それでも僕はそうは言えない | Double Peace:)

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DV家庭育ち/見た目はすごく元気(実は心の病気持ち)/スポーツ大好き/実生活では言えない本音/親の退院後の手助け/大好きな人と心から健康に笑顔で生きていくのが夢/初めての方はプロフィールとメッセージボードを読んでいただけたら嬉しいです:)/2023.10.22 blog start

非DV親が病気になってから

僕がすごく気をつけてることの

一つに“余計なことを言わない”

というのがある。



非DV親はスーパー完璧主義やし

ざっくばらんに何かを話す

という家庭環境を

経験したことは一回もなくて、


「僕はテレビのコメンテーター。

ちょっとでも失言したら

視聴者(家族)から苦情が来る」

と勝手に頭の中で設定して

模範解答のみで過ごしてた。苦笑



非DV親が病気になったから

いきなり会話の内容や

話を聞く時の態度を変えた

ということではないんやけど、


非DV親が病気になって以降

生活の中で非DV親には

“前はできてたけど今はできない”

“日常生活上大変なことが一部ある”

という部分もあるから


これまで以上に、言う側は

そこまでの意味を含めて

言ってはなかったとしても

非DV親にとっては不快やったり

傷つく言葉もあると思うし


基本的には非DV親が話すことを

肯定してひたすら聞き役に徹する。



僕の知り合いで、元々あんまり

人とコミュニケーションを

取るのが得意ではない人がいて


その人は非DV親も何回も

会ったことがあるんやけど、


その人のことをしょっちゅう


「ラケは話も聞いてくれるし

会話のキャッチボールも

できるけど、もし〇〇(知り合い)

やったら絶対話もまともに

聞いてくれてるかも怪しいし、


そんなんやったらきっと家で

話す気もなくなるんやろうね」


と言ってるから、非DV親は僕に

とにかく話を聞いてほしい

病後のモヤモヤを理解してほしい

という思いが強いんやと思う。



DV親は、自分が話したいことを

ひたすらマシンガントークして、

そこに途中で別意見を言われたり

「あ、そういえば~」とか

他の話題に勝手に移られるのが

絶対に嫌で許せないタイプの人。


他の人と自分の価値観が違うとか

ちょっとしたことでも違う意見に

なったとしたら、必ずその人を

自分側の意見に引き込まないと

不満というようなところもある。



だから、非DV親が言ったことや

普段の生活に関しても、

悪気はないのかもしれないけど

「もっと~したらええのに」とか

「何で~せえへんの?」という

言い方を結構平気でしてて、


それを非DV親がすごく嫌がって

その場では優しくかわしてるけど

後で僕によく愚痴ってくるのを

聞くのも忙しかったり

ちょっと大変やったりする;



もし、僕が非DV親の立場なら

大病の経験という同じ立場では

ない人に簡単にこうしたら?とか

言われたらやっぱり気が悪いし、


たとえ悪気はなかったとしても

じゃあ悪気がなかったら

何を言ってもいいのかっていうと

そうではないとも思う。



本音を言えば、


例えば病院の先生に言われたことも

非DV親にとって都合がいいことは

「先生もこう言うてるもん!」

「言われたことは聞かないと!」と

言うのに対して、都合が悪いことは


何回か言われてもまるでそれは

全く聞かなかったかのように

しようとしなかったり


非DV親の言動に「?」と

思うところもあるんやけど

そこにもあえて触れずに

非DV親の過ごしたいように

なるべくストレスを

溜めさせないように振る舞ってる。


★★


僕が心の病気になってすぐの頃

当時住んでた家のキッチンで

何か作業してた時に非DV親に


いくら何でもそれはひどいなあ

と感じることを当然のように

言われた時があって、


僕が心の病気について

家で話すことは当時から

基本的にはなかったんやけど


ここでもし僕が言わなかったら

こうして傷つくことをずっと

言われ続けるんかなと思ったから

心の病気について少し伝えたら


「そんな話は聞きたくない!

