政府による業務独占資格の諸問題 | 古典的自由主義者のささやき

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経済の問題は、一見複雑で難しそうに見えますが、このブログでは、経済学の予備知識を用いずに、日常の身の回りの体験から出発して経済のからくりを理解することを目指します。

我々の社会では、多くの人が他の人にサービスを提供する見返りとして収入を得ています。サービスの種類によっては、政府が発行する資格を保持していなければ収入を得る目的でサービスを提供することが許されていません。つまり、政府が発行する資格を取得している者のみがサービスを提供して金銭を得ることが許されているという職種が存在します。今回は、この政府による「業務独占資格」について考えてみます。


まず最初に、なぜ資格というものが人々に求められるのか、また「自由な市場」が人々が求める資格にどのように対応するかみてみましょう。

人々は、常時様々な物やサービスを購入して生活していますが、いつも利用している物やサービスを購入する場合には、今までの経験に基づいて購入の選択をすることが出来ます。この場合は、今まで買って満足できた物やサービスをこれからも購入すれば安心です。ところが、新しい物やサービスを購入する時、特にそれが高額な買い物であったり、選択の結果が重要な結末を生むと予想される場合には、人々は多少の時間と金を使ってでも物やサービスの質や価格に関する情報を集めようとします。物やサービスの適切な選択に専門的な知識が要求される場合はなおさらです。

例えば、家の設計を人に頼もうとしている人にとって、どの設計者が自分の望む家を設計してくれるか、またどの設計者が請求金額に見合った仕事をしてくれるかの判断をすることは容易ではありません。新しく設計を頼もうとする人が何人かの設計者候補について今までの顧客の評判を集めるのは、この難しい判断の材料を得るためです。ここでは、設計者の自己評価よりも、その設計者に対する今までの顧客の評判が重宝されます。それは、設計者本人の自己評価はこれから仕事を取るために過大な宣伝が含まれている可能性があるのに対し、過去に顧客だった人は今から設計者にへつらっても今後利益が得られる訳ではないので、客観的で信頼が置ける評価をすると人は考えるからです。

このように、サービスの種類によっては、客観的な第三者の評判が貴重な情報として求められます。つまり、第三者の評判を金を払ってでも購入しようとする人たちがいるということです。「資格」とは、この第三者による評価の一種です。資格を取得するためには費用がかかるので、資格保持者が提供するサービスは多少割り高になるでしょうが、余分の金を払っても第三者が発行した資格を保持している人からサービスを受けたいという人が出てくるのです。従って、自分が提供するサービスの質に自信がある人たちにとっては、費用と労力を投じてでも、顧客が信頼を置く第三者による資格を取得しておくことが顧客の獲得に有利になります。この状況では、消費者とサービス提供者の需要に応じて、様々な資格を発行することを商売にする人たちが現われます。さらに、自ら情報を集めたり、過去の顧客の評判を集約して、異なる機関によって発行された資格の間の格付けを行う業者も出てきます。消費者は、資格の評判に応じて、資格を保持する人々の間からサービス購入の選択をするのです。

さらに、自由市場では、人々が求める種類の資格だけが生まれ、資格の内容も人々の需要に合わせて変化します。自由な市場では、需要がなくて消滅する資格もあれば、需要の伸びが大きく社会で急速に知名度を得る資格もあるでしょう。

例えば、屋根の雪を下ろすのにも技術が必要です。しかし、人々が多少割高であっても雪下ろしの資格のある人を雇って雪を下ろそうと思わない限り、雪下ろしの資格は生まれません。一方、医師の知識や技能は場合によっては命に係わるので、人々は余分な金を払っても客観的な第三者に技能を認定された医師のサービスを受けようとします。その結果、自由な市場では、命に係わる医療を提供する者の資格に関しては知識や技能の内容が細かく規定され、また資格認定の過程も厳密になるでしょう。

資格は個々人に与えられるので、資格によって顧客が増えることによる利益は、金を出して資格を取得した人だけが享受できます。逆に言えば、同じ職に従事していても、特定の資格を保持していない人は、その資格を使って顧客の信頼を獲得することは許されません。つまり、資格を必要としない人が他人の資格の費用を負担することもないし、他の人が自腹を切って獲得した資格をタダで利用する人もいません。

たとえ資格がなくとも既に多くの誇りうる実績があって充分顧客を獲得している人は、高額の費用をかけて学校に通って資格を取得しようとはしません。さらに、この人が新たな資格を取得することは、既に存在する顧客にとっては同じ質のサービスをより高価にするだけです。人々が必要としない資格を資源を使って提供するということは、この資源を使って出来た他のことを社会が犠牲にするということです。従って、自由な市場には、資格の種類や内容また資格を取得する人の数を、資源を無駄にしないように調整する機能があります。


