#75 酒で失態を演じた香具師 ~「蟇の油」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

 鉢巻きに大刀を差した浪人風のガマの油売りが、人が多く出ている大道で「さあさあ、お立会い、ご用とお急ぎでない方はゆっくりと聴いておいで。遠出、山越し笠の内…、手前持ち出したる軍中膏ガマの油…」と、おなじみの口上を述べながら“ガマの油”という傷薬を売っている。薬の原料から製造工程さらには効能に及ぶ、立て板に水の上手な口上に釣られて多くの人垣ができている。口上によると、薬はガマガエルの汗や分泌物を煮詰めて軟膏にしたもので、効能は切り傷を始めとして痔、しもやけ、あかぎれ、歯痛を治癒するものと宣伝している。

やがて、刃物の切れ味を止めるというもう一つの効能の宣伝に入り、腰に差していた大刀を抜く。半紙を重ねて斬りながら「1枚が2枚、2枚が4枚、4枚が8枚、…64枚が128枚、フッと吹けば春は三月落下の舞い。だが刀にガマの油を付けるときは、ほら押しても引いても私の腕は斬れない。さあてお立会い」と口上を述べ、最高潮に達したのを見計らって「いつもは1貝200文だが今日は特別に1貝100文でお分けしよう、あ、1貝ですか、早速ありがとう、へい、こちらさんは2貝で、ありがとうございます。順番に承って参ります」と大層な繁盛ぶり(この口上が演者の聞かせ所である)。

 

商売が一段落し、大層な売れ行きに大満足したガマの油売りは一杯やりながら飯にする。だが、ついつい度を越してへべれけになってしまう。まだ、日が高く帰るには早い。もう一仕事しようと欲を出して店を開いた。だが今度は、酔っ払っているので口上はろれつが回らず、間違ってばかり。刀の切れ味を試す段では「16枚が…、16枚が…何枚だ?」と勘定が出来ない。見物人が「32枚だろう」、「そう、ありがとう」と礼を言って続ける始末。「32枚…、ほら押しても引いても斬れない……、いや、斬れた、血が出てる。だが、心配は無用、このガマの油を一塗りすれば、ほらご覧の通りぴたりと…止まらない! どんどん血が出る、もっと塗れば…、やっぱり止まらない。全部塗ってみる…、全然止まらない。大変だ! お立ち会いの中に血止めの薬をお持ちの方はないか?」。

 

これは「蟇の油(がまのあぶら)」という滑稽噺である。上記のあらすじではガマの油売りの口上は割愛したが、リズム感と抑揚が難しく、さすがの噺家の多くも苦戦しているように思う。そんな中で、三代目春風亭柳好が群を抜いて上手かった。現役では、四代目三遊亭金馬「高田馬場」の中で見事な口上を披露している。なお、この頃は軟膏は貝殻に入れ、紙封されて売られていた。

 

私が会社員になった1960年代では宴席は専ら座敷の時代であった。出席者は余興に何かのお座敷芸が求められ、部課長は三味線に合わせて小唄、端唄、都々逸や民謡を披露し、私は好きな歌謡曲を伴奏なしで唄ったものであった。音楽の苦手な人では浪曲や講談のさわり、ガマの油売りやバナナの叩き売りなどの香具師(やし)(テキヤ)の口上を覚えた人も少なくなかったし、口上などが書かれた「隠し芸全集」のような本も多く売られていた。

 

テキヤ(的屋)と言えばこれを生業(なりわい)としたフーテンの寅さんをイメージする人が多いのではなかろうか。京成電鉄の柴又駅前に彼の銅像(写真 2009年)が建てられている。

 

 

 


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