とうとうGWに入りましたが、人によっては10連休なんて人もいるようですけれども。

・・・・・10連休!!いいなぁ~と思いますが、そんなに休んでしまったら、仕事をするのがイヤになってしまいそうですね。





最近は時間が推してしまい、ブログの内容が途中で終わってしまっていたので、さきほど先週書いたものを見直していると、ネドじゅんさんの著作のところで終わっていたので、そこから書いてみようかと思います。




ネドじゅんさんの著作にある呼吸法や、自分の身体の中にある、神経や細胞に意識を向けるやり方などを日々練習しているのですが、突然脳裏に浮かんで、そこから引きずり込まれるかのように、永遠と繰りかえされる思考に乗せられていると気づけることが多くなってきましたね。

『あの時、なんであの人はああいう言い方をしたんだろうか』などそこから始まって、永遠と繫がっていく思考のループというもののことです。




左脳の大好物である自動思考に乗せられていると気づいた時に、気づいたよというサインを左脳に送る動作のやり方があるのですが、それをやっているんです。

これはね、気づいたよというサインを送った

【次の瞬間】に再び、知らない内にグルグル思考が始まってそこに引き込まれているんだなという発見が何度もありました。

とてもしつこいことに気付きましたね。




自分の経験によって、身体の一部であるはずの左脳の自動思考に自在に踊らされている状態に気付いていくことにより、左脳へ続く脳神経回路がとても太いものであるという言葉の意味が解ってきました。




しかし私は、現代社会を生きるために発達した脳神経回路を抑えることで、閃きや直感と繫がる右脳へと移行したいんですね。

何故かと言いますと、左脳にあるトラウマの支配下に置かれ、その呪縛に翻弄され続ける人生がイヤだと思ったからです。

左脳にあるトラウマとは何かと言えば、例えばですね。



あの人とはイヤな別れかたをしたなぁ~と、とっくの昔のことなのに突然思い出して、その続きをグルグル考え続ける思考のことです。




イマ・ココそれらのものは存在していないと気付くこと。



うん、その通りだなと思ったんです。別れたあの人はイマ・ココにいないのに、何故私はそれについてずっと考えているのだろうかって。



自動思考とそうではないものでは、使う脳神経回路が違うようなので、その辺りにも意識を向けたりもしているんですね。



なんていうのかなぁ、面白い発見の宝庫ですね。

とはいっても、

 脳に何らかの損傷を負った訳ではないのに、こうしたことに自分の力で気づき、道を切り拓いた人というのは、元々の人生がとても大変であったからではないかと想像するにかたくない。



本に載っている呼吸法も行っているのですが、これを行うと翌日の朝、身体が軽くなっていることと、1日を終えたときの疲れかたが全然違うことを実感致しました。

これは多分ね、身体の中に意識を向けることで身体の軸が強くなり、睡眠時間がそんなに多くなくても疲労度が違うという感じかもしれません。

 



呼吸法にプラスして、左脳の自動思考に気付くことと、

集団ストーカー対策ではなく根本的な解決法

に書かれてある、自分の抱えたトラウマを解消するための祈りを行う時などに 、

他人原因論から自分原因論へと照準を合わせたことで、

自分の軸が強くなることは当然であるのかもしれません。




常に他責で生きていて自分の軸が強くなっていく筈が無い、考えてみればあたりまえのことですよね。





これは集団ストーカー被害者であっても同様で(もちろん集団ストーカーの被害を無くすための本ですから当然ですが)、集ストの嫌がらせに来た人ひとりひとりの顔を毎日思い浮かべて、祈りを下ろすことをしているんですね。

そこには因縁が出来てしまった訳ですから、その因縁を他人原因論へ転嫁することを止めて、全てのことは自分原因論であると捉え、そこで純粋な祈りを捧げる(自分卑下ではなく!)ことだとありました。

その為には、エゴ(人を思い通りにしたい・支配したい・人の上に立ちたい・優越感などの欲望)を小さくすることが肝要のようですから、自分のなかにあるエゴへと意識を向けて小さくするように心掛けることで、純粋な祈りが下ろせるそうです。



