しなやか自分軸研究所@所長川西未来子
前回の記事
《見守る》にコメント、メッセージ有難うございます。
自分自身にとって《見守る》とはどういうことなんだろう?
(by Photographer Toru)
と、答えが正しい間違いではなく、
まず考えてみることが大事ですよね。
その上で人の意見を参考にする。
勇気ある方はコメント欄にも書いて下さっています。
だげさん、有難うございます。
研究員のひまわりさんは、考えていたらあまりに長くなったのでブログに書きました。とメッセージが来ました。知らせしてくれて有難うございます!
===============
《見守る》は非言語メッセージに
氣がついていることと
===============
詳しくは
ひまわりさんのように見守るを
見る+守るに分けて考えてみるのも面白いですね。
・・・・・文中より・・・・・・・
見守れていないということに気付く
というのは、
何らかの違和感を感じた時。
・・・・・・・・・・・・・・・・
違和感に氣付くということは。。。。
相手のサインに氣付くことと
サインを見落とすかサインであろうけれど
表面の言葉(言語メッセージ)に左右され
非言語メッセージが読み取れない
自分自身の心の余裕のなさを自覚した時など。
これを可能にするのは《基本の基となる対話スキル》が身についているからですよね。
==========
見守ることは難しい
==========
川西自身が見守ることは難しい?!と感じたのは、食事療法中でした。《見守る=様子観察》として理解していたので命の危険を脱することができれば見守れるものだな~なんて思っていました。(極端ですよね(;^_^A)
極端すぎて見落としていました( ̄_ ̄ i)
そして
PTAの京都市の役で親の悩みを聞いていた時でした。
親子の悩みのほとんどは見守れないことによるトラブルでした。
なぜ見守ることが難しいのでしょう?
過去記事です。
見守るということを砂場で例えています
親という役割意識や
母性や愛情の捉え方の違いもあります
長くなったのでここまで
次回、もう少しまとめます。
・見守ると放置放任の違い
・《見守る》は非言語メッセージに
氣がついていることと。。。vol.2