脊髄梗塞 | 重傷者専用治療院 椎間に遊びを作り自然治癒力を高める

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重症者専用治療院経営 ほぼ1ヶ月先まで予約は埋まっています アマゾンで数冊出版。67歳、47年間病院行かず薬なし。東京で手技治療院「楽道」経営 治りにくい症状専門

 脊髄梗塞をワクチンのせいだと決めつけるなというご意見がありますが、水俣病の歴史を振り返ると、同じことが起きています

水俣病が証明されるのに10年。コロナワクチン薬害も証明されるのに10年かかるでしょう。それまで関連性は認められません


専門家の皆様は水俣病を忘れたのでしょうか

薬害は真実が証明されるまで数十年かかるのです


以下は 高木俊介医師の Twitter より


水俣病の病原がチッソ廃水中の有機水銀であることを熊大より早く突き止めたのはチッソ付属病院の細川一。彼は最初チッソを守ろうと工場廃水を猫に飲ませる。その猫400号が水俣病を発症。チッソ側はこれを極秘とする。廃水の採取も禁止される。


細川は悔しいが実験を進める機会を窺うために従った。同時にチッソの製造過程から有機水銀が生じることをチッソの新入りの若い技術者も実験で成功させたが、その男はすぐに左遷されている。


60年になって水俣病はもう終わったとされる中、東大の宇井純がこの「極秘実験」の細川ノートを突き止め、猫400号の記載はチッソ廃水原因説の決定打となる。


細川はその後も胎児性水俣病患者を診続けその存在を認定させる重要な記録を残したが、自分の行動を公開できたのはその死の直前であった。


そのような執拗な運動と科学的証拠の積み上がる中、政府はチッソ原因説を否定し続け、チッソによる有機水銀原因説が公式に認められたのは1969年である。


この時までにはチッソの製造工程は有機水銀を排泄しないものに変えられていた。


細川は表面的には会社に屈したが、その陰の地道な診療活動は、多くの識者大学人が水俣から去った後、原田正純によって遺志として引き継がれた。原田のもと多くの医学生のボランティアによる水俣での自主健診活動が続けられ、水俣病の全容が有明海全体に及ぶ途方もない被害であることが明らかになる。

 

 

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