大学生が読む経済

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経済についていろいろまとめてます

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財政赤字の経済学的なバックボーンについて紹介していきたいと思います。


財政赤字の賛成派はケインズ派が多く、反対派はほぼそれ以外、マネタリスト、リフレ派等である。彼らの主張をまとめると、このようになる。



ケインズ派 財政赤字、即ち国債の発行は、不況期において、有効需要を作り出し、経済を活性化させる。結果1次的には国債の発行は、負担になるものの、景気の活性化によるGDPの成長、税金の増収、それに伴うインフレなどで、寧ろ経済を成長させることとなる。



マネタリスト派 財政赤字、即ち国債の発行は、経済を活性化させない、また政府は非効率であり、国債が多く発行されるということは、その分だけ本来民間で使われるべき資金を政府が奪ったということであり、経済成長を低下させる。



この考え方の違いはどこから来たのだろうか。



ケインズ派は不況時に有効需要が足りず、公共事業、橋や道路を作ることで、仕事を増やし、乗数効果が高い事業をすることで、景気が上向くと考えた。しかし、国債発行には世代間の不平等格差、世代内での資本移動等負の側面がある。だが、国債を発行しなければ、経済成長が落ちてしまう場合を考えると、このような不利益を蒙っても、それを上回るメリットがあると認識している。



マネタリスト派の考えでは有効需要は存在しない。また中立命題という仮定の下、国債を発行し、1次的に政府が多くお金を使っても、将来、来るであろう増税に備えて、消費や投資を増やさないという仮定を置いている。よって彼らの論理では公共事業を実行して各方面にお金が落ちても、将来の増税に備えて誰も消費を増やさないという考え方である。当然公共事業による波及効果は認めないということだから、公共事業の効果はほぼないに等しい。また、国債を発行することによって、政府と市場での資金の奪い合いが起き、金利が上昇し、本来民間がすべて使えるはずだった資金が減り、投資が減ってしまうというクラウディングアウトが起こるという主張もある。



つまりケインズ派は公共事業の経済刺激効果を重要視し、マネタリストは公共事業の経済刺激効果をほとんど認めていない。またどちらも国債発行には世代間の不平等格差、世代内での資本移動等負の側面があると認めている。ようは公共事業の有用性の1点が真の問題なのである



では公共事業の効果がないというのならマネタリスト派どうやって経済を刺激しようとしているのか。それは量的規制やインフレ規制である。かなり大雑把に言えば、一定量の金融緩和を継続性をもってやり、インフレを抑えれば経済は活性化するという主張をしている。そのためには政府は支出を控え、インフレだけを気を付け、余計なことはするなということである。



纏めると、ケインズ派は不況時に公共事業をして景気刺激を、マネタリスト派はインフレ安定による、市場の活性化による成長をという考え方である。

財政崩壊を食い止める-債務管理型国家の構想

昨日の記事の続きです。公共事業の効果の低下→国債の累積→ハイパーインフレの流れを説明しています。




本当の問題とは

バブル崩壊後、景気循環そのものが変化してしまい、今までの前提を基にした議論は有効性を失った。第一に「大きな政府対小さな政府」。「市場主義対政府介入主義」といった対立軸が崩壊した。1994年ごろを頂点に市場原理主義にもとづく、例外なき規制緩和政策をとったが、たちまち金融システム不安に陥った。すぐに大きな政府路線に戻ったが、景気が回復基調になると、財政課構造改革法と、金融ビックバンという「小さな政府路線」に戻ったが、第2次金融システム不安を招いた。第2に短期的な景気対策としての公共事業の効果が著しく低下しているが、マネタリストが想定する経路、クラウディングアウトによっては発生していない。なぜ景気対策が効かないのか。それはバブル経済破たん処理失敗によって、銀行とゼネコン・不動産業が腐食循環に陥っている点にある。

