迎えに来させる→服にダメ出し | Double Peace:)

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DV家庭育ち/見た目はすごく元気(実は心の病気持ち)/スポーツ大好き/実生活では言えない本音/親の退院後の手助け/大好きな人と心から健康に笑顔で生きていくのが夢/初めての方はプロフィールとメッセージボードを読んでいただけたら嬉しいです:)/2023.10.22 blog start

梅雨やし雨が多いのは

仕方ないと思う。


でも、雨やから帰りが面倒やし

ラケが迎えに来て当然、


もし嫌そうな態度を取ったら

暴力的なことをして

黙らせれば済むという考えは

どう考えてもおかしい。



「ここで待っとけっていう場所に

ラケがいつものシャツ着て

迎えに来とったわ!笑」と

DV親が言った時に非DV親が


「ラケってその服ほんま

よう着てるよね。

もっとあの服とか他のやつ

着たらええのに」

と不機嫌に言ってきて

この家では服装まで細かく

ダメ出しされるんやなーと


本当に悲しいし呆れてしまった;



僕が気に入ってよく着てるのは

全然奇抜な感じでもない

数字やロゴが入った服で


周りが振り返るような

とんでもない服装ではない。


色も派手やないし周りからは

「ラケってそれ似合うよね(^^)」

と言われることも多いから

たぶん変な感じではないはず。



ただ、非DV親の好みは

もっと違う感じの服で

そういうのも持ってるには

持ってるんやけどあんまり

着ないことが嫌なんやろうと思う。



極端に自由がなくても

ここから逃げ出すまでは仕方ないと

言い聞かせて毎日必死に何とか

折り合いをつけて過ごしてる中で


服装まであれこれ言われるって


しかもそれを当然のように

言うことにためらいもなく

言ってくるって


何かもう‥僕はそこまで自由を

奪われる存在なんかなぁって。



好き勝手出かけてるわけでもなく

全て家のことを優先、

おかしいと思っても我慢して

淡々とその時の用事をこなしてて


それでもまだこうやって

色んなことにダメ出しされる。



常に見張られてる感じさえして


“自分”を否定されながら

ガリガリ削られていく感覚を

この家にいると感じてしまう。



前はまだ、自分のことを

理解してほしいという気持ちが

家でもあって、僕の好きなことや

興味があることを知ってほしいと

いう思いもあったんやけど、


親の価値観や希望にピッタリ

100%そぐわなければ容赦なく

文句を言われて不機嫌になられて

何も悪いことなんてしてなくても

僕が悪いかのように気まずくなって


もう生活さえうまく回れば


僕が水面下で将来のために

動けるところから動いていければ

それでいいとだんだん

思うようになってきてる。



僕は親の好みや日々の思いに

批判なんてしたことないけどね。


僕の家の場合は暴力家庭やし

そうそうそんなこともできない

という現実があるのも大きいけど


そうではなくても

家族間でも人が好きなものや

興味があることに真っ向から

当たり前みたいな顔して

批判や否定するのは疑問なんよな;



子どもは親のコピーではないし、

親の欲求を満たす道具ではないよ。



たぶん全然解ってくれてないし

僕がどんなにこの話をしても

この家では僕が悪者になって

ずっと平行線なのは分かってるから


もう何も言わずに

僕は僕の人生や毎日をなるべく

生きていくことを考えるだけやけど


そこまで言われなあかんのかなぁ

何で全てにおいて僕を

ロボットみたいに従わせたいんかな


という悲しい思いはずっとある。



遠慮なく好きな服を着たい。


時々は自分の好きなことを

心から楽しむために出かけたい。


この家では夢みたいな話やけど。



これは心の病気のせいもあるかも

しれないし全部が親のせいとは

言わないけど、気分転換も限られて


それこそこの服を着ようと

思った時に着たい服も着れない


そんな環境で気持ちを前向きに

楽しく生きようなんて難しすぎる。



親の価値観や考えにバッチリ

合うもの以外は全てダメみたいな

日常は鳥かごにずっと入った

暮らしみたいに感じられてくる。



非DV親が病気を経験して以降は


「ストレスがやっぱり体に一番

悪いと思うんよね。


だから、

また病気になってほしくないなら

ストレスはかけてこんといてね」


というプレッシャーを何かの度に

僕にかけてくるようになった。



非DV親はすごく完璧主義やから

僕に比べても日常の色んなことが

気になってストレスになるんやろう


というのは僕にも想像がつく。



だから、非DV親の話は愚痴でも

長時間続く親戚の話でも何でも

僕の時間が許す限りは全て

聞くようにしてるし、


僕から見たらどんなに細かいことも

非DV親がこだわれば納得できるまで

非DV親にとっての答えを一緒に

追求するようにしてる


というか

もう非DV親に病気になってほしくない

ずっと元気でいてほしいと願うなら

それ以外の言動はありえない

という状況になってる。



非DV親に元気でいてもらうために

それが僕にできることの一つなら

それは喜んでするべきなんや

とも思ってるけど、


非DV親の望むように

非DV親が求めるように


そこだけを優先してしまうと

僕の心も体も痛めつけ続ける

ということになる事実もある‥。



ほぼ全て自分を抑えつけて

非DV親の望むラケに自分を

改ざんして嘘ついて生きろ

ってことと同じやもん。



非DV親が病後それまでより

できなくなったことのサポートは

必要なことやし僕がするべきこと

やと考えてるけど、


ストレスが溜まったらまた

病気になるかもしれない→

だから全て親の思うように生きろ


は病気に関係ないと思う‥。



確かに非DV親の病気は

家族の中で大きな出来事やった

とはもちろん今も思ってるけど、


何でもかんでも病気の経験を理由に

人を思い通りに生きさせようと

するのは違う気がしてしまう。



DV親は相変わらず自己中心的で

スマホ依存でもあるから

ちょっとでも繋がりが悪いと

不機嫌になって怒鳴ったり


何でこんなにビクビクしながら

生きないといけないんかな‥。


★★





こういう環境やけど、
僕は僕を大切にしよう。

絶対にしないといけないことは
頑張るしかないけど、

それ以外のことは少し後回しに
したってどうなるもんでもないし

楽しみを持って生きられるように
毎日の中に楽しいなと思えることを
見つけていこうと思う。