すごいですよね、書籍に書かれてあることが全部繫がっていることに驚きます。

自分原因論といっても、私はあくまでも一人に向けてでも対等な立場でいながら、エゴを小さくした純粋な祈りを捧げるようにしています。




まとめてみますと、左脳のトラウマに気づき、トラウマを作ったのは自分原因論であると受け止め、問題の根本を他人軸へ持っていくことを止めて自分軸へ切り替え、トラウマとなって左脳の自動思考で囁き続ける事柄自体を解消することへ着手し、純粋な祈りを捧げるってことかな。




生きるなかにおいて、人とぶつかったことで知らぬ内にトラウマを抱えて生きている人が大多数ですから、こちらの書籍は集団ストーカーテクノロジー犯罪の被害者だけではなく、より多くの人に知って頂きたいと思いますね。


Kindleで発売されました。






集団ストーカーのつきまとい自体にもね、変化が現れてきたんです。

それを詳細に書きますとね、またちょっとアレなものですから書きませんが。




しかし、集団ストーカーテクノロジー犯罪システムというものは、利権で動いてるんですね。

ガッチガチでとてつもなく根が深い利権構造がある。



やっている側にとっては、利権であるから無くなったら困るってことなんです。

現代の日本社会は低く垂れ込めた暗雲のような利権で覆われていますが、純粋な祈りを捧げられる人が増えれば、

思いもかけけないところにある日突然、パキッと亀裂が入るのだと、集スト加害者へ向けての祈りを捧げ始めてから実感しましたね。




先週書いたブログ記事ですが、三角形について書きました。

三角という形はピラミッド型をしていますから、支配層が〇術などを用いて使うとも言われています。

私は音楽の時間の指揮を通して、四分の三拍子という三角形には、目には見えないけれども形ある世界があるのだと知りました。

形があれば、目には見えなくても捉えられてしまうということを意味するのかもしれませんね。

利権の構造というものは、複雑に絡み合っているので目には見えませんから。




敗戦後の日本で、GHQが禁書指定し焼き払った古来から続く書物に書かれてあった日本軍・日本人の強さの源にあったものは、祈りの力だと思います。

その力を米国が恐れ、封印させるために全て焼き払った。




私は護憲派ではありませんので、

日本人の手による新憲法制定を望みます。

丸腰で〇略を許す道を選ばない。日〇安保条約があるから米国が守ってくれる?守ってくれません。日本を守るのは日本人自身です。

戦争は絶対に反対です。

ですが、自民公明政権下での憲法改正は絶対に許しませんということです。




ストーカー規制法の改正ではなく、

集団ストーカーテクノロジー犯罪禁止法の制定を望みますね。






・・・・・話は変わりますが、群馬県警元警部補でいらした大河原宗平さんが、現役時代に日航機123便の〇落地の特定に尽力された事件があります。

群馬県と長野県の県境付近でに日航機が墜落した可能性がありました。

大河原さん監修の、でっち上げという書籍にこの日の事が載っています。

他の警察官の生ぬるさもね。



当時、日航機123便の墜落の真実について書かれた書籍が発売後一週間で出版差し止めとなったそうです。

それがこちらの動画です。

少し長いですが、こちらが真相ではないでしょうか。

これは39年前に起こった事件です。

マスメディア関係者は真相を知っていますよね?

にも関わらず、どうすることも出来ずに(せずに)39年の月日が流れた。



大きな腸のように長くびっしりと連なる試験管の如く、ガッチガチに固められた利権構造は、誰が何と言おうが何をしようがピクリとも動きませんよ。

どれだけ騒ごうが、ムサシの不正が明らかになる日は来ませんよね。



【しかし1ミリも動かないところにピキッとヒビを入れられるのは、日本人自身が純粋な祈りを捧げた時だと思います】 

■動画と共に読み進めて、日本を守るために自分への祈りから始めて下さいませ。






日航機123便の墜落の真実。あなたはこれを観て何を感じますか。

 


 


 




終わります