自己犠牲は美徳か?! | しなやか自分軸で関係を築ける人になる!

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これは、私の看護学校の入試問題の一部です。






その時の私は、自己を犠牲にしてまでやっていると感じたら



それは美徳ではないのではないか 



犠牲とは、自己を忘れて人に尽くすことなのだろうが



それは結果論であって



自己を忘れている状態で尽くしたら危険なような気がする



というか私にはできない、私は私をしっかり持って



人の役に立ちたいと思う



などと書いていたと思う












何年も経っているのに・・・



基本的に考え方は変わっていないのよね~わたし



ただ変わったのは、自己を忘れるつもりはないのに



気が付いたら忘れていた[E:coldsweats01]



なんてことが・・・子育て中にはあるのよね~



忙しすぎたり、ただ時間に追われたり・・・



自分を見失うって感じかな?!












自己犠牲が美徳とするなら・・・



マザー・テレサさんを思い浮かべるなあ~



でも、マザーは犠牲を払っているなんて思っていただろうか



『したくてしていた、体が動いてしまう』 そんな感じ



傍目からは自己犠牲を払っているかのようで



マザーは違う と思う 



だから、とても行為が美しい 



これを美徳というのではないか?












前者の “私を見失う”が 受動的 だとすると、



もっと 能動的 な感じがする















で、結局、



やっぱり私は、自らしさとは何かと考えつつ



自ら輝くことを目標に 



自分にOKの状態をキープしつつ



人に対してもOKでいたいぞ![E:good]