※2022年8月の旧ブログ記事を再掲しまうす
つかれたー!
会社おわり→資格講座通い→晩御飯お風呂→いま。
つかれたつかれたつかれた…エンドレス
どうしてもブログを書きたくて仕方なかった。こないだ映画を久々にレンタルしてきて観てたんだけど、そしたらいろんなことを思って。文章にしてみたかった。
すーごい久々に映画をレンタルしてきた。それには理由があるんだけど…
本当は資格試験の勉強もしたいし映画なんて見る気分じゃなかったんだけど、昨今、人間関係についてすごく腑に落ちた部分があって、そしたらそれを確かめずにいられなくなって、どうしても映画…というか芸術鑑賞をしたかったのです。
観た映画はっていえば【余命十年】という小松菜奈ちゃんが主演の恋愛映画っていうのかな、ヒューマン映画っていうのかな…そのようなジャンルのものを借りてみた。
もうすっごい泣いて感動して…すごくよかったんだけど。あと女優としての小松菜奈ちゃんの才能をビシビシ感じました。あんなに美しい子、めったにいないよね。そして演技も上手という…
わたし最近すごく思うのが…というか考察してることがあって。
それが芸術鑑賞をしてきた人と、そうでない人とで、人間関係の上手さ下手さがぜんぜん違うなって感じてるんですねー
これを語ったら、もっと長い文章になるし、ひとつひとつ構成練って一章二章三章みたいな感じで組み立てていかないとたぶん伝わらないんだけど…
人間関係って、こうすればこうなる、あの人は生まれつきそういう性格だから悪い結果だす、とか、それだけの視点じゃないんだなって、たぶん最近わかってきた(たぶん)。
芸術をみてきた人って、美意識が発達してるから、人の行動として何が正しいのか?何が答えなのか?見つけやすいんだなって思う。
反対に芸術鑑賞をしてこなかった人って、何が美しい人間関係としての答えなのか【わからない】んだなって…それにきがついた。
なんか、私からすると『なんでそんなこともわかんないの?!』って思う場面多すぎるの。
でも、芸術鑑賞をしてこなくて美意識が育ってない人って、ほんとに何が正しくて正しくないのか、判別がつかないのね。
それを私の目からみてると【バカにしてんのかな】って思うの。
でも違うのかもって思った。
あぁ、そうか。ほんとにわからないのか、って。
わたしはね『なんでそんなこともわからないの?!』って普段すごく周りの人に思うんだけど、それは私が【想像力】というものを訓練してきたから思えることであって、わたしにとってそれは当たり前のことすぎて…
でも【想像力】というものを訓練してこなかった人って、ほんとに人の気持ちがわからないのね。ビックリする様な酷いこと平気でするの。
それはね、きっと(たぶんだけど…)
【思いやりのない行動をしたら相手を傷つける】ということがわからないのね。知らないんだよ。親にも教えてもらってこなかったかわいそうな人なんだと思う…
他人の気持ちを知るっていうのが、芸術鑑賞には、そういう側面があるのね。
物語や純文学をとおして、他人の人生を疑似体験する。愛の物語に涙する…
そういうことをしてこなかった人って、想像力が発達してないんだな…
いや、優しい子はいっぱいいる。わたしより優秀な子いっぱいいる。
でもね、なんか、そこじゃないんだなぁ。
人生の答えをだせない。人間関係でびっくりするような酷いこと平気でする。
そういう人がね、多すぎるのよ。それはね、その人が酷い人間だから、生まれつきそうだから、っていうだけの話ではないのよたぶん。
親の教育だし、学校の教育、その結果なのよ。
暗記ばかりさせて、無駄を省くような効率ばかり教えてしまった結果なのよ。
このことを理解するってなったら、もう壮大な時間がかかるよ…
その観た映画【余命十年】というもの。映像も美しく、俳優たちの所作も美しく、物語も構成が練ってあって、途中「えーそれ現実にあるー?」なんて思う場面もありつつも、やっぱり胸に残るものがある。感動がある。
でもさ、そういうのをしない人ってすごく多いよね。映画観ない、観てもアクション映画とかそういう軽いものばかりで、心の機微とか愛の物語とか、そういうのをバカにしたり観ようともしない人、増えてますよね。
わたしそれをね、ちょっと前までは『感性が鈍いから(失礼)そういう浅いものしか求めないんだな』って思ってたの。でもね…それは正しいようで正しくないんだな。
例えばね、お箸の持ち方すら親から教えてもらえてない子っているじゃないですか。
そういう子ってさ、お箸の持ち方だけじゃないのよ教えてもらえてないことが。
人間関係のこと、やってはいけないこと、社会の仕組み、思いやりの持ち方、そういうことをね、日常から親に教えてもらえてこなかった人って、ロボットみたいな大人になるのよ。すごく視点が浅くなる。思いやりがないの。いや…なくはないんだけど、いい子なんだけど、いい子のはずなんだけど、中身があんまりないのよ。
そういう育て方をされた子からみたら、深い心の機微を描いた映画とか小説とかって『???』っていう感じなのよ。
育ててもらってないのね、親に。
例えば悪いことする。親に怒られることはされてきたけれど、なぜそれをしてはいけないのか、説明を受けてないから、ただただわかんないのよ。そういう子にとっての『答え』って【強い人のいうことには従う】ぐらいの価値観でしかなくて…
なぜ?なぜいけないのか?わからないんだよね。答えられないんだよ。
だって親がわかってないんだもの。
そういう子供が社会にでたら、人間関係うまくやれないのって、あたりまえなんだよね。
でもね、それを本人が改善したいって心から望むなら、長い時間をかけて、映画・音楽・文学・美術…それらの芸術と呼ばれるものを、がんばって自分から飛び込んで鑑賞していく以外に道がない気がするよ。
長くなったんだけど、これを思ってからわたしは自分自身がこれからも芸術鑑賞を積極的にしていかなければいけないっていうことをあらためて思ったんですよね。
これについてはね、けっこういろんな作家が考察してる本とかいっぱいあるんですけど、わたし自身はその読んできたたくさんの本、観てきたたくさんの芸術を自分のなかで咀嚼してここにぶちまけるように書いてるだけだから…うーん、なんか説明しようと思っても…難しいよね…
だいたいわたし、周りの人からも「まゆさんのいってること難しすぎてわかんない!」ってほんとに言われますから。