公共事業の実施→ゼネコンが借入金返済→銀行はゼネコンなどへの債権放棄や不良債権に対する引当金充当→中小企業への貸し出しが伸びない。

量的緩和政策→銀行国債購入

雇用不安+消費の低迷→雇用リストラによる収益確保

以上のような理由から企業への貸し渋りが起きているのである。 

よって経済波及効果は起きず、公共投資の効果は減ってしまっている。

財政破たんへの道

財政崩壊は国債価格の急激な下落(長期金利の上昇)局面を迎えるときにおこる。2つのケースが考えられる。1つは景気が低迷したままで、一層の国債発行が行われ、財政が危険な状況になり、国債価格が急落するときである。もう一つは、景気が上昇傾向にあり、民間の資金需要が増加するときである。この場合クラウディングアウトが起こる。いずれのケースも国債価格の急落が景気回復の足を常に引っ張ることとなる。また、特に前者は不況がつづいている状況下で金利が上昇していくので、不況から抜け出せなくなり、最悪の事態に陥る。さらに問題なのがこうした事態になれば財政再建からますます遠のいていき、金利の上昇のために発行利回りが高くなって国債費が膨張し、新規国債の発行収入は国債費に吸い取られてしまう。いわゆるdebt trapに陥ると、さらに景気は悪化する。日銀の国債引き受けをすればやがてはハイパーインフレに行き着く可能性が高い。

財政崩壊を食い止める-債務管理型国家の構想

神野直彦 金子勝 2000年発行


この本も公共事業を抑え、財政赤字を止めて置くべきだと主張しています。ただマネタリズム的な考え方だけではなく、独自の論点で批判しています。まずは財政赤字をめぐる考え方の歴史から。


          財政赤字をめぐる論争点

ケインジアンは財政赤字を伴う総需要管理政策の有効性を主張してきた。それに対して、2つの石油ショックを得た1970年代末頃からマネタリスト、サプライサイド経済学、公共選択学派からケインズ経済学に対する批判が高まってきた。

短期の場合

ケインズ経済学:ケインジアンは不況の原因を総需要の不足と捉え、市場メカニズムの自動調節機能を疑問視する。それ故、政府が国債を発行して市中の資金を吸収し、公共事業を展開することによって人為的に需要を作り出す景気政策が有効であると主張する。政府支出によって乗数効果が働くからだ。しかも通常、不況期には投資先が不足しているので、資金がだぶついて金利も低い。国債の利払い費用もかからない。同じように減税政策も消費を刺激するので、景気対策として有効だと考える。バブル崩壊後に政府が支出をしばしば増やして、景気を刺激しようとするのは、こうした主張をベースにしている。

マネタリスト:彼らはケインズ経済学の総需要管理政策は効果がないと指摘する。クラウディングアウト、つまり国債の発行によって、民間の投資需要を吸収してしまい、金利が上昇し、物価の上昇をもたらす。その結果景気刺激策の効果は減殺されてしまう。彼らが主張するのは、インフレーションの抑制である。貨幣数量説的な立場によって、名目GNPに合わせて通貨供給量を増やしていけばいいと考える。また、極度に人間の合理的経済性を前提とする、リカード・バーローの等価定理も存在する。すなわりいくら国債を発行して景気対策を行っても、人々はいずれ発行した国債の元利償還のために増税が行われると考えて、所得が増加しても消費に回さずに、将来の増税に備えて貯蓄してしまうので、消費需要が刺激されないという議論だ。

公共選択学派;彼らは、ケインジアンの主張する有効需要管理政策が、議員が票を獲得するために「たかりの構造」ができてしまい、好況期になっても、財政赤字の膨張に歯止めがかからなくなってしまうというものだ。というのもケインジアンの議論は政府官僚=賢者という前提にたっていると批判し、財政赤字を法律で制限すべきだと主張する。

長期の場合

ケインズ派:財政政策、公共事業政策の効果において、ケインジアンは、インフラを整備した場合に、資本蓄積と、経済成長の長期効果を重視する。仮にそうした公共投資がなければ、将来世代は低い水準にとどまる資本蓄積や所得を甘受しなければならない。そう考えると現在の世代だけが公共投資の負担を負うのは合理的ではない。即ち各世代で便益と負担を負うべきである。

公共選択派;現代世代が決定したプロセスにおいて、将来世代はその決定プロセスに参加しないまま公債の元利償還費を負うことになると、ケインジアンを否定する。

サプライサイド経済学:財政赤字による総需要管理政策が恒常化すると、過剰に消費に依存する経済体質ができてしまうと批判している。彼らは政府支出の拡大だけではなく、累進所得税・社会保障制度が貯蓄意欲や勤労意欲をそぎ、中長期的に生産性の低下を招くと主張する。いずれの批判者も、政府部門は非効率であり、民間部門こそが経済を成長させるという考え方に基づいていることは言うまでもない。



