隣は自由をまとった人 | Double Peace:)

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DV家庭育ち/見た目はすごく元気(実は心の病気持ち)/スポーツ大好き/実生活では言えない本音/親の退院後の手助け/大好きな人と心から健康に笑顔で生きていくのが夢/初めての方はプロフィールとメッセージボードを読んでいただけたら嬉しいです:)/2023.10.22 blog start

家の用事で朝から忙しい一日。


でも、たまたま隣に座った人が

向こうから話しかけてくれて、

その人は僕と同じ趣味を

持ってる人やった(°ω°)


「今日もこれから〇〇の用事に

まず出かけて、その後夜は

△△っていう別の用事があるから

移動するのも忙しくて!笑」


と、その人自身はおとなしそうな

印象やったんやけど本当に

楽しそうに趣味の話をしてくれて


何かすごくいいなぁと思った。



その人も、趣味は自由に楽しめても

他で大変なこともあるかもしれないし


目に見えない部分で何かを

抱えてるかもしれないから


その一つの側面だけを見て簡単に

いいなーとか羨ましいとか

言うのは良くないかもしれないけど、


僕から見て自由をまとったように

羽が生えたようにかっこ良く見えた。



僕は、基本的に自分の自由はない。


例えば〇月〇日にこれをしたいと

思うことがあってもすんなりと

自分の思うようには出かけられない。



その日にたまたま親の都合とか

色んなタイミングがうまく動いて


自分が元々したいと思ってた予定を

幸運にもできたということはあっても


初めから「〇月〇日にこうする」

「〇月〇日に出かける」というのを

勝手に僕の都合では決められない。



僕自身の個人的な都合を

ほんの少しでも叶えようと思うと


多くの事前準備や配慮をした上で


その日に少し自由をもらうために

他のとてもハードな条件を

受け入れることでやっと

許してもらえるかどうかの感じ。



そうか‥

一日丸ごと、2つも自分の予定を

自由に入れられる人もいるんや。


まずはどこかで趣味のことを楽しんで

そこからまた別の所に移動して

またそこでも好きなことをして


そんな休日を過ごせる人も

いるんやなぁと思った。



家のことを考えずに

好き放題生きようとまでは

思わないけど、現状では僕は


とにかく全てにおいて

家族の許可を得ないと

気分転換に外にも行けない

好きなこともほぼできない


そういう立場にあることを

今日その人と話して

つくづく実感してしまった。



テレビの向こうの話とか

誰かが言ってた誰かの話とか

そんなんやなくて実際に僕が

顔を合わせて話した人の話、


しかも同じ趣味の人の話やから

余計にリアルに感じられた。



僕も後悔がない人生を生きたい。



それは人を無視して

したいことだけして生きる

という意味の自由を求める

というわけではなくて、


本来これをしたいと強く望むことを

ほとんど丸ごとなかなかできずに

ただモヤモヤしたまま生きるのは

本当に辛くて苦しいし


自分の人生を実質的には

生きてないのと同じやと思った。



目立った格好をしてるんでもなく

キラキラした舞台にも立ってなく

本当に日常生活の中の何気ない

その辺の椅子に座ってるだけの


その人が自分にはただ憧れすぎて

もう何も言えないような別世界で

生きる人なんやと思えたことが


今日一日の中の

大きな気づきになった。





あまりに自由がないと
心が塞ぎ込んだり
ストレスで発狂しそうになったり
どんどん追い詰められて
しんどくなってしまう。

わがままや自分勝手に
ならない範囲で毎日の中に
小さいことも含めて自由が
あるというのは大切なこと
なんやろうなと感じる。