みなさんこんにちは。
急ですが、わたしが法曹の道に進んだのは、検察官になりたかったからです。
修習を終えて、気づいたら弁護士になっていました。
今日は、なぜ弁護士を選んだのかについて書きたいと思います。
これは周りの人にもよく聞かれますが、きちんとした理由を言ったことはないです。ここで初めて言うこともたくさんあります。
先に言っておきますが、これは全てわたしが感じたことであり、弁護士以外を否定するものではありません。
わたしは、学生の頃からずっと検察官になりたかったです。
学部の授業では刑法が一番好きで、得意科目でもありました。
検察官に憧れた一番の理由は、
「正しいものを正しいと言える職業」
だと思ったからです。今でもそうだと思っています。
裁判官は、常に中立でなければならないし、
弁護士は、常に依頼者の味方でなければならない。
でも、検察官は、自分が正しいと思ったことを信じて、それに向かって真実を追求できるのがかっこいいと思いました。
元々曲がったことが嫌いなので、自分には向いてるんじゃないかと勝手に思っていました。
修習が始まった頃は、検察官志望とはいいつつも弁護士も裁判官も視野に入れていました。
わたしの修習地は検察官志望が多くて、集合修習がオンラインだったこともあり、検察官も人数が限られているので、この中から選ばれると思うと自信を無くしました。
そんなことも教官に相談しながら、修習がスタートしました。
前にも修習について書きましたが(見ていない方はMy landscapeの記事参照)、わたしは第二クールが弁護、第四クールが検察でした。
第二クールでは前にも書きましたがめちゃくちゃいい先生にお世話になって、自分の内定先で自分が働く姿が具体的に想像できました。ここは前回書いた通りです。
実は弁護士の志望度が一番低かったのですが、弁護士って楽しそう!って初めて思えました。
第四クールの検察は正直つらかったです。
第四クールが検察修習だと、修習を全て終えるまでに志望を固めなきゃいけないんですけど、わたしはここでかなり悩みました。
検察志望と言っていたこともあって、主任で少し難しめ(特別法)の事件をもらったんですが、志望というプレッシャーのせいか、なにもかもうまくいかないなって思っていました。
取り調べをしても、なんか違うなあって。
言い方難しいんですけど、自分のやってることって、本当に正しいのかなって。
やっているうちに、そもそもなにが正しいのかが全くわからなくなりました。
教官に相談したら、「それはとても難しいけど、それがやりがいなんじゃないかな」って言われて
たしかにそうかって納得した。
確かに正しいこととはなにかを追求するのはやりがいなのかもしれない。
でも、正しいことってなんだろう
正義ってなんだろう。
わたしは本当に正しいと思ったことを正しいと言えるのか。
これは、自分の考え、やり方に自信や誇りを持っていないとできないなって。
もちろん、これはどの職業も同じなんですけど、自分がこの仕事に自信を持って、誇りを持って職務を全うできるのか。
このへんは言い方がとっても難しいのでちょっと曖昧な表現になってしまいます。
それから、検察は体育会系だとよく聞きます。
これは組織体制が整っていることを表現したものだと思います。
自分に権力はあってもそれを押し通すことは難しいかなと思ったんです。
自分の意見ではなくて、組織の意見になってしまうような気がしました。
そうしたら、弁護士のほうが、思ったことを自由に言えるのではないかなって思ったんです。
結果、弁護士になったわけですが、今は弁護士になって本当によかったと思っています。
自由な仕事だから、いくらでも自分のやりたいようにやりたいことができている気がします。
検察官になっていても同じこと言っているかもしれないけどね。それはわからない。
何度も言いますが、検察官のネガティブキャンペーンをするつもりは全くありません。
組織体制がしっかりしてる方がいいというひともいるし、正義感をもって仕事をしている検察官はやっぱりかっこいいです!
ここで言いたいのは、100%目指すつもりだったのに進路が変わることはいくらでもあるということ。
なので、初めからどれになるから他はいいやって決めつけないで、どの可能性も残して修習に挑んでみてはいかがでしょうか。
視野が広がるし、今後の職業にもその経験が役に立つと信じています。
余談ですが、修習時代の成績が開示されたのですが、検察起案が良くて刑事弁護が悪かったので刑事弁護は向いてないのかもしれません。笑
でもこれから刑事弁護もやらなくてはいけないので、人一倍頑張ろうと思います!
長くなりましたが、今日はここまで。