#306 日本民謡のオンパレード ~「民謡アパート」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

 ある大家(おおや)さん、大の民謡好きで、自分が経営するアパートも“よさこい荘”(よさこい節)と名付け、民謡の好きな人にしか貸さないという徹底ぶりである。

 

(播磨屋橋・高知 2012年)

 

 一人の男が部屋を借りにやって来た。「お客さん、民謡はお好きですか?」「大好きです」。客も情報を仕入れて来ているから抜け目はない。「うちはそれが条件になっていますので」「承知しています。ところで、敷金とか権利金とかはどうなっています?」「それは常磐炭坑節です」「はあ?」「歌い出しが、〽ハアー、朝も早よからカンテラ下げてナイ でしょう。つまり、“無い”ということです」「それは助かりますね、ぜひ、お貸し下さい」「一応民謡好きということを確認させてもらってからお返事します。今から私がある民謡の出だしを唄いますから何県の民謡かを答えて下さい。先ずは、ヨーイサノマカショ エンヤコラマカセ(①)」「えーと秋田、土佐、柴?、わかりません」「犬の名前でなく県の名前ですよ。真面目に答えて下さいよ。では、これは簡単でしょう、〽エンヤトット エンヤトット(②)」「わかりません」「本当に民謡がお好きですか?怪しいですね、では最後にこれはどうでしょう? 〽ハ エンヤーコラヤ ハ ドッコイジャンジャン コラヤ」「わかりません」「全然駄目ですね、これは北海盆唄ですから北海道ですよ」「北海道は県ではありませんよね」「屁理屈を言うんじゃない、返事は伊那節です」「と言うと?」「〽ヨサコイ アバヨ。あなたにはお貸しすることはできません。失格です、お帰り下さい」。

 

 入れ替わりに2人目の客が来た。いきなり、八木節の替え歌で挨拶と借家の申し込みをする。「おばあさん!楽しい人がお見えになったよ。お茶を入れておくれ。はいはい、どうぞお上がり下さい」。大家は大喜びでお返しに真室川音頭の替え歌で歓迎の意を表した。「私はキサラズ ジンク(木更津甚句)と申します。借りる条件は承知しております。お貸し頂けますでしょうか?」「珍しい、いいお名前で。私はクロダ セツオ(黒田節男)と言い、読み方ではクロダ フシオです。で、お歳は?」「三年前に秋田甚句を過ぎました」「なになに、秋田甚句は、〽甚句踊らば三十が盛り とあるから33歳ですね。ご家族は?」「オバコという家内に、オコサとサノサという娘が二人の4人家族です」「それはまた民謡一家ですね。で、お仕事は?」「南部で牛追い(南部牛追い唄)、静岡で茶摘みをやり、今は風呂屋の番台をやっています。“あいつは番台(会津磐梯山)だ”と友達には言われています」「おお、洒落ですか、結構、結構。奥様も民謡がお好きなんでしょうね?」「そりゃもう大好きで、朝など、おこさ節の替え歌で起こしてくれます」と替え歌を唄う。「それは羨ましい、おばあさん、お茶はまだかい? 何、お茶を切らした?(ちゃっきり節)、おばあさんまで洒落を言って…」「それに子供たちも民謡が大好きで、登校時にはドンパン節の替え歌を唄いながら家を出ています。それにこの前など、私が風邪を引いて咳き込んでいますと、“父ちゃん、5分待ったら止まるよ”と言われました。関の五本松なんちゃって。ところで、部屋はお貸し頂けますでしょうか?」「返事は木曽節です。〽木曽の御岳ナンジャラホイ 夏でも寒いヨイヨイヨイ、どうぞ借りて下さい、こちらからお願いしますよ」「有難うございます」。

 

 「おやおや、上の階が騒々しいが何かありましたか?」「大家さん、3階の米山さんから火事が出ましたが、皆で消し止めたので小火ですみました」「それは良かった。怪我人はありませんでしたか?」「民謡のお蔭で三階無事(三界節)でした」。

 

 上記は三代目桂文生の高座から書き写した「民謡アパート(みんようあぱーと)」という音曲・滑稽噺である。噺に出て来た民謡名は赤書きした。因みに①は最上川舟唄(山形県)、②は斎太郎節(宮城県)である。皆さんはいくつご存知でしたか?

 

【雑学】

(下津井港・岡山 2014年)

 

 日本民謡は日本各地の庶民の間で唄い継がれてきた日本人の心の歌と言えよう。作詞・作曲者は不詳で楽譜というものもない口承文化である。人々が集まった時に自然発生的に産まれたものが唄い継がれて来たものであろう。

 

 歌と踊りは人類の本能で、原始の時代からあったと思うから民謡の原点はそのあたりにあるのであろう。農業、漁業、林業のいわゆる第一次産業に従事する人々の暮らしに結び付いた神仏への祈りと願い、労働と収穫への感謝そして盆踊りなど住民の慰安の歌であった。労働歌、祝い歌、子守唄、踊り歌、お郷(くに)自慢などに分類され、生活に根差した歌であったから素朴で、作り物にない迫力が感じられるのが民謡の特徴であろう。仕事の苦しさを忘れるために唄う労働歌が多いのも民謡の特徴で、黒人霊歌やロシア民謡に通じるものがある。

基本的にはマスメディアのない時代に発生したものであるから最初は局地的なものであった。その後、北前船の船頭や旅芸人などの全国を旅する人たちによっていい歌は口承によって全国化して行った。大正末期(1926年頃)までは大衆の間で広く唄われて来たが、1929年頃に歌謡曲という新しいジャンルが登場して流行歌の地位を奪われることになった。それでも、宴席がお座敷中心であった1960年代頃までは手拍子歌として唄われたが、カラオケの登場もあって歌謡界から消えて行った。高度経済成長を指向していた日本には古臭さくて合わないという存在であった。

 

 

 消え掛かった民謡の灯が一瞬輝いた時期があった。それは、原田直之と金沢明子という2人の人気民謡歌手が登場した1980年前後のことである。NHKテレビ「民謡をあなたに」という週一番組の影響も大であったと思う。私もこの時期集中的に各地の民謡を聴いた。そしていい歌をたくさん知り、捨て難い魅力を感じたものであった。だが、ブームに終わった。古いと診る向きもあろうが、日本人の心の原点としてまた大衆歌のルーツとして唄い継いでいかなければいけないと私は思う。

 

(白川郷・岐阜 2012年)

 

(祖谷渓・徳島 1969年)

 

(草津温泉・群馬 2001年)

 

 

 

 

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