学生時代に吹奏楽をやっていた。
打楽器がやりたかったが、応募者が多かった為に何の因果がクラリネットを吹くことになった。
練習を重ねる内に少しずつ音が出せるようになり、音楽を表現するための手段の一つである、音符や記号の載った譜面に魅了された。
思い起こせば小学校3年生ぐらいの頃、音楽の授業で指揮者を決めるための時間が設けられた。
課題曲が始まると、みな一斉に指揮を始める。
そこで次第に人が減らされていき、最後まで残った。
指揮者になれたことに喜びを感じたものの、課題曲は四分の三拍子なので指揮は簡単に、音楽に合わせて空中に三角形を描くものだった。
どこまでも続いていく三角形が四分の三拍子となるのだろうと思っていたある時、ここだという瞬間の状態を切り取り、自分の手が描き出す三角形の中にその瞬間と皆の合唱を纏めて入れて、次の瞬間に生まれた様々なものを新たな三角形の中に入れてから次へ進んでいたのだということを知った。
瞬間瞬間を一枚の静止画のように捉えて、確かなものにしながら次へ進んでいくのだな。
三角形の頂点から左下の角へ降りていき、その線は右へ行って角を伝わり、頂点へ向かってそこで一旦完結する。
しかし音楽はそこで終わらずに、次の角へと向かって進んでいく。
実は、1つの三角形が完結した時に、 目には見えない結び目となることによって、そこから新たな空気の流れが生まれて次へ繫がっていく。
1・2・3・、1・2・3、とこんな調子なので、結び目はシャボン玉のようにポンポンと次から次へとすぐに出来あがる。
1つの曲の中には完結したもの(結び目)が無数に入っていることは、聴いている人にはもちろん分からないのだけれども、指揮をしているとそれがわかってきた。
そしてそれが、聴いている人には見えなくても、感覚を通して伝わるのだということが。
だから指揮者になったんだ。
ということは?次から次へと色んな疑問が浮かんでくる。四分の三拍子は三角形を描くといっても、四分の三拍子という言葉の意味と三角形という形の意味がピタリと符合する面白さについて、ずっと考えていた。
四分の三拍子の曲に、四分の四拍子で指揮をしたとしたら?
やってみよう。
合わないなぁ~、面白いぐらいに見事に合わない!
ははははは!
輪から外れた音があったとしても、ピアノの音が合唱を根底から支えてくれるために、大きくズレ込んでいくということが無いのだ。
・・・・・当時の吹奏楽部は時代もあったのかもしれないが荒れていて、上級生が威張り散らしていた。
1年の奴らの性根を正すなどと言って、校庭で正座をさせられた時には、憤怒が胸の内に渦巻いていた。
次第に、2年生がやたらと意地が悪いのは、私達には神様のように見えていた2つ上の3年生の先輩たちに、1年生の頃に同じようにいじめられていた為ではないかと思うようになっていった。
新年度を迎えて新入生が入ってきた時、この悪しき虐めの伝統を断ち切らなければならないと考えた。
苛められたから苛め返す、この連鎖を生み出し続けていく無意味さ。
吹奏楽を始める前にはチューニングといって、まず始めに先生がチューナーで音を出し、その音と自分の音を合わせていくという作業があった。
これは生徒ひとりひとりに対して何度も細かく行われるもので、先生がドーーーという音を出せば、自分もドーーーーと音を出す。
よく考えてみれば、【これからドという音を出します】とチューニングを受ける生徒に伝えてから音を出すわけではないので、先生が出した音がどの音域のどの音であるのかは、聴いた瞬間に生徒自身が自分で判断をした上で、先生のドの音と自分のドの音の幅を調律していくということだ。
ある日、自分の番がやってきて、先生の出した音の上に自分の出した音を重ねる作業をしていた時に、音がピタリと符合した瞬間を見た。
時間にしたら2秒か3秒、もしくは4秒間ぐらいであったか、こんなことが起こりえるのか。
