去年の日記に見つけたニコの気持ち | Double Peace:)

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DV家庭育ち/見た目はすごく元気(実は心の病気持ち)/スポーツ大好き/実生活では言えない本音/親の退院後の手助け/大好きな人と心から健康に笑顔で生きていくのが夢/初めての方はプロフィールとメッセージボードを読んでいただけたら嬉しいです:)/2023.10.22 blog start

昨日は夜中0時半くらいまでは

寝られない事情があったから

その時間までにまた少し

これまでの日記を読んでて


そしたら去年の後半辺りの

ニコのことを書いてる日のことが

改めてすごく心に残った。



一つは、ニコが病気になった後

フルタイムに復帰してすぐの頃の


「ニコが『自分がこれまでと

同じように仕事をするのは無理と

思ってる人たちが沢山いても、

自分は絶対にそれを諦めない』と

言ってて、本当に強い人と思った」


という内容。


そうそう、確かにニコが

そう言ってたのは今も覚えてる。



僕が知らない(見てない)所でも

悔しいことを沢山言われたはず。


普段は明るく振る舞って

誰かのことを責めるような言い方は

一切してなかったけど、たぶん

許せないと感じることも

あったんやろうなと思う。



病気でもケガでもそうやけど、

自分や身内がそういう経験を

してない人の一部は本当に

びっくりするほど好き勝手に

傷つくようなことを言ってくる。


それは僕も、ニコもそうやけど

非DV親が病気になってから

何度も経験して実感してる。



何人もの人に無理と言われても

自分は(病気になる)前と同じように

仕事がしたいという熱意が

すごいなと本当に思ったし、


だからこそ一日のスペースが

限られた数行の日記にも

そのことを書いたんやろう。



あと、もう一つニコのことで


「一生懸命前を向いて

ポジティブに生きればいつか

どこかで奇跡みたいなことも

起こると自分は信じてるから」


という、ニコが言った言葉が

すごく支えになったと書いてる

日があって、懐かしく想い出した。



ニコは本当にいつも明るくて

前向きな人なんやけど、


もしかしたら生まれ持って

そういう生き方というだけでなく


“いつかどこかで起こる

奇跡みたいなこと”を信じて

意識してそう生きてるのかも


と思ったんよなぁ。



「自分は前からずっと

こういう前だけ見てる生き方だよ」

とニコはたまに強調するけど、


そうやってものすごく強調するのは

本当は迷ったり悩んだりする時も

あるからなのかもしれないと

感じたりもして。



去年その日記を書いた時点では

ニコは遠い地域にいて

本当に今以上に会えなかったし、


今から振り返ったらあの状況が

何年も続く中でよくずっと

好きでいられたよなあと

自分のことやのに思うほど。



コミュニケーションを取る機会は

たまにあったけどそれだけで

よく今年の転勤でニコが

前より近くに来るまで耐えたよな‥。



ニコのそういう言葉に共鳴したり

支えにしてその時できることを

コツコツ積み重ねつつ頑張ってきた。



ほんま懐かしい(;ω;)


あの頃に比べたら

色々事情はあれど頑張れば

あの頃よりはまだ会えやすい

今は幸せなはずやのに、


前よりは会いやすくなったら

その当時とはまた違う悩みで

今は心じゅうを埋め尽くされて


それは距離的に近くなったのとは

全く関係ないところでの

悩みなんやけど毎日本当にしんどい。



大きな病気という大きいことが

あっても自分の目標をブレずに

信じ続けてきた当時のニコを

改めてすごいと感じるのと同時に


今あの頃と全く同じ気持ちで

こんなふうに思えるかな?

ニコのことを日記に書けるかな?

と考えるととても苦しくなる。



今も大好きは大好きやけど、


元々人間全般誰に対しても

信頼したり信用するのが苦手なのが

今はニコに対しても心を

寄り添わせるのが怖くなってるから


あの頃の僕のまっすぐさが

自分のことやのに眩しく思えてくる。



僕は人と世間話というか

別に重くもない何気ない話で

仲良くなるのは本当に早い

(よく羨ましがられる)。



だけど、

本当の意味で心を開くことは

めったにないから今思ったら


あの時点でニコにあんなふうに

心を寄り添わせられてたのは

僕史上でもすごく珍しいこと。


そういうことも含めて

懐かしく感じられる。



一回、この人を信じて大丈夫かな

と思い始めるとだんだん心を

閉ざしてしまう傾向も含めて

僕というのを自分で分かってるから;



だけど、こうして前の日記を

読み返すのってやっぱりいいね。


タイムカプセルのように

当時の自分の心模様が

今の心の中に飛び込んでくる。


日記として残してなかったら

こんなことはないやろう。



自分の字で書いてるから、

楽しい時はそういう字やし

悩みがある時は字も

自信なさげな感じなんよなぁ。



これはデジタルにはないことで、

だからこういう時代やからって

アナログを切り捨てるのは

あまりにももったいないし

目に見えない部分での損失も

多いと僕は思う。



仕事上の書類とかなら便利に

効率的にでいいんやろうけど、


日記とか手紙とかそういうのは

ずっとこの先も残ってほしいな。



僕が寝てるベッドのそばに

ニコがくれたメッセージを

大事に置いてあるんやけど、


「ラケくんへ」って書いてある

その文字が特徴的で僕はたぶん

何百個の“ラケくんへ”の中からでも

ニコの字が分かる自信がある。


(気持ち悪い自信やから

普段人には絶対に言わない。苦笑)



文字は上手い下手とか

そういう話やなくて

その人を表すから愛しいんよな。





ニコが前の支社にいた時に
僕にも良くしてくれた人たちにも
僕は感謝を忘れたらいけないと
今でもいつも思ってる。


人に言えない事情も含めて
色んなことを抱えて
いつでもまっすぐ前向きでいるのは
本当に難しいけど、

あの頃、その支社がある町の
知り合いたちは「ラケのために」
って色々心遣いをしてくれて

その人たちにいつも恥じない
生き方をしたいとはずっと思う。


ニコが前にいた町は遠かったけど、
そういう知り合いたちのお陰で
僕はいつでもその町を近くに感じて
踏ん張れたし、頑張れたから。

ニコ本人にも沢山助けられたけど
僕のためにこんなに打算なく
動いてくれる人たちがいる
ということに本当にびっくりしたし

今でもそれを思うと
もう少し頑張ってみようかなと
いう気持ちにさせてもらえてる。