#145 膳所と銭 ~「近江八景」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

演目に末広がりの「八」が付く噺として「近江八景(おうみはっけい)」を聴いてみよう。他には、「八百屋お七」、「地獄八景亡者戯」「夢八」「ざこ八」「両国八景」そして「八五郎出世(一般題は「妾馬」)」がある。

 

「琵琶湖南部の名勝を選んだ近江八景というものがあります。即ち、粟津の晴嵐、石山の秋月、堅田の落雁、唐崎の夜雨、瀬田の夕照、比良の暮雪、三井の晩鐘、矢橋の帰帆の八つでございます。この他に“膳所(ぜぜ)の城”も名勝ですが八景には選ばれていません。これがサゲの伏線となっています」と前置きして噺に入る。

 

ある男が遊廓の女郎に入れ揚げている。来年、年季が明けたら世帯を持とうと約束してくれているが、本当に来てくれるかどうかの確信が持てない。友達に訊くと、「ああいう場所の女は手練手管で男を騙すものだから入れ込まない方がいいよ。第一、あの女郎には将来を約束した間夫(情夫)が居るよ」と言う。

 

それなら女郎の本心を易者に鑑てもらおうと大道易者を訪ねる。易者は「年季が明けてお前さんのところへ来ることは来るがそれは本当に好きな男(間夫)の受け入れ準備が整うまでの一時しのぎだ。やがてお前の家を出て間夫のところへ行くであろう」と易断を下す。

「そんな筈はないでしょう。こんな恋文をもらっているんでっせ」と女郎からの近江八景を織り込んだ恋文を見せる。「しからば私も先ほどの卦を近江八景を織り込んで申し聞かそう」と易者も美文調に占いの結果を伝え、「女郎はあなたには惚れていない。諦めなされ」と言う。

「ああそうですか。おおきに。ほな、さいなら」「もしもしお客さん、見料を」「近江八景に(ぜぜ)は要らん(膳所は入らん)」。

 

近江八景は1500年頃に成立したもので、“~八景”の元祖と言われているそうである。従ってこの落語が出来た頃は全国的に名が通っていたのであろうが、その後、数多くの“~八景”があちこちに出来て知名度が低下していき、高座に掛けられることも減って行ったと思われる。私が聴いたのも初代橘ノ円都の一席だけである。恋文と易断はどちらも美文調でよく出来ているが、見られなくなった風景も多く、割愛した。この噺も賞味期限が来ているようだ。

初代円都は1900年代の前半期に人気を博した噺家で、90歳まで高座に上がり続けて上方落語界を牽引した。音源も多く残されているようであるから、上方落語のテキストとして一通り聴いてみたい噺家である。

 

【雑学】近江と言えば近江商人が有名である。彼らは近江八幡、五箇荘ならびに日野地方から発祥したと伝えられており、優れた経営感覚で地場産業を興すと共に多くは東京や大阪に出て起業家として大成功を収めた。近江商人の心得は、“売り手よし、買い手よし、世間よし”の「三方よし」だそうである。商売の哲学とも言うべき味わい深い言葉であると思う。一時流行した企業メセナという体育・文化の振興や地域への利益還元も昨今は下火になっているように思う。企業が“世間よし”を忘れずに地域との結びつきを本気で推進した時、何かと弊害の多い東京への一極集中化もいくぶん緩和されるのではないかと思う。

 1985年頃、近江商人を題材にした「てんびんの詩」というDVDが社員研修によく使われたことを思い出す。近江商人の家に生まれた少年が行商を通して商いの心を会得して行く過程と苦悩する我が子を心を鬼にして見守る両親を描いた感動のドラマで、親子で一緒に見て欲しい映画である。

近江商人発祥の地は今、町興しの材料となっているが、中でも近江八幡は見所が多く、一日の散策にもってこいのお薦めのスポットである。八幡堀は「鬼平犯科帳」などのテレビ時代劇のロケ地としてよく使われる。

 

 

(上:商人の町並み 下:八幡堀・滋賀 2003年)

 

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