
以前ユリが、昭和51年の韓国の写真をUPしてくれましたね。すごい!!セピア~な感じがいいね

で、私思い出したことがあります。『サッカーワールドカップ日韓共同開催』のこと

その時、こんな活動していた若者達がいたのをご存知でしたか?
日本と韓国の若者40名ほどが、韓国と日本を自転車

その頃はまだ、『韓流』の嵐など吹く前。ヨンさまの存在すら知るものは少なく、日韓の壁は相当厚かったと記憶しています。
そんな中、少しでも共催を盛り上げようと、動いていた若者達

彼らのホームステイの依頼が来ました

うちにも日本人の青田さん、韓国人のモ・チョンアさんという2名の女性がステイしました。夜はビールを飲みながら、いろいろ話したのを思い出します。
通訳が数名しかいなくて、コミュニケーションが大変なこと。意見の相違でぶつかることもしばしばあったと聞きました。
文化が違う若者が、団体行動するうえに、過酷なスケジュールですから当たり前ですよね。
当時、私の韓国語は本当につたないものでしたが、ありったけの言葉と体を使って話しました。
何を話したかはいまいち忘れましたが

話の流れで『指』が出てきました

『指』という単語を知らない私に、チョンアさんが
「ピンガー」といったのです。そこで気がつきました。
「Famly」は「ペミリー」。だから韓国語は「F」が「P」になるんだな~と

あ、たいしたことないですか???(・・。)ゞ
今頃は、二人とも結婚しているのかな~



連絡も途絶えたのでわかりませんが、あの時期に、そんなことを実現するパワーが、子育て真っ最中の私にはまぶしかったです

ステイした青田さんと、チョンアさん この自転車で日韓縦断


対面式&持ち寄りパーティー