世界を見渡すと、活動の内容が国防、警察、司法にほぼ限られる政府から、広く経済活動に介入して積極的に国民の福祉向上を目指す政府など様々な大きさの政府が存在します。政府は小さい方が良いのでしょうか。それとも大きい方が良いのでしょうか。
ただ、一概に小さな政府、大きな政府と言っても、具体的に政府が取り得る業務内容や大きさは様々です。ここでは話しを簡単にするために、国防、警察、司法を中心とする業務に専念する政府を「小さな政府」、逆に、国防、警察、司法だけでなく、広く経済活動を規制し、補助金などを用いて特定の産業を保護育成し、また鉱物などの資源を公共の財産として管理運営する政府を「大きな政府」と呼ぶことにします。
今回はこの意味での「大きな政府」の経済成長への影響を検討します。
まず、大きな政府を運営するためには、そうでないよりも高額の税収が必要です。ところが、人間は汗水流して働いてもその労働の成果を人に持ってゆかれる場合には働こうとしなくなります。いくら働いても自分の取り分が増えない奴隷制や、自分一人だけが一所懸命に働いても成果が社会の他の構成員に共有される社会主義制度では、人々に労働意欲が湧きません。人々の労働意欲を刺激するためには、働いた分収入が増えるという動機付けが必要です。税率が高いということは、同じ量働いても税としてもって行かれる割合が増えるということです。税が高くなり自分自身の取り分が減るにつれて人々の労働意欲はそがれ、社会全体の経済活動が抑圧されます。
また、税率が高くなると、人々は税の支払いを避けるように努力し始めます。税制の専門家を雇って、税を避ける方法の相談をするようになります。その結果、税率が低い状況であれば人々が求める物やサービスの生産や技術革新に使われていたはずの資源が、税の専門家の養成と雇用に使われるようになります。経済の成長とは人々が望む物やサービスの生産と消費の量が増えることなので、高税率で資源の配分に変化が生じた分、経済の成長が妨げられます。
国外に自分の資産を移して国内の高税率を避けようとする人も出てきます。また、低税率であれば外国から来たであろう投資が、国内の税率が高いと他に逃げるということが起ります。税率が上がると、税率が低い時には採算が合っていた事業を引き続きそこで行うことの魅力が減少するのです。高税率になることによって、国内外の資金を集めて生産出来たはずの物やサービスの生産が見送られ、それらによって達成されていたであろう生産性の向上が見逃されるので、人々の生活の向上が妨げられます。
さらに、税が高くなると、人々は税を逃れるために闇で取引を始めます。闇市場は非合法なので、売り手は買い手を、また買い手は売り手を広く探すことが出来ません。つまり闇市場では、物やサービスは、それらに最も価値を置く人たち、つまり最も高値を払う用意がある人たちに行き渡りません。
自由に物が取引される社会においては、ある物やサービスに最も高値をつける人たちとは、それらの物やサービスが最も価値を生む使い方を知っている人たちです。例えば、社会の中で最も高い価格を付けてでも鉄鉱石を買い取る人は、鉄鉱石を原料とする様々な物の中で社会の人々が最も高い値で買い取る物を作っている人です。言い換えると、この人たちが高い価格で原材料を買い取るのは、それを使って作った自分の製品が高値で売れることを知っているからです。また、鉄鉱石を原料とする加工品に一番の高値をつけて買い取る人たちも、何を今度はその加工品で作れば高値で売れるか知っている人たちです。そして、最も高値の付く最終製品とは、人々に今最も強く求められている鉄鉱石の使い道です。
つまり人々が自分の物を自由に取引できる社会では、原材料や労働力は最も高い値段を付ける買い手に買い取られていくことを通して、社会の中で最も重要な用途を満たす物やサービスの生産に配分されるのです。これを自由市場で経済効率性 (economic efficiency) が達成されると表現します。人々が求める物やサービスの生産が増大するということが経済が成長するということです。
