先週はブログを書きませんでしたが、今週は書いていこうと思います。




なんだかここ二週間ほど、週末に自分の体の様子が変だったんですよ。

金曜日の夜に眠ります、土曜日は起き上がることが全く出来ずに、昼の3時にやっと起き上がったとかね。

2、3週間前ぐらいでしたか、風邪をひいたのですけれども。

まあ、それは風邪でしたので良いのですが、問題は次の週末でしたね。たしか先週だったかな?




金曜日の夜、眠りました。目覚めたら、6時45分だったんです。夕方の。

目が覚めた時に、時間の意味がわからなかったんですよねぇ。

普段通りに寝て、朝の6時45分に目が覚めたのならば分かりますけれども、夜の6時45分に目が覚めたと解ったら唖然としますでしょう。




途中で何度かは起きましたが、また起き上がれずにそのまま寝てしまうんですね。

で、結局6時45分だったというね。




この時は、帰宅後に2時間ほど眠ってしまったので、それも合わせると合計で18、9時間ぐらい眠っていたということになります。

いくら体が疲れていたとしても、ちょっと考えられないですよねぇ。

今週もこんな感じになっていたらどうしようと思っていたのですが、まともに戻っていましたね。

8・9時間ぐらいの睡眠時間で、休みの日の平均睡眠時間内で済みました。




東京では都知事選が行われていますので、こうした演説を聴きに出かけているだけでも、雨が降っていたりなんかで結構体力を奪われるものですが。



自宅付近の掲示板を見ると、まだまだ貼られていない候補者が沢山いますが、だいたいいつものメンバーや、主要候補と言われる人達のポスターは貼られるのが早いですね。

いつものメンバーというのは、ドクター・中松のことですが、この人のポスターが貼られるのはいつも早いんですよ。

どこに行ってもドクター・中松のポスターは大概、早期に貼られているので、なんでなのかと不思議に思いますね。



東京都知事選に、50人ほどの候補者が立候補していますが、小池百合子が250万票以上を得て都知事の椅子に座っていることを知っていながら、300万円の供託金を払って立候補する、これも不思議です。

政策というものは重要だと思いますね。漠然とした曖昧模糊とした綺麗事を羅列しているだけの候補者は信用できませんね。

また、都知事に当選したとしても、自身の掲げた政策へ取り組もうとしない、口先だけの人間に都知事をやってもらうのもイヤですね。





・・・・・毎回毎回、都知事選や選挙の度に同じ事を言っているだけなんですよね、自分自身も。




政治系の発信をしている人達も、いつも同じような事ばかりを言っているなぁと、そんなことばかりを言っていてよくそれで飽きないものだと思います。

腸詰めウィンナーの如く、一分の隙無くビッシリと利権で固められた、頑として動かぬ政治の在り方へついて、永遠と文句を言い連ねているだけだとしか感じない。




【隙間がないのだから動く訳がない】でしょう。

動く訳がないと腹を括ることが肝心なのだと思うようになりましたね。





自身にやられている、集団ストーカーやテクノロジー犯罪の被害者としての経験から、この犯罪は政治と・世界と直結していると確信したことにより、今度はそこから、ハッキリ言って好きではなかったスピリチュアルの世界へと私は今、移行しつつあるのですが、それで良いのだと思っているんですね。



というよりも、 本質はこちらだと考えているのですが。




ビッシリと固まったまま構築された利権の構造が嫌だ、苦しいと思うのと、集団ストーカーやテクノロジー犯罪のとてつもなさから生まれる嫌さや苦しみは同類だと思っているんですね。

ガッチガチに出来上がり、そこを基盤として自由にのさばる利権の構造というものは、私たち一般人には目に見えるものではなくて、目には見えないながらにしてそれに四方八方、全方位から包囲され、どれだけ嫌だと思おうが否応なしに執拗につきまとわれているらしきことが感覚として薄々解るから、そこについてずーーーっと文句を言い続けている状態だといえるのではないでしょうか。




【利権の構造は目に見えない。】




集団ストーカーテクノロジー犯罪被害者は、目には見えない利権の構造に、たった一人の個人に対して、利権の構造から生まれた腐敗が、全方位から向けられている犯罪だと思います。




ですからね、 がんじからめの利権の構造に巻き込まれているという意味においては、政治系の発信者と似ているということですね。






・・・・・・・さて、スピリチュアルに移行し始めて、主には光を降ろす祈りを行っているのですが、これは毎日ですよ。

色んな人や、団体S、団体Kなどにも、ありとあらゆる思い浮かんだところに降ろしています。




私の場合は集団ストーカーが過酷なので、おいそれとはいかないのですが、だからこそ真剣に、真摯に行うことに自ずと力が入るということなんですね。

何故、それらのことを始めたのかというとです。

自分の体が軽くなり、疲れ方が格段に違うようになったことへの驚きがあるからです。

具体的には、肩や首の痛み、背中の痛み、腰の痛み、腕の腱鞘炎などの痛みが激減したんですよ。

私の場合は全部があり、バッキバキだったんですけれどもね。




とある方のお話しを伺った時に突然、背中の痛みが消えたんです。

・・・・・あのですね。何十年もかけて凝ってきたような、鉛を詰め込まれたかのようなどうしようもない背中の痛みが、私は何もしていないのに一瞬で消える筈がありませんでしょう。




