵対勢力はローマ周辺にはいませんでした。
覇権を広げる為に辺境の地や、遠く東ヨーロッパ中東、北アフリカ、
イギリスまでその勢力を伸ばして行きます。
戦いはそう言った「前線」で主に行われていました。
ご自身は若くして大軍を率いる大隊長の任に着き自分の
部下500名近くを統率しています。
主に任地はエジプトを始めとする中東周辺でした。
彼の部隊は大変に強く武勲の数々は20代中頃には都にも伝えられます。
ローマ軍の中にあって名を馳せた部隊となって行きます。
しかし彼の能力は戦いだけに留まりません。それ以上に政治手腕
の見事さが際立ちます。彼の外交手腕は卓越していて和議や無血占領
などを数多くこなしたのです。
戦いだけでなく外交を重要とした理由は、人の深層心理を理解して
いたからだと思います。
人々を服従平伏させるのを力と恐怖で行う事は、被占領民に
心のしこりを持たせ、ひいては将来に遺恨を残し内部からの
脅威になる事を「勘」として感じ取っていたからです。
また無意味な戦いや流血を極力裂け、和議を持って戦いに勝利する
事を心情としていた様です。
男は兵士になるの風潮が当然だった時代ですがもともと戦いが
好きな訳ではなかった様です。
むしろ敵であっても兵士に対しての敬意を持ち、これは当時
としては考えられない事ではなかったかと思うのですが敵味方の
区別なく、戦いで傷ついた兵士達の治療を命令しています。
戦場に外科医を多数伴って行くのが常でした。
30歳を目前とした頃都から帰還の命令が来ます。
元老院への参画の為です。
皇帝自らの書簡が、新しい任地に向かう時にもたらされます。
元々皇帝への忠誠は強くあったので直ぐに帰還の途に着きます。
しかし心残りは残して行く、命を分け合った自分の部隊の事、
兵士達のことでした。
これはしばらくして心配が的中してしまうのですが、能力の劣った
部隊長のもと北アフリカに近い前線でその部隊がほぼ壊滅して
しまう負け戦に会い、信頼していた数多くの部下達を亡くしてしまいます。
その報を受けた時には人前で声を上げて泣き崩れてしまいます。
この事があってより後、ますます命を大切に思うようになります。
そして出来る事ならば覇権の為の戦は避け、外交によて領土の
拡大を図れないものかを自らに問いかけるのです。
しかし混乱が始ります。皇帝の死です。
死に関して不明な部分や憶測などが入り乱れます。
為に官僚や政治家達の間の疑心暗鬼は最高潮になり国を分ける程
の混乱となります。
ご自身は、そんな光景を見るに付け皇帝の死を心から悼みますが、
早々と自らの職から離れる事を決意し隠遁生活をする事になります。
今のミラノ周辺ではないかと思うのですが、きれいな丘陵地帯に
屋敷を構え中央から身を引き、残りの人生を静かに送る事になります。
しかし心にくすぶる天下国家への思いは消える事がありませんでした。
晩年は近隣で猟りや研究に没頭し、自身の経験と政治信条や外交に
関わる知識の全てを文書に残した様です。
没年は50代前半家族に看取られながら静かに人生を閉じた様です。
なお、次男様はアトランティスにおられたかもしれません。
今回そちらの内容をお伝えしませんでしたのは、ローマ時代に
比べエネルギーが強くなく鮮明にリーディングする事が出来なかった為です。
分かる範囲で補足しますが息子さんはアトランティスの時代科学者
だったように感じます。
不可知様にかなり近いスキルかもしれませんので、接する事もあった
可能性もあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー終了
カエサル時代、アウグストゥス時代の事象と人物を調べてみたが
上記の条件にぴったりあてはまる人物はいなかった。少しずつ
重なっているような候補者は何人か居るのだが、経歴や死に際が
違っていたり。結局真実は謎として残る、というのが結論か。