ところが非合法の闇市場では、買い手と売り手の情報交換が制限されているので、原材料や労働力が社会が最も必要とする用途に使われないということが起ります。例えば、投資家に出会うことなく忘れ去られる発明も出てきます。ある物をもっと安く生産するのに使える鉱物がこの用途に使われないことも起ります。社会が求める物を安く沢山作るということが、闇市場では妨げられるのです。
それに、闇市場では、製造と販売を秘密裏に行う必要があるので、本来なら多くの人々が求めている物やサービスを、生産規模を大きくして安く提供するということが出来ません。つまり、闇市場は原材料や労働力の節約を妨げます。自由市場ならば、その節約出来ていたはずの原材料や労働力は、他の物やサービスの生産に回すことが出来たはずです。
もう一つの深刻な問題は、闇市場では品質や契約にまつわる争いを平和裏に解決する司法のサービスが得られないということです。従って、闇市場は暴力犯罪の温床になり、人々の生命・身体・財産が危険に曝されるようになります。そうすると、人々は暴力犯罪を避ける対策を取らざるを得ないようになります。この犯罪対策のために使われる資源は、闇市場と暴力の蔓延がない状態ならば、社会の人々が求める物やサービスの生産や技術革新に使われていたはずです。大きな政府を支えるための高税率から逃れるため引き起こされた闇市場の拡大は、社会の経済成長を妨げるのです。
「大きな政府」は、税を使って補助金を与えることで衰退している産業を保護育成しようとします。また、役人を雇って特定の経済活動を制限し、競争者を排除して、特定の国内産業に有利な環境を作ります。この様な政府の補助金や規制を通じた経済活動への介入は、原材料や労働力が社会の中で最も必要とする用途に割り当てられるという自由市場の機能を妨げます。これは上で論じた闇市場の問題と同じです。
例えば、補助金を受け取っていなければ値が上がった鉄鉱石を買うことが出来なかった産業が、補助金のお陰で鉄鉱石を購入して生産を続けられるようになります。もちろんこれが補助金の目的ですが、その補助金のお陰で、実は本来なら人々がもっと重視している新しい用途に鉄鉱石が回ることが妨げられています。
特定産業を競争から隔離保護するための規制にも同じ働きがあります。確かに、特定の産業の衰退や特定企業の倒産を防ぐことは、失業者の増加を一時的に防ぎ、それによって生活を確保出来た人々の票を次の選挙で期待できるという利点が政治家にはあります。しかし、社会の視点からは、倒産を妨げる政府の介入は、倒産したはずの企業の工場や機械や土地、また人材などの資源が、社会がもはや必要としない用途から解放されて他の用途に転用されるのを妨げます。もっと価値を生む用途が存在するにもかかわらず、資源がその用途に使われるのを妨げることによって、政府の経済介入は経済が成長するのを妨げるのです。
政府の経済活動への介入は、個々の産業ではなく社会全体の見地から長期的な展望をもってなされているから、個々人の利益の増大を目的とする民間の投資に較べて社会全体の成長に役立っているはずだと主張する人がいるかもしれません。政府による経済介入は多岐多様に渡るので、中には成功とみなされている例もあるでしょう。しかし、実際には、政府による経済介入は自由な市場における民間人の経済活動に較べて、社会全体の利益にならないで特定集団を利することが多く、また長期的な展望に欠くことが多いのです。
まず、税とは、投資を上手に行って儲ける方法を知っている人たちから、投資資金を政府が取り上げるという行為です。そしてその取り上げた金の使い道を、政治家と役人が決めます。しかし、政治家と役人は、元々他人の金である税をどのように使っても自分自身が結果の責任を取ることはありません。政治家や役人の投資の見返りに対する態度は、自分自身の金の使い道を決めている人たちの態度とは根本的に異なります。
