先日他界した知人は
母が生前気にかけていた一人でした。
母は自分の子どもは置いても
他人の世話に明け暮れていた人。
私自身はこの方に、少し大きくなってからお世話になりました。
(ごめんなさいm(_ _ )m
高校時代の彼氏への手作り手袋は私じゃありません)
幼少の頃、本当に一人で留守番をすることが多かったので
母に尋ねたことがあります。
「どうして行くの?」と
母はいつも「神様の御用だから」と応えていました。
でもどうしてもよくわからない私は
「神様の御用って何をしているの?」と聞きました。
そしたら母は
「『子どもをおろしたい、こんな状況では産めない』
と言われてね、でも、折角授かった命だから…
私も協力するから産みなさいと言ったのよ。だからね、
命を大切にしたいからお世話しにいくんだよ」
と言っていました。
その時の子どもさんにも子どもさんがおられ
計12人のお孫さんに恵まれておられました。
そして様々なボランティアや施設でのパートなどもされ
大変多くの方が参列され涙を流されていました。
名もない主婦の活動ですが
こんなに多くの繋がりを
生むことになっていたのだと思うと
母も喜んでいるだろうなと思えました。
約ひと月前に姉がこの方と話したそうです。
その時に、
「私は奥さん(うちの母)から、
いっぱいのものを貰っていたのよ。
本当に有り難いと思っているのよ」と
言って下さったそうです。
その言葉に私達が癒されました。
母が癌になって闘病しているとき
つぶやいたことがあります。
「私は何をしてきたんやろ~、ただ駆け抜けて、
教会をするなんて荷が重かったのかな~
私には無理やったのかなあ~」
と言っていた時、ただ聞くことしか出来なかった私。
あの時にもっと私に聴く力があったなら
もっと楽にしてあげられたのにと思ってしまいます。
そして今なら母に言える。
「お母さんあなたは意味のある活動をしていた。
少し無理はしたとは思うけれど、
したいことだったんだね。
義務でしたのでは伝わらないものね」と
宗教者という役割で生きていたのだと少し思っていた。
人の目があるから、そんなに働くのだと思っていた。
でもどうも違うようだ、母は主体的に生きていたのだと
やっと思える。母を認めることができた。
名もない主婦二人 向こうで仲良くしているだろう。
あなた方のお陰で繋がった人、優しい気持ちになれた人
学んだ人が、ここにもいるよ。
地位や名声はなくても しっかりと地に足をつけて
周りの人と心通わせながら生きていきたいと
名もない主婦から学びました。
今日も楽美で行きましょう