財政崩壊を食い止める―債務管理型国家の構想/岩波書店
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破綻する日本財政―なぜ財政構造改革が必要か/大蔵財務協会破綻する日本財政 吉田和男 1997年発行


財政赤字が日本経済に悪影響を与えると、この筆者は主張しています。今僕が考えている方向とは違う考え方なので、そういう内容の本も紹介していきたいと思います。


日本経済は長期の不況で年々設備投資が減少し、民間設備投資が減少していたことが巨大な債務を危機感なしに吸収してきた。しかしこのような状況が持続可能とは考えられない。この債務を吸収する能力がなくなるのは目に見えている。しかも政府の債務は本質的な矛盾を持っており、短期的には国債を発行すると停滞している日本経済には+の効果が与えられている。ところが反対に、国債を発行し続けると国民の資源を政府が無駄遣いすることで経済力が停滞してしまう。経済力の低下はまた逆に国債を吸収する力をなくして悪循環に陥ることになる。そして財政破綻すれば国債発行ができなくなる、国債費が財政支出のほとんどを占めてしまう。国債の償還ができなくなる。国債発行ができなくなる、国債発行を行えばインフレや巨額の経常収支赤字になるといった状況を示すだろう。

しかし現実にはそのような現象は起こっていない。しかし国債の利払いを誰がするかという視点に立つとすでに破綻している。すなわちこの財政構造をどうにかしないと、国債はすでに返済できない状況にある。ところが国債発行によって生じる負担を将来世代に負担させている限り、現在のところは財政の矛盾は実感として認識されていない。しかしこれを返すためには消費税率を上げるか、財政支出を劇的に増やさねばならないが、これも民主主義で実行可能とは言いづらい。しかしいずれかが実行できない以上、将来国債は返却されず、財政は破たんしていることになる。よって財政に革命が必要である。

大前提として筆者は、公共投資は無駄であるといっている。公共投資によって経済波及効果はあまり生まれないため景気刺激策としては無能である。公共投資の増額はほかの業界に恩恵を波及せず、将来の国民を犠牲にして、大好況産業である公共投資業界をさらに好況にさせたにすぎず、その分本来投資が必要であった分野には投資が行われてこなかった。新自由主義派的な考え方によれば、ライフサイクル仮説や、中立命題、合理的期待仮説といった考えのもと、公共投資は効果がなく、その無駄な支出のせいで大量の国債が残ってしまい、今後の財政運営に大きな負担となってしまった。また国債の増加は世代間の不公平を生む。

結局公共投資による景気拡大効果が見込めない以上、国債を増発し、負債を増やすのは賢明でない。よって早く財政赤字を解消しなければ、その負担によって日本政府は破綻してしまう。また日本の経済は少子高齢化により、GDPの成長が難しく、これからはゼロ成長でも生きていけるような経済構造や仕組みを作っていかなければならない。そのためにも、現在世代が得をし、成長世代が損をする、国債の増発は控えなければならない。




破綻する日本財政―なぜ財政構造改革が必要か/大蔵財務協会
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財政赤字についての誤解 1

財政赤字で日本は破たんするの嘘


これまで見てきたとおり、内国債である限り、財政赤字とは国内での資金の循環でしかありません。基本的に国家単位で考えると、公債を発行し、元利払いをしても、国の総資源量は変化しません。ようは国内にある資源をどれだけ民間が使うか、どれだけ政府が使うかということで、配分が変わるだけで総量は変わらないのです。その前提の中で、これまで議論してきた問題は、民間内(公債を買った人、それ以外、また世代間)での資金移動のことです。

財政赤字が溜まると破産するといわれていますが、国債の発行者は政府なら、国債の債権者は国民です。財政赤字が増えるということは国民の資産が同額溜まるということです。つまり1兆円の国債発行は国民にとって1兆円の資産なのです。国単位でみると+-0です。

よくあるデフォルト論は、
Ⅰ財政赤字などにより国債の信認がなくなり、買い手がいなくなる。
Ⅱさらに政府は国債を売るため金利を上げるがさらに信用がなくなり、国債がうれなくなる。
Ⅲ最終的に国債が発行、償還できなくなり、金利すら払えなくなる。
Ⅳ政府は国債の支払いを無効化し、デフォルトする。というものです。