政府による補助金や規制は、特定の国内産業に大きな影響を与えます。補助金をもらえるかもらえないか、また規制により競争者が排除されるかされないかは、特定の産業にとって死活問題です。これらの産業の構成員にとっては、金を出し合って圧力団体を作り政治家に選挙資金を提供して補助金や規制の審議立案過程に圧力をかけることは、割に合う投資活動です。政治家にとっても、圧力団体の意向に合わせて補助金や規制を導入することで、選挙資金と支持母体が得られます。多種多様に渡る補助金や規制に一々関心を払う一般有権者は少ないので、一つ一つの補助金や規制は、社会全体のためよりも特定の業界を利するように立案実行されるようになるのです。今まで投資に成功して儲けている人が今までどおり儲けを投資に使うことが許されていたならば成長していたであろう産業が、徴税によって犠牲になる代りに、政治家に取り入った特定の産業がその税の割り当てを受けるのです。
また、政治家は常に選挙運動の最中にあります。長期的な展望や国民全体のためという建前を公の場では強調しても、政治家の関心は次の選挙にあります。補助金や規制の審議立案も、政治家は次の選挙に勝つという短期的な目標を念頭に置いて行います。ここでは政治家の性格や資質を問題にしているのではありません。問題なのは、常時選挙に直面している政治家はその立場上、次の選挙に勝つために、一部の圧力団体の意向を汲んで補助金や規制の内容を決める傾向から逃れられないということです。
また、幅広く経済に介入する権限を有する大きな政府のもとでは、民間企業は圧力団体を作って政治活動に多額の資金を投入するようになります。この資金は、必要がなければ物やサービスの生産活動や技術革新に使われて経済の成長に貢献していたはずのものです。ところが、政府が様々な補助金を支給したり規制によって経済活動を制限し始めると、競争相手の政治活動に対抗するために、各企業が政治活動を活発化させます。競争相手を有利にする補助金の成立は妨げなければなりません。また、自分の商売をしにくくする規制の成立も未然に防がなければなりません。逆に、うまく補助金をせしめれば得をするし、新たな規制の導入で競争者を排除出来るかもしれません。経済活動に幅広く介入する政府の下では企業は政府の力を借りてお互いの足の引っ張り合いをしているのです。
ここでも、企業経営者の人格を問題にしているのではありません。政府が様々な経済介入を行っている状況では、企業経営者は常に政治家の動向に注意を払い、政治家に対する影響力を維持しておく必要があります。このような行為を好むと好まざるとにかかわらず、そうしないと生き残れないという仕組みがここにあります。政治活動に多額の資金が使われる所以です。
政府による経済への介入の度合いが大きい社会では、贈収賄の誘惑も大きくなります。例えば、政府自らが膨大な地下資源を管理している社会では、地下資源の採掘権を獲得するために政治家や役人に対する贈賄活動が活発化する傾向があります。賄賂を贈る側からすれば、採掘権を獲得した場合の利益に較べれば賄賂の額は微々たる物です。また、政治家や役人にとっては、地下資源は自分のものではありませんが、受け取った賄賂は自分の懐に入ります。採掘権そのものに最も高額を提示した者ではなく、政治家や役人に賄賂を贈った者に採掘権が与えられるということは、地下資源がその最も価値のある使い道を知っている人によって使われないということです。政治汚職は資源を無駄に配分する分、経済の成長を妨げるのです。
また、大きな政府は、補助金や規制を通じて経済に介入するだけでなく、自らも物やサービスの生産者として経済活動に参加します。大きな政府が生産し分配する物やサービスは、煙草や塩、電話電報、郵便、博物館や劇場、スウィミング・プールや図書館など多岐に渡ります。しかし、政府が物やサービスの生産と分配を行うと、どんなものでも市場に較べて割高になり、同じ資源を投入して得られる物やサービスの量が、市場が自由に生産した場合に較べて少なくなる傾向があります。つまり、政府に物やサービスの生産と分配を任せると、そうしなかった場合に較べて資源が節約されず、節約できた資源を使って得られたはずの分の経済の成長が犠牲になります。
市場で物やサービスを提供する民間人は、誰でも費用を削減することに熱心です。それは、費用を削減出来ると自分の収益が増えるからです。また、競争者が費用を削減することに成功して自分よりも安く商品を提供するようになると、値段が高い自分の商品が売れなくなり自分は倒産の危機に瀕します。つまり、民間企業はいつも競争に曝されているので、自然と費用を削減するように努力します。ところが、政府の事業に携わる役人は、いくら費用を削減しても自分自身の儲けが増えるわけではありません。そもそも、強制的に集められた税によって賄われている政府事業には、倒産はあり得ません。これが、同じ物やサービスを提供していても民間に較べて政府の事業が割高に保たれる理由です。
