我慢、我慢、我慢の毎日 | Double Peace:)

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DV家庭育ち/見た目はすごく元気(実は心の病気持ち)/スポーツ大好き/実生活では言えない本音/親の退院後の手助け/大好きな人と心から健康に笑顔で生きていくのが夢/初めての方はプロフィールとメッセージボードを読んでいただけたら嬉しいです:)/2023.10.22 blog start

僕が子どもの頃からDV親は

何かにこだわり始めたら

もうそこしか見えなくなったり


衝動的に何か行動を起こして

後でそれがまずかったとなって

暴力を使って家族に責任を丸投げ


ということがよくある人やった。



ガラケーからだんだん

スマホの時代に移ってきて

DV親がスマホに機種変した辺りから

徐々にスマホ依存になり始めて


ガラケーの時も色々と

問題起こされたり大変やったけど

スマホにしてからは依存面では

ひどくなってるなと明らかに思う。



昨日もいきなり怒鳴ったり

物に当たって癇癪起こして

何があったのかと思ったら


とあるサイトの中のポイントを

他のポイントに移したいんやけど

その手続きがうまくいかない!


と言って荒れまくってて、


一言で言えば

最後までちゃんとできないことは

初めからするな!なんよなぁ。



DV親はいつもすぐ目の前の

得とか利益に気を取られて

衝動的に行動を起こしては

後々困ることになる例が多い。



いざ困ったことになった時に

問い合わせたり自分で調べたり

自己解決してくれるならまだいいけど


自分一人でしたことを

さも家族全員の責任かのように

暴れて荒れて家族の手を

必ずと言っていいほど煩わせる。



何歳ですか?と思うよね‥。


そのポイントが大事なら

後々ちゃんと移行できるのか

それくらい初めから調べてくれよ;



そして、何かこういうことが

ある度に家族に対して

暴力的な行為を当然のようにして

威嚇して家族の時間や労力を

当たり前に使って解決させる。


そのことが解決したら

そんなことあった?という態度で

またスマホに夢中‥。


呆れ果ててものも言えない。




たまたまちょっと繋がりが悪いだけで

人生の大問題があったかのように

大声で騒いで文句言ったり


そのことに何の関係もない家族に

当たり散らしてきたりは本当に

よくあることなんやけど、


スマホに限らず普段からDV親は

かなりそういう要素というか

特徴があるのは確かやとしても


スマホに関しては依存度が高いからか

その暴力や威嚇度合いも

他のことに比べて大きい気がする。



第三者的に見てDV親のスマホ依存は

一言で言ってしまえば健全からは

ほど遠いと思ってるんやけど、


いくら周りがそう思ったところで

本人が自覚して本気でやばいと

考えない限りは何も解決しないのも

依存症の怖いところやと思う。



僕自身も不安定な環境で育ってきて

すがるところが欲しいとか

気を紛らわせるものが欲しいという

気持ちは本当によく解る。


でも、スマホだけやなくて

何かに依存してしまうのは

その時一瞬心が満たされたとしても

それはずっと続く安定や

幸せではないと思ってる。



自分が努力して得た考えや

心の持ち方は一生ものやけど、


その時いっときだけ刹那的に

何かを手に入れたとか

楽しいような気持ちになっても


仮に何かの理由でそれができない

(スマホでいうとスマホ自体の調子が

悪いとか急に電池がなくなったとか)

という状況になるとたちまち

イライラしてそれを止められない


ましてや自分で抑えられずに

人に当たったり恐怖心を与える

というのはどう考えても

普通ではないやん。



DV親自身にその異常さを感じて

対策を考えてほしいけど

いくら家族がそう思ったところで

本人が自覚しなかったら

それは何の解決にもならないと

本当に思ってしまう。



特に、これまで困ったことの全てを

暴力行為でその場しのぎの解決で

逃れてきたDV親みたいな人は


更に一筋縄ではいかない気がする。



スマホに限らず色んな面で発達した

進んだ時代に生きて少なからず

助けられてる部分もあるのに

こういうことを思うのも

勝手かもしれないんやけど、


ここまで時代が発達してなかったら

少なくともスマホのことでは

DV親にこんなに振り回されなくても

済んだんやろうなと感じる。



スマホって日常に身近な物やから、

うまく使える人はいいけど

DV親みたいな人の場合

しょっちゅうその弊害を見せつけられて

それに家族も振り回されて

過ごすことになるから深刻なんよな;



僕の前でももちろんそうやけど、

非DV親の前で平気で

荒れたり当たりまくるのも

本当にやめてほしいんよなあ。


非DV親の病後

本人もそりゃすごく努力してるし

僕は本人に比べたら全然やけど

非DV親が少しでもストレスが

少なく生活できるように日々

あらゆる面で気を遣って過ごしてる。



そういう生活の工夫も

医療器具の準備や交換も

DV親はいつもスマホとか

自分の都合で自由にしてばっかりで

見てないから分からんやろうけど、


そうやって必死で頑張ってるのを

DV親の身勝手な言動のせいで

壊すようなことをしないでほしい。


★★


仕事や家事でどうしても時間に

余裕がない時は仕方ないけど、


少しでも時間がある時はなるべく

非DV親がストレスを溜めずに

暮らせるように非DV親の話を

聞くようにしてる。



それ自体は家族の役割でも

あるのかなと思うしいいけど、


話してる中であぁやっぱり

非DV親は自分自身の価値観に

僕をぴっちりはめ込んで

おきたいんやなと感じることが

本当に沢山ある。



今日も、僕が好きな分野を

頻繁に色んな場所に出かけて

楽しんでる人の話になった時に


「あんまりそういう人と

仲良くしない方がええと思うよ?」


と言われたんやけど、


こういう言い方って一見

僕のことを思って


“同じ分野が好きな人でも

いい人とは限らないし

その分野との関わり方もそれぞれ

違うから誰とでもすぐに

仲良くならない方がいいよ”