しかし日本のように内国債の場合、仮に国債が売れなくなっても①増税、②政府支出の減少、③貨幣発行によるインフレのどれかを選べばよく、政府が別にデフォルトはしません。また最悪④日銀引き受けをすれば、インフレリスクは高まりますが、解決します。ギリシャが破たんしたのは外国債かつユーロ加盟国のため、資金引きあげ後、資源総量が急激に減り、通貨発行権がないため③、④といった手段が取れなかったからです。日本では資金引き揚げ後、必ず国内のほかのどこかに投資されるため、政府が使おうが、民間が使おうが、総資源量は変化しません。別に経済が落ち込むわけでもなく、通貨発行権があるため対応策は十分にあります。ようは状況が違うのです。

しかし民間での資源の偏りはあまりよくなく(世代格差等)、あまり財政赤字はないほうが当然いいですが、あってものすごく困るというわけではありません。

卒論で財政赤字について書くことにしたので、しばらくこのテーマで書いていきます。
財政赤字の経済分析をめぐって 2002年 清水俊裕 財団法人 三菱経済研究所
神奈川大学経済学部専任講師。東京大学大学院博士課程単位取得。元三菱経済研究所研究

前回の記事の続きです。

ではLerner(新正統派)への反論として ③ Modiglianiの主張を見ていきます。

Modiglianiの主張

Modiglianiは公債はだれが負担するかというより、公債発行が経済に与える影響を調べた人です。彼の主張は、政府支出を租税によって補った場合より、公債発行によって補った場合のほうが民間企業の設備投資を減らすことになる。これにつきます。

民間部門の可処分所得が100で8割を消費に、2割を貯蓄に回すモデルを考える。また政府は10の政府支出をする。

租税によって政府支出を補う場合:民間の可処分所得は90(100-10)になりその8割の72が消費に、2割である18が投資に向けられる。政府が何もしなかった場合と比べ2だけ投資が減ったこととなる。

公債発行によって政府支出を補う場合:可処分所得は100のままで。消費80、投資20となる。公債は資産運用であるから、民間部門は20の貯蓄のうち10を公債に購入に振り分けることとなるので、民間の設備投資がむけれるのは10しかなくなってしまう。

このように政府支出を租税によって補った場合より公債発行によって補ったほうが民間企業の設備投資を減らすという結果になる。これは経済成長を引き下げてしまう。

しかし政府支出の効果についてはまだ不明である。例えば政府支出が生産能力の強化に役立つものであったならば、かえって経済成長が高まるといった事も考えられる。しかもこの場合にはのちの世代に負担が転換されるどころか便益をもたらす可能性さえある。この点は「公共投資の生産力効果」といして盛んな検討が行われている分野である。

またこのモデルでは民間の投資意欲が旺盛であり、貯蓄が必ず設備投資に回っているという前提が置かれている。しかし今の日本では利子率はかなりの低水準にもかかわらず、民間の投資意欲は冷え込んだままで、投資が十分に行われているとは言えない。この様なときにクラウディングアウトを心配する必要はないではないか。また余剰資金ならば公共投資によって使うほうがいいではないかとの意見もある。

これで一通りLernerへの反論は終わりました... 長いですが今巷で言われている財政赤字論の考え方の基礎がわかってきました。
財政赤字の経済分析をめぐって 2002年 清水俊裕 財団法人 三菱経済研究所
神奈川大学経済学部専任講師。東京大学大学院博士課程単位取得。元三菱経済研究所研究

前回の記事の続きです。

ではLerner(新正統派)への反論として、①Buchanan ②Bowsen, Davis and Kopf ③Modiglianiの主張を見ていきます。

①Buchanan
彼はLernerの「内国債である限り、将来世代への負担の転換は存在しない」という主張に真っ向から反論しています。Lernerは公債の発行と課税を、民間部門が利用可能な資源を政府が吸い上げるという点において同じことと考えていた。しかしBuchananは政府部門と民間部門のやり取りが自発的なものか、非自発的なものか区別した。
公債:公債を購入する人は、株式や社債などと同様、通常の資産運用の1手段として公債を購入するのであって、自発的なもの。
課税:政府はその個人の意思とは無関係に、課税権という権力を用いて、租税を強制的に徴収す ことができ、強制的なもの。

これを認めるならば、公債発行によって将来への課税負担が起こることとなる。課税という取引を、将来時点に先送りすれば、それによって負担も先送りすりこととなるからである。

