緩和ケア病棟の個室
母の容体が一瞬安定して見えた為、私はまだ母が生き続けてくれるという甘い期待をしていた。しかし日々旅立つ人々を見続けている医療関係者の目は違っていたようだ。
緩和ケア病棟に母を迎えてもらい、緩和ケア医ともじっくり話す機会が得られた。医師との面談は「後10年生きる」と今もまだ信じている母とは別に行われた。
緩和ケア医は「まさに緩和ケア病棟に来るにはピッタリの時期です」と仰った。その意味が私にはまだよく分かっていなかったかもしれない。
医師は半年前の検査データと比べ、胸水の蓄積量が増えてるわけでもなく、癌が大きくなっているわけでもなく、血液検査の結果が特別悪化しているわけでもないと言った。
「では一体何故呼吸困難が悪化していっているのですか?」
「肺自体の機能が徐々に衰えていっているのでしょう。通常の健康状態では、肺には平常時の3倍くらいの肺活余力があります。そのため柔軟に日常活動に対応できるのです。今のお母さんにはこの余力が殆どありません。この余力が一定以下になった時、呼吸困難が目に見えてくるわけです。」
と言うことは一見元気に見えていた時も、肺機能は徐々に弱体化していたという事だろうか?
母が入院して3日後の7月26日、妹が東京から駆けつけてくれた。母は酸素吸入器(鼻カヌーレ)をつけながら車椅子で妹と共に病院内を散歩した。週末だったが、病院内ラウンジでは大画面テレビを自由に見れるようになっている。母と妹はラウンジで大相撲を観戦した。
妹も母の病状について詳細を知るために、母無しで担当の緩和ケア医と面談した。妹は私と母があえて聞かなかった(?)母の余命を聞いた。
医師は「余命1ヶ月」と答えた。
妹は直ぐに私にこの事を知らせた。私は若干気が動転して、再度緩和ケア医とマンツーマンで面談した。医師は何時でも可能な限り面談に応じてくれた。
「まだ元気に見えるのに、余命1ヶ月なんですか?」
「お母さんは今まだ元気に見えるかもしれませんが、いづれ呼吸困難が悪化することが考えられます。その時は薬で鎮静を行い人工的に危篤状態にした方が苦しむ時間が短くなるでしょう。家族との面会の時だけ鎮静を解こうと思います。どうしますか。」
「お母さんはそんなに酷い状態なんですか?お母さんを助けることはできないんですか?」
私は医師と話しながら泣き続けていた。もはやどうする事もできないのか?
これが医師の言う、「緩和ケア病棟に来るにはピッタリの時期」の意味だったのか!?
私は上司との話し合いにより、介護休暇での休職の手続きを進めた。と言ってもこの事務処理をするだけで1ヶ月近くかかってしまう!
幸い個人の夏季休暇を前倒しする事はできた。私の最も愛する家族が、生きていてくれて当たり前だと思っていた人が、今最後を迎えようとしているのだ!
