親業の3つの柱になっているのが
聞くこと・・プロカウンセラーの技術
話すこと・・相手を責めることなく率直にわたしの気持ちを
話すわたしメッセージ
対立を解く・・意見が違うときの話し合いの方法
これらコミュニケーションの基本です。
どうして『親業』というネーミング!?
1962年自分の子どもとすでに問題が起こっている親を対象
としてスタートしているからなんです。
でもその後 すでに問題を引き起こしている子どもの親だけ
でなく、幼い子どもの親や 子どものまだいない夫婦にも十分
役にたち。
今では10代の子ども達を対象とした講座にもなっています。
青少年の問題や事件のニュースを見ていると
「どんな育ち方をしたんでしょうね」とコメンテーターの方が
言われるのを聞いて いつも嫌な気持ちになっていました。
「育て方が悪い!」といつも責められるのは親です。
「言われるのは当然でしょう」って思われますか?
でも育て方って教えたもらったことある
子を生めば親になるけど、親のなり方は教えられていない
母性が先天的にあるわけじゃないのだよ
これ言い訳でしょうか
知らなきゃいい ってもんでもなさそうですが・・(;^_^A
自分がどう育てられたか それが主になり
せいぜい近所や自分の親戚ぐらいがモデルになる。
あとは子育て本やテレビなどの情報媒体から知ることとなり
親というものはこうあらねばならないと思って実行する・・・
だから トマス・ゴードン博士は
『人変じて親となる』から問題が起きる というのです。
ゴードン博士は『親業』で
「人が親になると、おかしな、そして不幸なことが起こる。
親という役割を演じようとして、自分も人間であることを
忘れてしまうのだ」と述べています。
どういうことなのか
子どもにいつも思いやりを示さなければならない!
無条件に子どもを受け入れ、寛大でなければならない!
と考える。この根底にある気持ちはよくわかるし、むしろ
ほめられるべきだが親業がこれでうまくいくかというと、
ふつうその逆になってしまう。
どういうことなのか
例 寝る前に本を読んで欲しいと子どもにせがまれる。
本を読むのはいいことだししてあげないといけないと
たいていの親は思う。
だから
『もうすぐ見たいテレビがある』『今日は疲れている』
『明日までにしあげないといけないことがある』
と思いイライラすると 悪い親だと思ってしまう
でも、悪い親だと思うことはないのです(^_^)
子どもを受け入れるな!と言っているんではないのですよ。
無理に受けいれようとすると 態度に出るから
言っていることと違うと 子どもが混乱し
悪影響しか残らない。
親として頑張ったことが 仇となる ということなんです。
無理することはない 悪い親だと思わなくていいよ(^_^)
PTAの話し合いでも「え~いいの~」とか
「当然やんな」とか いろいろ意見はでました。
役割でなく人としてどう感じるのか!の方が大事
親業訓練では
いま自分が何を感じているのか、
なぜその子(人)の行為が受け入れられないか、
自分の気持ちを確認するところから第一歩が始まります。
そこから親と子の両方が
自分達にふさわしい問題解決の道を探ります。
これね
親子関係だけでしょうか?
皆 社会の顔と言うものがあります。
家にいるようにリラックスしているわけにはいかないので
当然ですよね。社会の中で役割を演じています。
でも必要以上に演じる必要が本当にあるんでしょうか?
演じることでストレスがなくなるのならいいのかもしれない。
演じることで自分をなくしてしまうとね、よくないみたい・・・
無理な仕事を押し付けられたとき
仕事を頼むとき
生徒や患者が言うことを聞かないとき
医療者が無理を言うとき etc・・・
部下だから 上司だから 先生なんだから
医療従事者 患者なんだから 夫なら 妻なら etc・・・
こうあるべきだ!に縛られていませんか?
こうあるべきだ!に縛られるから
ストレスやトラブルが起きるみたいですよ。
まずは自分が 人の言ったりしたりしていることを
率直に受け止めて『嫌か嫌でないか』
から始めるんです。
役割でなく人としてどう感じるのか!の方が大事
役割でなく人として正直になった方が人とは
絆がつくりやすいようですよ
いかかがですか? ご一緒にしませんか?
自分も相手も大切にするコミュニケーション