母と出かけた春の友泉亭公園 2025/04

思えば私は少し偉そうに、余命が迫ってきた母に対し「まだあの世に行く準備ができてない」等と思っていたが、実は母が居なくなる準備が出来ていないのは私の方だった。時にはウザいとか面倒とか思う事もあったが、母は結局のところ私の最も大切な家族だったのだ。
2025年の7月下旬、妹が急遽帰省し、緩和ケア病棟に入院した母に会いに来た。その時、妹と私は母が余命1か月であると医師から告げられた。妹は僅か2日間滞在して東京へ戻って行った。母はやつれてはいたものの、良く喋り、緩和ケア病棟入院後サチュレーションが90台まで上がり、病院の食事もまずいと言いながらしっかり食べてくれていた。病院ではシャワーは看護師さんが付き添ってくれる日は2週間に1回しか無い。という事で、私が付き添って週に2回程度母の身体を洗った。
シャワーで母の身体を洗うたび、そのやせ細った身体と紫色に変色して治らない膝の内出血(転んでばかりいたため)、更に足先が紫色になっているのが気になった。酸素不足によるチアノーゼだ。
また、糞便の漏れがある事も毎回確認された。シャワーの間酸素吸入を続けるのも少し煩わしかった。
私の心配をよそに、母はとてもシャワーが気持ちがよいと言ってくれた。母は怠いとは日記に書いていたが、苦しさや痛みを訴えることはあまりなかった。
「家をもう改造した?」と母は私に聞いた。母は家に帰れるつもりでいた。母はトイレに自力で行くことさえもはや困難なため、もし家で暮らすのなら、トイレ近くにベッドを置く等、色々工夫が必要になる。
更に8月初旬には父の相続税申告も迫っており、その様な事務処理は全て私がやっていた。その為、これ以上母に付きっきりでいる訳にもいかない。こんな時、仲良しの叔母(母の姉)がその息子と共にお見舞いに来てくれた。母は1日中叔母と良く喋り、一瞬とても元気になったように見えた。
「これで私はようやく事務処理に集中できるな」
私は母と叔母たちを病院に残して自宅で相続税申告の最後の処理に集中した。
私は介護休職を取る手続きも進めていた。母は既に余命1ヶ月と医師から宣告されていたが、私は心の何処かでそれを疑っていた。と言うか、信じたくなかったのだ。