このままではよくわからない。、掻い摘んで言うと説明すると
Buchananは「家計単位の負担」を重視しており、ここで問題になるのは国内での資源の配分である。つまり民間での資本移動を問題としている。
公債を買わない人:公債発行の利払いを支払うために、課税を甘受しなければならない。これは 非自発的に強要される負担である。
公債を買う人:公債購入時は自発的に行われ、負担はない。公債償還時、公債発行の利払いを受ける。

つまり公債の利払いのため、①民間から課税 ②課税分を利払いへ は公債を買わない人→公債を買う人への資本移動が起きているといえる。すなわち,LernerもBuncananも、国家単位での負担は起きないといっている(民間の資本移動は問題にしていない)が、Buchananは民間単位での負担(公債を買う人→公債を買わない人への資本移動)を問題としている。 こういう観点では負担は発生している。

②Bowsen, Davis and Kopf
彼らもLernerの「内国債である限り、将来世代への負担の転換は存在しない」という主張に反論しています。彼らの考え方のキーワードは「世代」である。
仮に公債の償還期限をかなり長いと考えて、現在の民間部門と、将来の民間部門が完全に異なる人々から構成されると仮定しよう。その場合、償還世代の人々は、「どこかの時点で公債発行世代の人々から公債を購入した」と考えられる。もしそうだとすると、償還世代の人々は発行世代の人々に購入代金を支払っているわけで、その分に見合う負担が発生していると考えられる。
つまり発行世代と償還世代のやり取りが起こる場合、将来世代の負担が起こると主張している。

この場合、発行世代は政府部門に吸い上げられた資源を償還世代から回収することに成功している。結果として政府サービスをただで受けられることになる。一方償還世代は増税分は公債の元利払いで帰ってくるが、公債の購入にあたって発行世代に対価を払っているのでその分は純粋に負担になってしまう。これはまさに「負担のつけ回し」であり、発行世代が一法的に得をしていることとなる

仮に現在世代が0年に公債を入手、25年後に公債を全て将来世代に売却、50年後に将来世代が公債の償還を行うと考える。(50年後には現在世代は皆死んでいると考える)、また政府サービスは現在世代にしか意味がないものとする。

現在世代 
0年  ①貨幣100を政府に払い、政府は100の公債を民間に発行
25年 ②現在世代が将来世代に100の公債を売り、貨幣100を得る 
つまり25年後には 公債0 貨幣0 で25年より後は無料で政府サービスを受けることができる。

将来世代
25年 ②将来世代が現在世代から100の公債を買い、貨幣100を払う。
50年 ③公債100を政府に払い、政府は貨幣100を民間に支払う。また元利払い分を民間から徴税し、民間に払い戻す。
つまり25年ー50年の間、将来世代にとって意味のないサービスに貨幣100を払っている状態になる。

つまり0年ー50年まで、現在世代が負わなければならない負担を、この例では現在世代が0-25年まで。将来世代が25-50年まで負担している。つまり将来世代につけ回しをしていることとなる。

ここでいう負担とは、将来世代が25年ー50年に、投資や消費をあきらめて、政府の公債に払わなければいけないという意味の負担である結局政府と民間の公債のやり取りでは資源の総額は変わらない。問題は公債のために将来世代が貨幣を使わなければならず、その間消費が抑えられるという点である。将来世代は、50年になれば、貨幣は将来世代のもとに全て帰ってくるが、25年ー50年の間は公債の支払いのため消費を抑えなくてはならない。しかし現在世代は25年ー50年の間、本来使えなかったはずの貨幣100を使うことができる。これが「負担のつけ回し」である。つまり国の視点で見れば資源の使用量は全く変化していないが、民間の間、世代間では変化している

以上の議論がよく言われる「国債は国の借金であり、のちの世代へのつけ回しである」、という主張が通常前提としているものである。太字のとこだけ見れば、主張の結論がわかります。

長くなったので③Modiglianiは次回で。
財政赤字の経済分析をめぐって 2002年 清水俊裕 財団法人 三菱経済研究所
神奈川大学経済学部専任講師。東京大学大学院博士課程単位取得。元三菱経済研究所研究

前回の記事の続きです。

では前の記事の続きで、外国債の場合はどうなるか。
外国債は購入者が海外に存在するため、公債発行時には外国から資源が流入してくる。従って公債発行時には1国全体で使用可能な資源量が増加し、民間部門はその増加した資源によって政府サービスを受けることが可能になる。この時内国債と違って、民間部門が消費や設備投資を減少させる必要はない。