その瞬間に全身が総毛立ったというか、血が逆流し始めたというのか、頭に雷が落ちたかのように言葉が出なかった。
神様はいると直感、確信した。
荒れ狂った海の中を進む一艘の小舟のような心持ちである時も、心にむしゃぶりついてくるような悪魔のような考えに翻弄され続ける時も、あの瞬間を忘れることは出来なかった。
チューニングの際、先生の音と生徒の音が一致した瞬間を見たことは一度も無かった。
そうか!全身全霊を込めた時に神様が現れたのならば、また同じ形をとって(チューニング)現れてくれるかもしれないと願ったが、そうしたことは二度と起きなかった。
吹奏楽部全体の負の連鎖である虐めの構図を無くすことが先決だと考え、下級生を虐めそうな同級生には常に睨みを効かせた。
3秒間か4秒間の、神様と一致した瞬間が音の上に現れた。心が震えた。それを聴いた言う現実は、この世に神様がいることの証明なんだ。
何故なら完全なる音の一致なんて、そんなことはどう考えてもあり得ないのだから。
そうか!ひとりひとりの音を一致をさせることが出来れば、完璧な演奏が出来る。
しかし自分の完全な一致は長くても3、4秒間だ・・・・・
自分を正すことが何よりも大切なことだ。
それと並行して、まずはとてつもなく下手な人を何とかしなければ。あの人もあの人も、あの人は特に酷い。あの人が音を出すだけで演奏を掻き乱しているじゃないか!
そしてそこにあの人は全く気付いていない。
着手しなければならないことが多すぎるな。
個人が人間性を高めることが、音楽の可能性を 無限に引き出すということは同類だ。それしかないと言っても過言ではないだろう。
音の一致は完全に調和が取れた世界を示すということなんだ。
それは即ち、一致した瞬間の音を演奏の間中、全員が出すことを意味する。
自分ですら、3、 4秒間しか出せないものを?
音楽の中に神様がいることはわかったが、神様は普段はどこにいるのだろう。どうしたらまた来てくれるのだろうか。
外にいる神様が周波数(波動)が合ったから音の上に姿を現したのか?
完全なる調和と融合の世界がこの世にはあるのだと知らせるために?
Kindleで発売されました。⬇
要はたとえどんなことであったとしても、いつまでもどこまでも
原因他人論をやっていることで、物事の本質から遠ざかっていることにいつまで経っても気づけない状態を辞めなければ意味が無いうことです。
そして、書籍の中にあるネドじゅんさんの【右脳さん左脳さん】という本を購入しました。
私達の脳の中には右脳と左脳があり、現代社会を生き抜く為に働くのが左脳だという考え方です。
左脳には、現代社会を生きるための論理的思考・不安・悩み・トラウマがあり、これが足枷となっているようです。
反対に右脳には、直感・閃きというものがあります。
きたるべきAI社会に向けて、人間が右脳を軸にして生きることの大切さが書かれています。
生きる中でひとりひとりの頭に蓄積されてきたトラウマ(左脳にある)が存在していることで、知らない内に恐怖や不安や悩みを持ち続けているのならば、そのトラウマを抱えた根本的な原因に着手しなければ、現実は変わらない。
集団ストーカー対策ではなく根本的な解決法の著書の総論の所に書かれてある、左脳にあるトラウマをひとつひとつ地道に解消する祈りを行うことで、自然に自分の周波数(波動)が上がり、周波数(波動)が上がることによって、周波数が違う人間は来られなくなる現実を作るってことですね。
書いていたところを消されてしまったので、書き直しているので時間がかかっています。
ネドじゅんさんの書籍には、水をイメージした記述があります。脳のことなので書籍全体はとてもわかりやすく柔らかく書かれてあるのですが、その部分の記述は特に神がかりで、状況が目に見えるかのようです。
水の流れる様子が記述から見えてくるようだといいますか。
途中になってしまいましたが、終わります。