大きな政府は幅広く経済活動に介入するのですが、政府の活動を支えるには、多数の役人を雇用する必要があります。役人は国民から徴収された税によって養われているという意味において、役人ではない人たちの生産活動に寄生している人たちです。政府の役割が国防、警察、司法を超えて大きくなればなるほど、社会の中に占める役人の割合が増大し、民間人の一人一人が養わなければならない役人の数が増えます。
社会の中で役人の割合が増大することによる経済活動への負担増は、社会の中で泥棒をしながら生活している人たちの割合が二割、三割、四割と増大することを想像すれば理解できます。泥棒は、自分の能力を他人が生産したものを盗むことに使って生活している人たちですが、彼らは自ら生産活動に従事しません。もしも、社会に存在する泥棒全員が、泥棒であることを止めて社会の他の人々が望む物やサービスを生産することに専念するようになれば、社会の経済活動は増大します。今まで泥棒に従事していた労働力が生産活動に向けられるようになるからです。
同様に、大きな政府の中で役人として税に養われている人たちの多くが役人であることを止めて他の人が望むものを作るように努力するようになれば、社会の経済活動は増大します。もちろん大きな政府に雇われていた役人の多くが急に解雇されれば、失業率は一時的に増大するでしょう。しかし、役人であることを止めた人たちは、努力と試行錯誤によって他の人たちが求める物やサービスを発見し、その生産に従事することで以前よりも多くの人々を満足させるようになるでしょう。
大きな戦争が終わって平和が訪れた時には、軍隊は解体し、また政府の事業を受注していた軍需産業も大幅に縮小するので、復員してくる兵隊や失業した人たちが同時に新しい仕事を探し始めます。その結果、失業率は一時的には増加するのですが、やがて失業率も下がり経済が成長し始めます。これは、政府が戦争を遂行しなくなった後、税が下がり、政府による産業の統制が緩やかになり、情報交換の自由が許され、闇市場が縮小し、原材料や人材が、それらを最も必要とする用途に転用されることが容易になるからです。資源が最も価値を生む目的に素早く移動できる社会では、経済は早く成長するのです。
しかしながら、社会の中で役人の割合が増大すると、政府を縮小する改革は実行されにくくなります。政府を小さくするということは、税を下げ役人の数を削減するということですが、すでに大きくなった政府を形成している役人の集団は、税を集めて使う権限を持つ政府を運営するという自らの地位そのものを使って、役人の数を削減しようとする政策に反対します。さらに、強制的に集められた税を使って、自分たちの業務の必要性を正当化する世論操作にも従事します。上で述べたように大きな政府が経済成長を妨げるのは明らかなのにもかかわらず、大きな政府の美徳を讃える意見が社会で多数を占めている理由は、役人集団が情報操作の上で強い力を保持しているからです。
これまでみてきたように、高い税をかけ、経済に広く介入する大きな政府は、人々の労働意欲を抑圧するだけでなく、資源を無駄に使います。生産活動で使われていた資源の一部が、税を避けたり規制を逃れたりするための活動に費やされるようになります。また、政府の補助金や規制は、原材料や労働力などの資源が社会の人々が最も価値を置く目的に向けられることを妨げます。そして、政府の生産活動は民間に較べると割高です。さらに、大きな政府に雇われている大勢の役人は、他の人たちの生産活動に寄生して生きています。従って、政府を小さくすることは、資源の無駄使いを減らし、資源が社会が最も価値を置く用途に転用されることを容易にするので、経済成長を促進するのです。
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