資格の発行を自己の利益を優先する民間の団体に任せておくと、資格の質が保たれないという意見があるかもしれません。しかし、資格の発行機関が複数存在し常に競争に曝されている状態では、ある資格の評判が乱発によって落ちたなら、消費者は他の似たような資格を参考にしてサービス提供者を選択することが出来ます。消費者が他の資格に逃げると、サービス提供者にとっては、金を払ってまで評判の下がった資格を取得したり保持したりすることの利益がなくなります。競争と倒産の危険のもとでは、資格の発行機関は資格水準を維持するように努力します。資格保持者に定期的に試験や講習を行って質を保つだけでなく、個々の資格保持者についての消費者からの評価を常時公開する機関も生まれるでしょう。複数の資格発行機関が競争している状態では、資格の内容も常に消費者の需要に合わせて進化します。


ところが、冒頭に述べたように、我々が住む社会では、政府が多くの資格を発行しています。そして、この政府が発行する資格を取得しなければ、特定のサービスを提供することで収入を得ることが法律で禁じられている職種が存在します。上で説明したような、複数の民間の資格発行機関が競争している自由市場と異なり、政府が特定の職種に社会で唯一の資格を発行している場合には、以下に述べるような問題が生じます。

政府によって資格が発行されるようになると、資格保持者が団体を作って、発行される資格の数を制限し新規参入者の資格取得が難しくなるように政治家に圧力をかけるということが始まります。政府による「業務独占資格」は、そもそも特定サービスの提供を生業とする人たちが団結して政治家に働きかけることによって導入されることが多いのです。

林檎の供給量が減れば林檎一個の価格が上昇するように、営業資格保持者の数を制限すると、そうでない場合に較べてサービス提供者一人当たりの賃金は上昇します。政府が発行する資格の数が自分たちの収入に直接響く資格保持者は、一般の投票者一人当たりが提供するよりもより高額の選挙資金を政治家に提供します。また、資格保持者の団体は、議会や資格発行に責任のある官庁が存在する首都に常時自分たちの代表を置いて、政治家や役人との接触を怠りません。資格保持者の圧力によって政府が発行する資格の数が制限され受験資格を得るための条件も厳しくなってゆきます。単に資格取得を難しくするためにサービスの質と全く関係がない知識の習得が求められるということも起ります。

資格取得が難しくなればなるほど、資格の取得のために多大の時間と労力と費用を投資することが必要になります。もしも将来、資格発行数が増大して資格保持者の賃金が大幅に下がるようなことがあれば、今資格を持っている人はその資格の得るために支払った投資を回収出来なくなります。既に資格発行数が制限されている資格の発行数を増やそうとすると、現在資格を取得している人たちが強く抵抗するのはこのためです。

資格の発行が政府によって独占されていないということは、複数の資格発行機関が自由に資格を発行出来るということです。たとえ特定の民間資格発行機関が資格の数を制限しても、他の機関が類似の資格を発行します。高度な技能を有する者にしか認められない資格が生まれてくる反面、比較的多くの人に発行される初級中級技能保持者の資格も出てくるでしょう。さらに、複数の資格を保持する人も出てくるでしょう。もちろん資格によってサービスの価格に差が出るでしょうが、消費者は自分の目的と懐具合に合わせて資格の等級を選べばよいのです。

一方、政府によって資格保持者の数が制限されてサービスの価格が上昇するということは、消費者にとってはサービスが受けにくくなるということです。政府による業務独占資格が存在すると、消費者は、たとえ自分の目的が比較的簡単で高度な技能を必要としなくても、その仕事をするのに充分な技能を備えただけの人を安く雇うことは許されていません。なぜならその人は、政府が発行しているより高度な技能を示す資格を有していないからです。

確かに、政府が極めて高度な技能を持つ者にしか特定の業務を許さなければ、サービス提供者の過失による事故を減らすことは出来るでしょう。しかし、逆に、政府による独占資格が存在していなければより多くの消費者がより安価で受けることができたであろうサービスが、多くの人にとって高価で手が届かなくなるということが起こるのです。さらに、政府資格保持者を雇うと高くつき過ぎるので消費者が自分で対処しようとすることによる事故も起ります。

