お母さんは宗教で法律である。
お母さんの言葉は
お経になり
憲法になる。
お母さんに嫌われることは
子供にとっては
死ぬくらいつらいこと。終わること。
お母さんを悲しませるのは
子供にとっては
一番重い罪。
自分が「お母さんの法律」に沿って
できないと
もう
自分は価値がない。
それが
その1
https://ameblo.jp/rakuikich/page-2.htmlで書いた
「自立」できないって自分を責める考えの
正体でございますってわかった。
心の歯車が一つ動くと
隣の歯車が動き出す
またその隣も
連動して
やがては
自分の要となる大きな歯車が
「お母さん」
という考えを中心に
動き始めるのです。
「自立」
っていう自分を苦しめる考えの中心は
「お母さん」という考えなのだぁ~あ~。
ヽ(●´Д`●)ノ ハニャ~
「お母さん」
がこのように生きるのがいいと
いう考えが「自立」
なら、できる?
自分の考えは?
本当はどうなの?
そんな「自立」ってどうなの?
自分で立つことって
「お母さん」の法律で生きること?
じゃねーよ!
って気づき。ヽ(●´Д`●)ノ ハニャ~
私は
お母さんのことを
悪く思うとき
いつも自分の状態が悪かった。
そして
悪いことを思い出すとき
お母さんを思い出していた。
過去
が
今に連れてこられている。
お母さんは、
「過去」でもあるんだ!ってまた気が付いた。
ということは
心の
歯車の中心は
そのお母さんと連動して思っている
「過去」
にあるっていうことなのだ。
お母さんの悪口を気がすむまで言う!
自分の過去の秘密を言う
そんて
今、その時の感じを思い出して
思い出していたら
Σ(゚д゚;)
今、そこには行けない!
ってことに気が付いて。
今は、
思い出してる自分にしかなられへんってこと。
今、
その思い出たち「過去」「お母さん」
が自らを苦しめてい過去
を思ってる今。
なので
今は
静かに静まり返った
心の中で
溶かしていこう。
そう思って
書きました。
母についてのことと
過去の苦しみを思いだし
具合が悪くなり
吐き気がしましたわ。
まだまだ、今、まさに今苦しいと
引きずっているのは
「お母さん」という「過去」だったってことです。
無いと生きていけないと思っていた
生活保護を切って
母から
離れて暮らして
3年経ち
子供たちだけでもと
帰省していたお盆
今年は
行きたくないので
行きませんでした。
帰省しなかったので
その代わりにでも、と
母は
食品やお米を
我が家に送ってくれました。
その宅急便を受け取り
私は母に
「ありがとう」
ではなく
「私はゴミ箱じゃない!」と
言いました。
言うことで
私は
人の気持ちを踏みにじっても
大事にしたいもの
「自分」があることに
気が付いたのでした。
お母さんは
「宗教」で「法律」で「過去」。
そのどれもを知った
自分だけれども
今なら
自分で生きられる
だって
今は
過去じゃない
「過去」を思うことはできても
それは「過去」じゃないんだから。
今は
自分で生きられる。
「お母さん」という言霊には
人の数だけの
「宗教」「法律」「過去」があるだろうけど
でも、
今なら
自分で生きられる。
今から
自分で生きられる。
静かに
その考えに安堵しながら
生きていけるかも。
お母さんという思い込みを外して自分になる
って
書いていて
この考えに
たどり着いて
ほっと心が落ち着きました。
おわり
~~~~~~~
お母さんの良いを
自分の良いに
していた私。
お母さんがいいと思うことが正解
私は
お母さんの正解で
生きられなかった
ごめん、
と
自己否定の人生を生きてきました。
いや、
何で私、お母さんの正解に向かって生きようと
してるのか?
自分に怒りが湧き
お母さんにも怒りがわいて、
母から離れて暮らすことにして
私は、
母の正解から物理的に離れて
自分の快不快が
見やすくなりました。
一緒にいても
大事な自分の存在に気が付けば
できたことだろうけど
まぁ、私の場合はここまでやらないと
自分の声に気づけなかったです。
逆に
私は4人の子供のお母さんなんで
危険やわ、って
思うことが何回もあります。
素直で色の染まってない
子供は
価値観の中心を私「お母さん」に置くのです。
合わせ上手な子供は
合わせることが簡単にできるのです。
例えば
私が悲しんでいると
子供は
それに合わせるように
しんみりして
それに触れぬように
さも平気を装うんです。
私は
子供が私に合わせているのが
分かると
初めは
心地よかった。
誰かが自分に合わせてくれるって
同調して共感して
そっとしておいてくれる、
わが子は優しい子に育ったわ、って。
けれど
そのうち、
すごく変な気持ちになってきました。
偽善的なんです。
偽物。
ブランドものの偽物みたい。
一見
いい感じなんだけど
なんか全然嬉しくない。
どころか自分が惨めな感じ。
見た目は良いけど
良い子は
気持ち悪いのだぁ。
本音は
「オカン、めんどくせー、人間未熟ぅ=」
今は
「あほらし、やってられへん」って
さっさと
あきらめて突き放してくるのがありがたい。
お母さんは
穴だらけ。
どこも完ぺきとちゃう。
それでも、ええわ。私じゃないし~。ぐらいで
良かったのでした。
私もさっさと気づけばよかったのだけど
純真無垢なため、めんどくせー奴に
育ってしまって
こんなこと書きました。
~お母さんという思い込みを外した自分は楽だ~
今、そのチャンネルに。
今、そのチャンネルに。
宗教、枠、価値観、を超えた般若心経
感動しました。↓
「この世は空」
でも、
この世に私は「自分になって」
おぎゃぁ!って生まれた
ばんざい、ばんざいって言いたくなる響きがするんだ