と言ってるふうに見せながら


実際には非DV親にとっては


その分野に力を入れてる人、

ある程度自由にその分野と

関われたり楽しめてる人と

僕が仲良くなって深く関わると


“何で僕はここまで

自分のしたいことに関して

不自由な生活をしてるんやろう”


“周りは自由に好きなことを

楽しむ時間が普通にあるのに僕は

何であれもこれもダメなん?”


と改めて気づきそうやから

それを避けたいだけなんやと思う。



非DV親は、仕事や家族関係、

親戚関係以外の何かに

夢中になったり思いきり楽しむのを

良く思わない傾向にある。



僕が元々の性格やキャラクターも

非DV親とは全然違うから非DV親は

その時点でもう納得がいかないのに


その上で更に

何かに一生懸命で人生を楽しんで

生きてる人と仲良くされるのを


極端に嫌がってるというか

あからさまに初めから遠ざけようと

躍起になってるように僕には思う。



もちろん、時と場合によって

いくら大好きなことでも

それを我慢してやむなく他のことを

優先しないといけない場面は

あるとは思うんやけど、


あまりにも“楽しむのが悪”

“自由は敵”みたいな考えを

押し付けられるのはしんどいな‥。



いくら大切なことでも

いくら好きなことでも

その時の自分の生活に見合った

できる範囲で関わるのはとても

大事な考え方やとは思うけど、


少しの気分転換さえも

必死に何ヶ月も前から計画立てて

全身全霊の力を駆使して何とか

許してもらうみたいなのって

やっぱりおかしい気がしてしまう。



同じ分野を好きで関わる人でも

やっぱりある程度自由に

外出しやすい人同士の方が

親しくなりやすい、

仲間になりやすいというのは

僕も周りを見てすごく思ってて、


正直疎外感を感じることもある。



いつでもどこにでも行けるという

状況は大人になったって

なかなか難しいと思うし


自分個人の予定は後回しに

せざるをえなくて我慢してる人も

沢山いるとも思うけど、


同じものに興味がある人たちと

話してるとつい“僕はいつも

行けなくて我慢する側やな”と

改めて意識してしまうのも事実で。



僕はいちいちそういう話を家で

しないから僕がどんな知り合いと

いつどんな話をしてるかというのは

親は知らないはずなんやけど、


僕が昔からずっと好きなこと、

ずっと興味があることに関して

自由に楽しめる環境にないのは

見ればすぐに分かることやし


元々人と話すのが好きで

誰とでも仲良くなれる僕が

そうやってその分野でも

人と話すことによって


今の環境や状況に改めて

色々不満や疑問を持つのは

非DV親からしたら絶対に

避けたいことなんやろうな。。



結局は自分の価値観や考えの

コピーのように僕が存在しないと

嫌ってことなんやと思う。



僕の幸せよりも親のエゴを

取りたいんやろうね;


★★


一昨日、非DV親が僕の服のことで

批判的なふうに言ってたから


昨日は元々これ着ようかなと

思ってたのがその批判された日と

似たような服やったのもあって

違うイメージの服を着た。



その違う服も気に入ってるから

持ってるわけで着るのが嫌とか

そんなんではもちろんないんやけど


この服を着たいと思った時に

その服を着れない、

これを着て何か嫌なことを

言われたら面倒やなといちいち

考えて服を選ばないといけないのは


自分らしく生きてるのとは

対極の行動な気がする(゜゜)



服くらい自由に着たいよね。


別に好きな服着て

「服くらい好きに着てええやん!」

と言えば終わる話かもしれないけど


それが正論やとしても非DV親が

僕が思い通りにならないことに

ストレスを溜めて体調面に影響が

出ることが怖いんよな。



大きい病気を経験してるから

非DV親のストレスを極限まで

減らそうと思うと、それは自動的に


僕がひたすら我慢の中で

生きるのとイコールになる。



服もそうやし、好きなことに関して

とてもがんじがらめで自由がない

というのもしんどいんやけど、


やっぱり一番しんどいのは


ニコの転勤で距離的には今年

大幅に近くなったのに

会いに行ける自由が本当に

あまりにも少ないことなんよな‥。



ニコがこれまでより近くに

引っ越してきてから

僕はこれまであんまり

見えない所にあったニコの

ほくろを初めて知った。



もしかしたらそんなことは

人から見たらすごく小さい

何てことないかもしれないけど


僕にとってはそういうことも

あぁ前より近くなったんやな

ってすごく嬉しいことで、


本当はもっとそんな感動を

沢山味わいたいのにな。


★★




つい最近まできれいに咲いてた花*

毎日のちょっとしたことに励まされて
何とかその一日を生き抜いてる。