昨日の夜中から今日の朝方は
結構強い風が吹いてたらしく、
春に毎年桜を見に行く
小さい公園の前を通ったら
桜の花が何個もついたまま
細い枝が地面に落ちてたΣ(ㅇㅁㅇ;;)
急いで救出して持ち帰って
とりあえず水に浸けといた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240409/22/rake-smile/25/95/j/o1080108015423792274.jpg?caw=800)
★★
毎日持ち歩いてるパスケースに
特に大切な写真を
プリントして入れてる。
これまでは、ニコが前に住んでた
町で撮った写真1枚と
その町に住んでる知り合いに
もらった写真をすごく小さめに
分割でプリントしたのを
入れてたんやけど、
今回入れておきたい写真が
1枚増えたからそれも
パスケースのサイズに合うように
プリントして、これまで入れてた
小さめの写真たちは一旦出して
あんまり分厚く重くならないように
その小さめの写真たちは
写真用紙やなくて普通紙での
プリントにしてトレカサイズの
透明のクリアポケットにまとめて
パスケースの中身を少し
見直してまとめておいた◎
前から入れてる、ニコが前に
住んでた町で撮った写真も
これからもずっと大切な
想い出やからそのまま入れてて
それに加えてこの週末に
ニコ関係で思い入れがある
写真を撮れたからそれも入れた♡
長年の夢が叶った日の写真。
どうしても毎日身に着けたくて。
スマホに保存とかのデジタルも
もちろんメリットもあるし
それはそれでいいと思うけど、
僕は特に大切な写真は
液晶画面やなくてプリントした
写真そのものを手に取って
見ていたい、味わいたいタイプ。
あと、僕はスマホを自由に
見られる時間が限られてるから、
いくらスマホに大事な写真を
入れてても見たい時にすぐに
見られるとは限らない。
パスケースなら常にポケットに
入れていられるから、
仕事の合間、家事の合間にでも
一人になった時にこっそり
見ることもできる( ˙꒳˙ )
(この顔文字可愛いやん!笑)
デジタルの便利さもいいけど
実際に写真を手にして
手のひらの中でその写真の
現物を見るという
きっと昔の人もそうしてたであろう
レトロでアナログな
ひと手間加えた作業や動作が好き。
ほんまに進んでる?と不安に
なってしまう時もコツコツ地道に
その時にできることを頑張れば
願った通りの日にたどり着くと
実感できたのが本当に嬉しい。
嫌味を言われたり
極端に自由を制限されたり
そんな理不尽な中でも
実際にそうやって夢を叶えた
という確かな感触はいつだって
僕を救って励ましてくれるから。
★★
僕が一番関わってる世界は
お世辞にもすごく広いとは
言えない分野やとは前から
思ってたけど、今日知り合いと
話してた時に僕のまた別の
知り合いとその話してた知り合いも
知り合い同士やと知って
ちょっとびっくりしてしまった。
今日話してた方ではない知り合いは
多少僕の家庭事情も知ってる人で
(知られるつもりはなかったけど
ある時知られてしまう出来事が
あってやむなく知られてる)
その知り合いと今日僕が話してた
知り合いがもしある程度
親しかったとしたらちょっと
ややこしいなと思ったり(;´・ω・)
今日話してた知り合いは
何年も前から知ってて
いい人やとは思うんやけど
その同じ分野の周りの人の話を
僕に色々してくるってことは
僕の話も周りにしてるんかな?
色々噂されたりしてるかな?と
思えてしまうところもあって、
これは話に尾ひれがついて
全然違う噂話になったら困ると
感じる内容は初めからその人には
話さないようにしてる。
(というか、やむなく知られた場合
以外は僕はいくら好きな分野の
人にでも自分の個人的な話は
極力しないように気をつけてる)
今日話してた方ではない知り合いは
僕から見て理想の生き方と
思えるような人生を歩んでる人で
かっこいいなと思う部分も多いけど
結構あんまり何も考えずに
バンバン言葉を発する人なんかな
ってそこは正直僕は苦手でもあって
その知り合い同士が知り合い
というのはますます僕も
その分野の場での言動に
気をつけないといけないな(꒪⌑꒪.)
どこで誰と誰が知り合いか
分からないのって怖いよね。
そのどっちもが悪人とか
そんなんやなくても
世の中には色んな人がいるから。
特に、ニコと出会うきっかけに
なった分野の中での人間関係には
僕はすごく慎重になる。
元々、人を信じられない環境で
育ってきたから初めから基本的に
人と仲良くなっても心ではある程度
距離を置いて接してはいるけど、
僕が気を緩めてしてしまった発言が
僕の意図しない形で巡り巡って
回り回ってニコまで届く
ということもないとは言えないから。
★★
何でそういう言い方するんかな?と
家での生活の中で思うことが
基本的に一日に一回はほぼある。
だけど、そこでもし僕が
冷静に反論したとしても
その1つ2つの言葉に何十倍の
攻撃(口撃?)が待ってると思うと
その平行線のために
心をすり減らしてぶつかることに
果たして意味はあるのかと思う。
それならのらりくらりかわして
好きな写真見て
樂しくて嬉しい瞬間を想い出して
またそういう時間に出会えるように
そっちにエネルギーを向けた方が
人生の中でよっぽど有意義な気がする。