あなたが眠るまでの物語。緩和ケア病棟で末期癌患者は何を思い、どう生きるだろうか?

「車椅子でもまた旅行に行けるよ。涼しくなったらまた行こうね。」
私はそう言って母を抱きしめた。実際その後しばらくの間、母は元気になってゆくようにさえ見え、呼吸器チューブを外して歩くリハビリまで始めたのだ!
私はようやく父の相続税申告を終え、母に付き添う毎日を送った。再度叔母(母の姉)が娘を連れて遥々神奈川から福岡へ見舞いに来てくれた。妹も再度お盆期間に母に会いに来てくれた。皆が毎日果物やご馳走や花を母に届け、まるで毎日が母の誕生日のようだった。緩和ケア医の粋な計らいにより、プロの歌手である妹が母の為に病棟でミニコンサートを行う事も許可された。これはまるで母のラストダンスだ。そして誰も母に余命1か月であることは言わなかった。
2025年8月18日、妹が東京へ旅立つ日だった。私と妹は今後の母の緩和ケアについて医師と主任看護師と共に話し合った。
「母は生きたいんです」
私は医師達にそう言った。
私はこれから母が回復してくれるのではないかと密かに期待していたのだ。
「母は家に帰りたいと言うのですが、週末帰宅はできますか?」
医師はまずは日帰りで帰宅しては?と勧めた。
「外出は何時でも大丈夫ですよ」
と看護師は言ってくれた。
そこで、早速私と妹は母と病院近くのレストランで夕食を楽しむ事にした。
私は母にお気に入りの服を着せた。母を車椅子に乗せ、酸素ボンベを車椅子の後ろに引っ掛けて外出した。外に出ると本当に暑い、と母は驚いていた。母にとって久々の外出だ。母は嬉しそうに夏野菜をふんだんに使った和定食を完食した。食欲だけを見てると、まだまだこんなに元気なのに、本当に末期癌患者なの?
私達は和やかに夕食を楽しんだ。
そしてこれは妹にとって母との最後の晩餐になったのだ。