この体験に心底驚愕したことにより、自分の中で確信さぜるを得ない事態が現実に起こったからこそ行うようになったということですね。

自分が心から納得したことでなければ、動ける性格ではないんですよねぇ、、、器用では無いために。




背中の一定の箇所の痛みは消えましたが、肩、首、首の後ろ、腰、腕の腱鞘炎と痛みはまだまだ山盛りでしたから、3ヶ月程かけて毎日必死に祈りを行っていたところ、、、殆ど無くなりました。

何十年来の腰の頑固で慢性的な腰痛がありましたが、突然無くなったんですよねぇ、あり得ない。




1日の仕事を終えて帰宅すると、また体が痛くなっているのですが、呼吸法と祈りを終えてから立ち上がると、痛みが改善されているんです。

驚きますよ。呼吸法だけでも真剣に行えば違いがわかります。お金もかからない。

是非ともやってみてね!




祈りについては、過去(前世も含めた)カルマの解消ということですね。

自分は正しいというところからいつまで経っても抜け出せない限り、現実が何も変わらないと思いましたね。

それを真摯に認めて、綺麗な心で祈ることだと思いました。




こうしたことを行うことによって、結果的には利権の構造にヒビが入っていく事に繫がるだろうと考えています。

集団ストーカーも同じ事ですね。

空が割れたりするんです。

つきまとっている人間が飛行物体に乗っている訳ですが、空が割れたらどうなるかってこと。

私は、飛行物体のつきまといがありますのでね。

変わってきましたよ。



簡単にはいきませんが、日々の積み重ねが現実を拓いていくのでしょうね。

あと肝心なのは、自分の頭で物事を考える事だと思いましたね。

誰かがこう言っていたからでは無くて、あくまでも自分主体で自分の頭で考えること。

失敗したとしても、何度転んでも自分で何かを掴んで立ち上がったり、自分の頭で考えられないと、カンタンに憑依される。




そう、憑依ですよ。憑依が取れたからこそ、何十年もかけて出来上がってきた体の痛みが突然消えたとしか思えない。

あとはカルマの解消ですね。自身でカルマの解消を行うことで➡憑依が解けるってこと。

それによって➡自分自身の体の痛みが消えて、別人のように体が軽くなることを自分で体感する。




自分の体で体の変化を体感することで、確信に繫がるということですね。そこが大事ね。

感謝という言葉に、個人的にはとても抵抗があったのですが、やはり重要だと思いましたね。




先日歩いていたところ、自己肯定という言葉が嫌いな人の書いたらしき本が目に留まりました。

横目に見ながらそのまま歩き進めたのですが、ふんっと思いながらね。




その本を読んだわけではないのでアレなのですけれども。

過酷な生い立ちの中で過ごして来た人が、自己を肯定する力が育たないままで大人になった。どうしても自己肯定することが出来ない、そこにある本当に意味するところや、苦しさがわかるのかと思いましたよね。

その苦しさがわかるからこそ、あえてそんなタイトルで書いた本であるのならば、凄い人だと思いますけれども。




しかしね、たとえ自己肯定が出来ていないようなそうした人であっても、水を飲んだら美味しかった!

美味しい水を飲めたことに感謝しますとかね、そうしたことを探していけると思うんですよ。

ご飯が美味しかったとかね。美味しいご飯を頂けたことに感謝しますなど。

だって、ご飯が美味しいと感じたのなら、それをそのまま感謝ということに変換しても良いわけでしょう。




良い言霊を使うということに、私はとても抵抗を感じていたのですが、そこのところに少し変化が生じてきましたよねぇ。







そして、投稿失敗が続いていましたが、投稿出来ました写真です。⬇

 














職場に昼間置いておいた傘が、ビリビリに破られていたんです。ついこの間のことですけれどもね。

職場に自分の物を置く場合は、更衣室のロッカー内に吊した、 自分の洋服の上からトイレットペーパーでグルグル巻きにしたものを写真に撮ってからそこから離れないと駄目なんです。

以前書きましたけれどもね。

自宅に家宅侵入される時と同じで、洋服を切られたり、ペットボトルを開けられて、中身を三分の二ほど捨てられる現実を防ぐためには、自宅や職場のロッカー内にティッシュなどで対策をするしか、自分の物を守る術がありませんから。



しかし大雨が降った時に、濡れた傘をロッカー内に入れることまでは出来ないので、ロッカー内に入れずにいたら即、集団ストーカー破壊工作員に切られたということなんです。



職場では着替えをしますので、ロッカーを開け ることは1日の内でだいたい6回(忘れ物をしない完璧な状態であれば)ありますから、それと家宅侵入をされないための対策を入れると、トイレットペーパーやティッシュ対策だけでも、1日の中で10回近く、写真を撮らないとやられる生活をしなければならないといいますか。




職場では、控え室に自分がいる時で無ければ、冷蔵庫に飲み物を入れておくことも出来ませんのでね。

何をされるかわからないからですが。

集団ストーカーの手口のひとつです。




途中になりましたが終わります。