では公債償還時には何が起こるかというと、償還時には財源を調達するために増税が行われるが、元利払いを受けるのは外国の住民であるため、公債償還時には資源が国外へ流出してしまうこととなり、内国債のように自国内で還流することができない。民間部門は増税されて国外へ流出した分だけ利用可能な資源が減るので、消費や設備投資を減少させなくてはならない。

内国債では
増税で 民間→政府 元利払いで 政府→民間 というように資源は自国内で循環していたが、
外国債では
増税で 民間→政府 元利払いで 政府→外国 というように資源は海外へ流出してしまう。

この場合、公債の負担は将来時点、つまり公債償還時に発生する。通称「家計の借金」という言葉によってイメージされるのはまさにこのようなものである。それは外国債が「他者」からの借金であり、借入時には1国で使用可能な資源の使用量は増加するが、返済の時点では減少してしまうからである。

Lernerの結論は
内国債の場合、公債の発行は負担は現在世代のみが負う。
外国債の場合、公債の発行は将来世代が負う。ということになる。

これが何を意味するかというと、よく言われる、「将来世代に借金を残さないために、公債発行を抑えて、増税しなくちゃ」という主張が意味をなさないことになる(日本の国債はほとんど内国債)。国債の発行はあくまで自国内の資源の使用者が変わるだけであり、その返還時に発生する元利払いもただの自国内の資金循環でしかないため、問題とはならない。

以上がLernerの主張のまとめである。しかし、Lernerの考え方には非常に短期の視点なので、長期で見た場合、また違う考え方が出てくる。次は新正統派(Lerner)への反論を紹介したいと思います。
財政赤字の経済分析をめぐって 2002年 清水俊裕 財団法人 三菱経済研究所
神奈川大学経済学部専任講師。東京大学大学院博士課程単位取得。元三菱経済研究所研究

この本は財政赤字の過去の経済学者の主張を纏めたものです。難しい式は使わずできるだけ平易な言葉で書いてありますが、若干難しいです。財政赤字の経済学的考え方を知るにはお勧めです。大よそ3つ位の論がありますが、まずは1人目のLernerの考え方を紹介したいと思います。

Lernerの主張 真正統派
一般的に財政赤字は将来への負担を増やすという考え方があるが、それは国の借金と家計の借金を同一視することによっておこった誤りである。それでは国債の負担は、将来の世代か現在の世代か、誰が負担することになるのだろうか。Lernerの主張は、内国債であれば、公債の負担は現在時点で発生する。外国債であれば、将来時点に転嫁される。

国の借金と家計の借金の違い。

民間視点(一般的なイメージ)
他社からの借金をイメージする。したがって、借りた時には自らが利用可能な資源が増えるが、返す時には減ることとなる。
資本100の企業で50借入した場合、使える資源は以下のようになる。
借入期150 返済時50 よって使える資源は、借金前後で変化する。

国視点
政府の債券発行は、それが内国債である限り、「自分で自分に借りている状態」である。というのも借りているのは政府であるが、結局は税収によって返さなければならないので、納税者が借りているのと同じである。一方で、内国債である限り、国債を購入しているのは自国民であり、貸しているのも自国民であるということになる。結局、借りているのも貸しているのも自国民であるから、「自分で自分に借りているという状態になる」となると1国内で利用可能な資源の量は変化しない。

民間の視点では借金は借りた時には自らが利用可能な資源が増えるが、返す時には減ることとなる国の視点では、政府の借金は国民の資産であり、1国内で利用可能な資源の量は変化しない。

ケース1:日本に100円の資産があったとし、それを①すべて民間で使った場合と②10円分政府が国債で吸い上げた場合を考える。
①の場合、民間が100円の資産を使ったので、国内で利用可能な資源の量は100である。
②の場合、民間が90円、政府が国債で吸い上げた10円を使ったので、国内で利用可能な資源の量は100である。 

公債を発行する場合、民間部門で利用可能な資源を政府が利用するわけであるから、政府部門が資源を利用した分だけ、民間部門の消費や設備投資は減少する。その意味では課税によって政府が資源を吸い上げるということと本質的な違いがない。これが内国債であれば、「公債の負担は現在時点で発生する」という言葉の意味である

では将来、公債が償還される時点では何が起こるか。政府は公債を償還するための財源が必要になるが、政府支出、及び税収が一定であるとすると、増税を行うしかない。一見すると、将来時点で負担が起こるかのように思えるが、増税で吸い上げられた資産は、公債の利払いとして再び民間の手に戻ってくる、結局民間部門が利用できる資源の量には変化がないのだから、将来の時点での負担はないといえる。ようは、増税によって民間→政府、元利払いによって政府→民間と流れ、民間内の資本移動が行われるだけである。

