一度目より二度目に聴いた方が面白いという不思議な落語「転失気(てんしき)」を紹介しよう。
あるお寺の和尚が体調を崩し医者に往診に来てもらう。一通り診た後「ところで、てんしきはおありか?」と医者が訊く。和尚には何のことだか分らなかったが、物知りでなければならない僧侶の手前訊くわけにもいかず「ありません」と答える。「それはいけませんな、お薬を調合しておきますから小僧さんに取りに来させて下さい」と医者は帰って行く。
気になって仕方がない和尚、小僧の珍念を通してその正体を探ろうとする。
「これ珍念や、てんしきを持って来なさい」「てんしきって何のことですか?」「お前は忘れぽくっていかん。この前、お前が何処かへ仕舞っただろう。何でもすぐに私に訊くのはお前の悪い癖だ。私は知っているが、教えない。檀家へ行って借りて来なさい。そうすればどこに仕舞ったか、思い出すだろう」。
小僧は言われた通り檀家を訪ね、「てんしきを貸して下さい」と頼むと、雑貨屋では「てんしきねェ?ああ、売り切れました。明日、入荷します」と言われ、花屋では「昨日まで床の間に飾っておいたが今朝、味噌汁に入れて食べてしまいました」と言われ、また別の檀家では「棚から落ちて割れたので捨てました」と言われる。
小僧があきらめて寺へ帰り報告すると、「では先生の所へ行って、私が訊いていたとは言わずに“てんしきって何ですか”と訊いて来なさい。それからお薬も貰ってきておくれ」と和尚が言う。
小僧は医者の所へ行き薬を貰う。「ところで先生、てんしきというのは何のことですか?」「おお、先ほど和尚に訊いたのを聞いておったのじゃな。てんしきとは中国の古典から出た医学用語で、“気を転し失う”の意で“転失気”と書く放屁つまり“おなら”のことだ」。
「おなら?!」思いもかけぬ答えに小僧は吃驚、「和尚は“借りて来い”と言ったな、和尚も知らなかったんだ。よーし、悪戯してやろう」。
寺へ帰った小僧、「和尚さん、分かりました。てんしきとは盃のことです」と言う。「何、盃とな?酒を呑む器、“呑酒器”と書いててんしきか、成程」と和尚は一人合点する。「そうなんだよ、珍念。てんしきとは盃のことなんだ。何を笑っているんだ?よく覚えておきなさい」。
翌日、医者が「塩梅はどうですか?」と様子を診に来る。「お蔭さまですっかり良くなりました。ああ、それから、あの折は“ない”とお答えしましたが呑酒器はありました」「おお、それは良かった。どんどんやりなさい」「はい、大好きですから。今日は我が寺に代々伝わる呑酒器をお見せしましょう」「えッ!!!、見せる??」「只今出しますから。これ珍念、呑酒器を持って来なさい」。小僧が三つ組の盃を持ってくる。驚いた医者が「医家の方では転失気とはおならのことを言いますが、寺方では盃のことを言いますか?」「……、さようで」「それは又どういう訳で?」「度が過ぎると、ブーブー文句を言う奴が出ます」。
知ったかぶりを笑い者にした傑作であるが、サゲに今一つ切れがなく一工夫欲しい所である。転失気という言葉は「傷寒論」という中国の医学書から出た医道用語だそうである。こんなあまり知られていないであろう専門書をも題材にする落語は隅に置けない代物である。