これは技術革新のお陰で本来なら製品の価格が下がったにもかかわらず、政府による供給量制限のためにその製品の価格が吊り上げられて、人々が安い価格で製品を購入出来ない状態と同じです。安くなった物やサービスを利用出来るようになることで人々は豊かになるのですが、資格保持者制限で価格が高く保たれてサービスそのものが利用できなくなるということは、人々がその分豊かになることを妨げられているということです。


政府による業務独占資格の発行は、消費者の需要や科学技術の進歩に合わせて資格の種類や内容が柔軟に対応することを妨げます。自由な市場では、消費者に需要があれば、保守的な資格と新しいもの好きの資格が共存するでしょう。自由市場では、特定のサービスに関しても多くの資格が存在し、また、それら全ての資格の内容が一気に変わる必要もありません。

一方、民間の発行する資格に較べると、政府の発行する資格の内容は、消費者の需要の変化に合わせた対応が遅れます。政府が発行する資格内容を変更するためには、議会や役所の審議を経る必要があるからです。また、資格保持者の団体は、政治家を通じて資格取得が容易になることを妨げようとします。さらに、社会で一種類しかない政府独占資格の内容変更は、特定サービスの提供者全員の技能の質に影響を与えます。資格の基準を安易に変えて事故でも起ると、審議に係わった政治家や役人の責任問題に発展します。従って、政府の発行する資格の内容の変更は時間がかかります。自由市場において一部の消費者の需要があれば新しい資格を創設したり、今までの資格内容を変更することが容易に出来るのに較べると、政府の独占業務資格は柔軟性に欠けるのです。


どんな職業でも詐欺行為を働く人は必ず存在するので、不正を防止するためには資格は政府が発行しなければならないという意見があります。政府の資格発行機関は、試験を行って資格保持者の技能の質を維持しようとしますが、これはたとえ民間の機関が資格を発行するとしても行うことは同じです。政府であるからという理由で民間の資格発行機関よりも容易に不正行為を見つけられるということはありません。

我々が問わなければならない問題は、政府でも民間機関でも不正の察知が容易でないならば、政府が資格を発行する制度と民間に自由に資格発行を認める制度を較べると、どの制度のもとで不正を早く察知する動機付けが資格発行者に生じるかということです。言い換えれば、どの制度のもとで資格発行者が、不正を隠匿すれば損害を被るか、逆に、不正をいち早く察知して不正を行った者を罰すればそうでない場合に較べて得をするかということを考えることが必要です。

自分の発行した資格を保持する者の不正を察知した場合、その不正を隠匿する誘惑にかられるのは政府機関も民間機関も同じでしょう。しかし、民間機関が不正を隠匿し、それがばれた場合には、民間機関の経営者や株主は大きな代償を支払うことになります。当然消費者は、他の民間機関の発行する資格に逃げます。資格の価値と共に、資格発行機関の株価も下がります。経営者は、不正の被害者のみならず、株主や資格保持者からも不正隠匿による損害賠償を求められるでしょう。従って、民間の機関は、損害を少なくするために不正には迅速に対応して消費者の信頼回復に努めます。

ところが政府による独占業務資格は、その独占の地位故に消滅することはありません。また、たとえ不正があったとしても、それが社会で唯一の資格なので消費者やサービス提供者が他の資格に逃げるということもありません。これは、消費者やサービス提供者の信頼を失えば成り立たない民間の資格と政府独占資格との根本的な違いです。また、民間団体の経営者や株主と異なり、責任者である役人は資格保持者の誰かが不正を行っても自腹を切って不正の損害を賠償させられるということもありません。つまり、政府機関が不正行為に迅速に対処するという動機付けは、民間団体に較べると決定的に弱いのです。不正を未然に防止したり察知することがどっちみち困難ならば、不正隠匿で大きな経済的な損害を受ける民間の経営者や株主に不正の監督と対処を任せた方が、政府機関に任せた場合に較べると、起った不正は迅速に対処され、また不正を防止する措置がより積極的に採用されます。


人々がサービス提供者の技能を容易に判断できない職種が存在する限り、技能の指標となる資格には需要があります。現在存在する政府による独占的な業務資格は、少なくとも建前の上では資格に対する消費者の需要を満たすために導入されたのですが、現実には、資格保持者の数を制限しサービスの価格を吊り上げる目的に使われています。消費者が求めていない政府資格が導入され、様々なサービスの価格が不必要に吊り上げられ、その結果サービスそのものが受けにくくなっています。政府による独占的な資格を導入してこのような弊害を作り出さなくとも、自由な市場には消費者が必要とする種類の資格を消費者の需要に合わせて提供する機能があるのです。改革の第一歩として、政府による資格発行の独占を廃止し、民間団体による自由な資格の発行と政府資格との競争を許すべきです。



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