素直に食べる事を楽しめるようになるまで② | 名古屋市、津島市 、 あま市、愛西市、 1日5分《心とカラダの若返り》チベット体操

名古屋市、津島市 、 あま市、愛西市、 1日5分《心とカラダの若返り》チベット体操

毎日5分の体操で10歳若返ると言われるチベット体操をお伝えしています。チベット体操の効果、レッスンの模様をつづります。

こんにちは。
アラフィフ世代が毎日5分で若返る
若返りチベット体操トレーナー
かちかわ ともかです。

食べることをテーマに振り返ることを
書く事に決めて、
前書き(?)みたいなものを書いて、

今回から本格的に振り返りを
していきます。

まずは幼少期〜小学校卒業まで…

私は1969年生まれ。
時代は高度成長期真っ只中。
アメリカでは月面着陸が行われ、
来年は大阪で万国博覧会が行われる、
日本が戦後豊かな国になろうと
頑張ってきたものが花開こうとしていた
そんな頃でした。

私が幼い頃、
テレビのCMでは、
世のお母さんがお料理を楽にできるように
こういうものがたくさん出てきていました。
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でもね、私はこれらをほとんど子供の頃に
食べたことが無かったんですよ。
ハンバーグもカレーも全て手作りだった。


こう書くとね、
レトルトやインスタントに頼らずに
お料理されるなんて、
素敵なお母さんですね…とか、
手作りのご飯で
健康的で良いですね…とか、
思う人もいるかもしれません。
今なら私も、そう思います。
お母さん、すごいなぁって…
そう思うようになったのは
うんとうんと後になってからでした。



買わなかったのには
理由があったんです。



我が家は
タイル職人をしていた父と
専業主婦だった母。
2つ上の姉と私の四人家族。

私が生まれて何年かして、
世の中は騒がしくなっていました。
オイルショックという言葉、
聞いたことがある人もいるかな?
経済的に不安定になって
世のお母さん達は大変だったようです。

父がタイル職人として独立したのは
まさにこの頃で、
我が家は決して裕福ではありませんでした。
母も家計を助けようと
働くつもりでいたようです。
当時はもう、共働きのご夫婦も
結構いらっしゃったそうですが、
父は
「子供たちが中学生になるまでは、家にいて育児に専念してほしい。」
と思っていて、
母は家で内職をしながら
私たち姉妹を育ててくれました。

もともと持病があって、
高校進学もできず、
二十歳まで生きられなだろうと言われた父。
父と恋愛結婚して、
父が大好きだった母は、
とにかくお父さんに長生きしてもらう。
それが一番の優先課題でした。

今ならワンコインでも買える
サプリメントですが
私の子供の頃は本当に高価なもので
身体にいいからと母は父に
ローヤルゼリーを飲ませていました。
当時瓶に入ってて、
1瓶何万円もしていました。
その分、家計をやりくりするのに
母は随分節約をしていました。
レトルトやインスタント食品は
やっぱり割高で
なかなか買えなかったようです。
父の身体のために健康的なご飯を作るのに
レトルトやインスタント食品は
良くないって思っていたのかな…

また、母の性分として、
食事作りに手を抜いたり、
ズボラになることは
妻として母として、恥ずかしいことだと
思っていたようでした。


私は…といえば、当時は
好き嫌いがものすごく激しくて、
甘いお菓子やジュースが大好きな
そんな子供でした。
(虫歯だらけの子供でしたねぇ…)
お母さんが作る健康的なご飯は
ちっとも美味しいと思わない。
テレビに出てくる
美味しそうで味のはっきりしてそうな
カレーやラーメン、ハンバーグ
そんなご飯を夢見る子供でした。


周りの同級生のおうちでは
食べている子も多くって、
話を聞いていて、
いつも羨ましいなぁと思っていました。



ラーメンはほとんどお家で食べなかった。
…というか、インスタントラーメンは、
父が食べるラーメンを
少しだけもらう事は許してもらえたけど、
自分でおなかいっぱい食べることは
許してもらえなかった。
後にカップ麺が我が家に登場するのですが、
これはお仕事を頑張っている
お父さんだけが
優先して食べられるものだと母に言われ、
私は満足いくまで食べることなんて
できなかったのです。

岐阜で有名な喫茶店でのモーニング、
私が食べられるようになったのは
実は大人になってからでした。
当時父は色々な職人さんと
打ち合わせをする時
朝の喫茶店を利用するので、
喫茶店は頑張ってお仕事している父の
神聖な場所なんだと母に言われ、
なかなか喫茶店には
連れて行って貰えなかった。
時々連れていってもらった時に
自分の好きなものを選ぼうとしても
高いからと母に言われ、
それを選ぶこともできなかった。



健康的に作られた給食も嫌いで、
いつも食べ終わるのはクラスで一番最後。
当時は給食は残してはいけないと言われて
お昼休みのお掃除の時間までかかって
結局1人だけ食器を給食室に
持っていく事も多かった。


今は、よく懐かしい給食メニューを
教室と同じようなインテリアで
食べられるカフェとか、ありますよね。
ほかの人は懐かしいとか、
小学校のことを思い出すとか、
良いイメージがあるのでしょうが、
私には、
給食=苦痛としか思えなかった。
最近ですね、ようやく
それはそれで頑張っていたんだと
思うようになったのも…
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ちょっと話は逸れましたが、
当時の私は手作りのご飯や健康的なご飯は
嫌いだった。
レトルトやインスタント食品を
食べたかったのに
食べさせてもらえなかった。
外食する時でも高いものは
選ばせてもらえなかった。



そんな不満が積もり積もって、
心も頭もパンパンになって、
この後、私の食べることへの思いは
思いっきりこじれていくのです。

つづきます…



1月のチベット体操レッスン予定はこちら。

皆様にお会い出来るのを
楽しみにしていますね。