#179 行商人の思わぬ出世物語 ~「小間物屋政談」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

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1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

一般の国民が裁判官と一緒に刑事裁判を行う“裁判員制度”がスタートして10年が経過しようとしている。当初は不安材料も含めて大きな話題となったが最近は報道されることがないように思う。上手く定着したということであろうか。毎年有権者の4千人に1人が選任される勘定になると言われていたから自分が選任される可能性も低くないなと思っていたが、今のところ選任されたことはない。

さて、人間の性であろうか、洋の東西を問わず昔から人は裁判を好むようで、小説、映画、テレビドラマや芝居でも法廷ものの人気は高い。落語でも法廷ものいわゆる政談ものが多く作られており傑作も多い。ここでは「小間物屋政談(こまものやせいだん)」を聴いてみよう。

 

江戸・京橋で小間物の行商(背負(しょ)小間(こま))を営む相生屋小四郎が大家さん宅を訪ねる。「流行の品で一儲けできましたので、これからその品を持って上方へ行ってもう一儲けし、ついでに上方の流行品を持って帰ってこようと思います。ついては女房のおときが一人になりますので宜しくお願いします」「あんたは働き者だね、商才もあるし。引き受けましたよ、安心して行ってらっしゃい」。小四郎は心置きなく上方へ向かって旅立った。

 

江戸を発って3日目、箱根の山中に差し掛かった時便意を催し、道筋をはずれて藪の中へ入って行く。と、襦袢一枚の姿で木に縛られている男を発見した。訳を訊くと、男は江戸・芝で同じく小間物商を営む若狭屋甚兵衛という者で、湯治に行く途中で山賊に遭い、身ぐるみ剥がされたのだと言う。同業者ではあるが若狭屋といえば江戸で1、2を争う大店で、背負い小間の小四郎とは月とすっぽんほどの違いがある。

小四郎は縄を解いてやって自分の着物と帯それに1両を貸し与える。甚兵衛は感謝し、「江戸へ戻りましたらすぐにお返しに上がりますからお所とお名前を教えて下さい」と言う。小四郎は所と名前を紙に書いて渡し、二人は西と東へ別れる。

 

甚兵衛は小田原の宿で一泊するが、元々病身であった上に事件で受けたショックもあって急死してしまう。亡骸を改めると、懐から“江戸・京橋 相生屋小四郎”と書かれた書き付けが出てきたので、早飛脚を飛ばす。

 

報せを受けたおときは大家に連絡、大家が身元確認のために箱根へ飛ぶ。死体と対面するがすでに数日が経過していた為腐敗が始まっており、大家は主に着ていた着物から小四郎だと早々に確認し、荼毘に付し骨にしておときのところへ持ち帰る。

 

三十五日の法要が終わった頃、「おときさん、あんたはまだ若いんだから独り身を通すわけにもいかないだろう。小四郎の従弟の三五郎と所帯を持ってはどうか」と大家が持ちかける。おときは、「せめて1年は今のままで」と言いながらも満更でもなく、二人は祝言を挙げる。

 

数日後、小四郎が上方から帰って来た。おときと三五郎は「幽霊だ!」と大家さんの家へ駆け込み、小四郎は「おときの奴、俺の留守中に男を引っ張り込みやがって。大家の奴、あれほど頼んで置いたのに何を見てやがったんだ」と憤懣やるかたない様子。

大家を交えて4人で話し合い、事実関係が分かるが今更どうしようもない。大家がおときに判断を委ねると、おときは「三五郎さんを選ぶ」と言う。「そういうわけだから小四郎、諦めて消えてしまいな」と大家がつれない裁定を下す。納得のいかない小四郎は「お恐れながら」と奉行所へ訴え出る。

 

お白州が開かれ、関係者一同が出廷している。奉行は大岡越前守。「これ小四郎、そちの言い分はよくわかるがおときの心変わりもあり、そちに分はない。小四郎は死んでしまえ」と越前守の一方的とも思える判決が下される。しかし、さすがは名奉行、判決はこれだけではなかった。

「さて甚兵衛の妻およし、そちの年は?」「26歳でございます」「子供は?」「ございません」「して資産は如何ほどじゃあ?」「資産は3万両、使用人は23人でございます」「左様か、して小四郎のことをどう思うか?」「ご同情致しております」「では小四郎と夫婦になれ、どうじゃ?」「異存はございません」と奉行とおよしのやりとりが行われる。

「小四郎、そちはどうじゃ?」と訊かれた小四郎、顔を上げておよしを観ると、これが絶世の美人で一目惚れし、おまけに大の資産家と知って即座に「手前も異存はございません」と答える。「相分かった。相生屋小四郎は今日を限りに死んだ。今からは若狭屋甚兵衛と改名せよ!」「ありがとうございます。手前、生涯背負いきれないご恩でございます」「これこれ、本日よりそちは若狭屋の主人であるぞ。もう背負うには及ばぬ」。

 

小間物とは白粉、口紅、かんざし、笄(こうがい、髪飾り)など女性が使う化粧品や装身具のことで、これらの品を箱や篭に詰めて背負い、戸別販売して回ったのが“背負い小間(しょいこま)”である。

 

昔の人が長旅をする場合、一日に10里(40Km)歩いたという。大阪―京都間の距離である。いつもながら江戸時代の人の脚力には感心させられる。

 

 

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