ケース2:公債の利息を例えば5払うとき以下のようになる。よって資源の量は変わらない。
   増税 利息払 合計 
政府 +5     -5   0
民間 -5     +5    0
合計  0      0    0


つまり現在増税しようと、公債発行によって増税を先送りにしようと、1国全体の資源の量には変わりがない。現在利用可能なのはあくまでも現在使用可能な資源である。この主張を認めれば「公債は利払いが発生する分だけ、後の時点での負担になる」という主張も誤りになる。利払いの財源も公債発行で補えばいいからである。


財政赤字の経済分析をめぐって/三菱経済研究所

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著名な経済学者 スティグリッツの本の紹介です
フリーフォール グローバル経済はどこまで落ちるのか 
ジョセフ・E・スティグリッツ 2010年発刊

この本はアメリカのリーマンショックからアメリカ経済がどれほど悪影響を受けたか、またその原因について追及しています。特に金融について、経済危機を生んだメカニズムについてかなり詳しく述べています。アメリカ金融危機について知るには最上の本です。また、グローバル経済、特に金融の影響が世界にどれだけの影響を与えたか、アメリカ型資本主義のすさまじさを批判しています。

その中でも特徴的だった、インセンティブとモラルハザード、また経済界の改革の必要性について紹介したいと思います。

銀行のインセンティブとモラルハザード 代理人問題

今回の危機の原因である銀行は、地価の上昇を前提とした様々なローンとその証券化を開発した。銀行はこれをイノベーションと称し、リスクはほぼないとして、世界中にこの証券を売りまくった。しかしそれはリスクの塊であり、10年以内には問題が起こることを銀行は知っていた
なぜ銀行はこのような無茶に走ったのか。
 
今のアメリカでは経営者は株主の要望に応えるために、長期ではなく、短期の利益を追求する。そうすれば見かけ上業績は上がり、報酬がたんまりともらえるからだ。かつ経営者は任期の間だけしか関係ないので、自分の報酬を上げるために、レバレッジを大きくし、リスクの高い賭けをしがちである。しかも失敗しても政府に救済してもらえるので、成功すれば丸儲け、失敗すれば政府に押し付ければいいというインセンティブが働いてしまったのだ。自分の任期が終わった後は破産しても問題ない、それより爆弾のような商品を売って短期の売り上げをあげて、多くの報酬を貰おうというわけだ。実際、他の銀行も過大なリスクテークをし、自分の銀行だけ従来の業務しかやっていないと株主からなぜうちもやらないんだと突き上げをくらい、健全な銀行もやらざるを得なくなることも多い。そして金融セクターは短期の利益を追求し、お粗末な審査をし、リスクを考慮をしなかった結果このような危機を拡大させてしまった。

経済界の改革の必要性

今経済学で主流を占めているのは、新古典派である。そのエッセンスは、市場は完璧に合理的であり、経済主体(個人)も合理的に行動する。という前提で成り立っており、この世界には失業は存在せず、政府は小さければ小さいほどいい。何故なら市場のほうが政府より合理的であり、政府は無能だからである。特に金融機関は1番合理的と考えられてきた。
しかし金融市場ではますます近視眼的になっており、長期的視点を持つことは難しい。金融危機を見る限り、政府が常に無能で企業が常に正しいという証拠は何もない。市場は機能不全に陥ることも多々あり自己修復できないこともある。
政府の役目は市場が正しく機能できるような状態に導いてやることであり、新古典派のような、市場がいついかなる時でも完全に正しいとするのはナンセンスである。

インセンティブというのがこの本において、かなり重要で、普通経済学では 自己利益の追求=社会貢献となっているが、今回のような銀行ではそれが働いていない。政府の救済があると確信している場合、無茶な行動に走りがちである。このような時、上の等式は意味をなさない。リスクを取ったほうが経営者にとって合理的であり、インセンティブが与えられているからである。
市場原理主義の問題をうまく浮かび上がらせているいい内容だと思います。
結局のところ、インセンティブが歪んでいるとき、市場はうまく機能することができない。これがこの本のエッセンスだと思います。フリーフォール グローバル経済はどこまで落ちるのか/徳間書店

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