そんなこと言われても困る!

もうこの先その話はせんといて」


と言われてしまったことがあった。



僕は本当にそれ以降

心の病気の話は親にしてない。


すごい剣幕でそう言い切られて

またその話題はできない。



いつまでもこのことに

こだわったところで

どうなるもんでもないし、


非DV親にとっては

そう言ったことすら

忘れてるくらいの話やろう。



それでも、僕の心の中には

今もそのことがずっとあって


“僕自身がすごく辛い時には

逆にそんな話はするなと

止められて話自体拒絶されたのに


僕は非DV親の病後のサポートを

全面的に常に限りなく完璧に

しないといけない”


という現状が苦しいんかなと

自分でも思う。



非DV親と同じ病気を経験してない

僕は本当の意味で非DV親の

辛さや苦しさは完全には

理解できないかもしれない。


だけど、あの時の記憶は僕に

たとえ同じ経験をしてなくても

初めから理解する気もなく

突き放されるのがどれだけ

辛くて苦しいかを今でも

確かに僕に突きつけてくる。



だから、僕は非DV親の気持ちを

一番に考えて行動するし

本当はしたいことがあっても

何も言わずに我慢するし

医療関係のことも僕が

できることなら進んでする。


こういう家庭環境でも僕を

育ててくれたことに感謝してるから

大事な存在の一人として

できることは全て頑張ってる‥

つもり。



非DV親の病気のことを一番近くで

見てきて本人の立場を完全に

解ることはできなくても


家族として本当に色んな気持ちに

なったり壁にぶち当たったりした。



いつでも自分が一番のDV親や


非DV親やその家族の立場に

なったことないから本当の意味で

どんなに大変か解らないはずやのに

的外れな意見だけは謎の

上から目線で言う親戚の中で


毎日ただ最大限アクセルを踏んで

自分の心の病気は無理やり

見ないふりして生きる僕の

しんどさもまた、周りの人たちには

なかなか解りえないと思ってる。



非DV親が経験した病気は

確かに大病やったし

だから病後も急にすぐ回復!

というわけにもいかないし

サポートももちろん必要。


ただ、じゃあ心の病気は

見て分からないから軽いとか

別にすぐ命に関わらないから

大したことないやん、

というのは違うかなあと思う。



これを言える場所が実生活には

どこにもないから、僕は毎日

無理やり元気に笑いまくって

必死で生きてる気がする。


僕がするしかない、

僕が頑張るしかない、

生活を見ればそんな場面だらけで。



非DV親が大事なら

非DV親に感謝してるなら

心を引きずってでも

しないといけないことが

毎日の生活の中に沢山ある


そう思ってしまうから

しんどくなるんかな。






DV親はDV親の用事で出かけてて
その間に僕は非DV親の医療関係の
書類を出しに行ったんやけど、

久しぶりに青空見たなー!って
嬉しい気持ちになったし
何か励まされた◎


明日と明後日は家の用事があって
明日の午後は少しだけ僕の
好きなことをできる時間も
あるにはあるんやけど、

最近心の面の体調があんまり
良くないから2日連続で
ずっと家の用事というのが
ちょっと心配やったりもする。


趣味関係の人たちが
何か趣味の用事で出かけると
聞いたりするとやっぱり

時間や色んな状況に追われたり
せずにリフレッシュできる機会が
あるというのを羨ましいとは
相変わらず思ってしまうけど、

今の僕はまずはゆっくり
休みたいし眠りたいと思うかな;


自分のことは一日の一番最後に
やっと少しできる感じやから、
夜ふかしする気はなくても
必然的にその時間しかゆっくり
できない時も多くて

寝不足になってしまうことも
どうしても増えてしまう。

★★

頑張ってきたことがこんな形で
報われるのかと思った
先週の土曜日からちょうど1週間。

またあんなふうに感動することと
出会うためにも前を向いて
歩いていかないといけないと思う。