調べられてる?/悟り | Double Peace:)

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DV家庭育ち/見た目はすごく元気(実は心の病気持ち)/スポーツ大好き/実生活では言えない本音/親の退院後の手助け/大好きな人と心から健康に笑顔で生きていくのが夢/初めての方はプロフィールとメッセージボードを読んでいただけたら嬉しいです:)/2023.10.22 blog start

DV親がたまにすることで

嫌やなーと思うことがある。


それは、僕と繋がりがあったり

仲良かったりする人のフルネームを

DV親も知ってる場合

(僕はなるべく自分の周りの人の話は

DV親にはしないようにしてるけど

元々親とも面識があったり

関わりがある人やと仕方ない)


突然そのフルネームをネットで検索して

色々調べようとすること(´Д`)


そこでもし、何か批判できるような

材料が出てきたとしたら騒いだり

あれこれ憶測でものを言ったり


そういうのがすごく

調べられてる気がして僕は嫌で;



というのも昔、僕の当時の知り合いに

DV親が一方的に腹を立てて

ネットでその人の会社の連絡先を調べて

嫌がらせまがいの苦情を送った

という悲しい出来事があって、


僕みたいに複雑な家庭に育った

人間にとっては、ネットは

便利やけど勝手に色々情報を

集められる怖いものでもあると

そのことがあってから

すごく思うようになった。



ニコは僕が小さい時から

なじみの町の出身やし

僕の親もニコとはちょっと

面識があるから


昨日ニコのフルネームを検索して

ニコの会社のサイトに載った

ニコの仕事関連の内容とかを

DV親が見てたみたいで、


別にそれについて何か

批判されてはないんやけど

DV親にこれまでされたことを

思い返すとあれこれ調べられてる

というの自体が怖く感じられる‥。



僕は昔からあんまりネットを

すごくよく使うタイプではないし、

このブログは書いてるけどそれ以外では

自分から何かを発信するのとかも

元々はそんなに好きではないけど、


このブログも僕という人間が

特定されないように

ものすごく気をつけて文章書いてるし

写真も一応大丈夫そうか見直してる。


だからこのブログが知られることは

まずないと思ってるし

SNSも苦手で趣味関係の情報を

得るためにやむなくアカはあっても

積極的に更新したりはしてないから

おそらく心配はないんやけど、


僕自身はそうでも

僕の周りの人たちの言動は

僕にはコントロールできないし

状況や事情もそれぞれやから


仕事柄業務内容とか生活スタイルが

分かりやすい人もいたり


仕事先でも何でもその人に繋がりうる

連絡先をすぐ知れることだってある。



僕が自分の大切な人間関係を

DV親には詳しく話さないようにする

という以外の防止方法がないのが

しんどいなあと思ってる。


ネットは便利やけど

世の中には色んな人がいるから

よっぽど気をつけてないと

怖いよなあとはすごく思う。


僕はすごく近い所に恐ろしいなと

感じる人がいるから、

世間では全然気にも留められない

ようなことでも人によっては

ここまで怖いことに使うんやなと

実感した経緯もあって余計に怖い。



DV親といえば、この話とは全然

関係ないんやけど、非DV親が

「病気後は前みたいにそんな

テキパキ動けない」と言ってたら


「でも自分は別にそのペースに

合わせる気は毛頭ないけど」と即

言い切ってて唖然とした( ゚д゚)


え?それ言うん?そんな言い方する?

と思うことを何の遠慮もなく

堂々と迷いもなく言うから


その空間にすごく独特の空気が流れる。


★★


家の中では、生活上の報連相は

ちゃんとするけどそれ以外は基本的に

何か話されたことに対しての

無難な返し以外はしてないけど、


趣味の知り合いの中でも

結構普段から話す人たちと

アホな話して笑ってる時間は

何となく素の自分に戻れてる気がして

ちょっとホッとするε-(´∀`*)



僕は心の中では誰に対しても

「この人だっていい人かどうか

信頼できるかどうかは分からない」

という気持ちでいるから、

それこそ家のこととか深い話は

ほとんどしないけど、


それでもそういう時間があるからこそ

毎日の生活を頑張れてる気がする。


DV親が大声で何かの批判をしてる時も

非DV親の生活のサポートをしてる時も


心の中ではニコにしてもらって

感動したこと、趣味の知り合いに

してもらって嬉しかったことなど


支えや救いになることを

何回も繰り返し考えては頑張ってる。


★★


非DV親に僕にとって将来にも

関係があるような大切なことを

話してる時に、おそらく非DV親が

望む100%の考えではなかったんやろう、


「(ラケが話してることなんて)

別にどうでもええけど?」と

ちょっと不機嫌になりながら

言われて嫌やなと思ってしまった。



親子でも別人格やから

僕にとっては大事なことでも

親から見たらもっとこんなふうに

生きてほしいとかこういうことを

好きでいてほしいとか思うのは


親も人間やし仕方ないとは思う。



でも、僕は非DV親の人形や

人生を満足に生きるための道具ではない。


僕が仮にすごく苦しみながら

親の言う通りにしたとして

その結果人生に大きな後悔を残しても


「別に自分の思い通りに

生きてくれたからそれで満足」

「ラケがそのことで後悔しようが

苦しもうがそんなことは関係ない」と

思うとすれば、それは僕のために

考えてくれてるんではなくて


自分の思い通りに僕が生きないのを

面白く思ってないだけということになる。



DV親、非DV親、そして僕。

それぞれに性格が大きく違うし

家庭環境上、歩み寄りが

難しい面も多々あると感じてる。


非DV親の介助など

今僕がしないといけないことを

非DV親に嫌な態度を取られたから

ちゃんとしないとか

そういうことは僕はしないけど、


完璧主義な非DV親の思う通りに

生きるのが当然みたいな空間の中で

本来ならごく普通に堂々と

家でできるはずのことでもできないまま


淡々と介助をしたり家事に追われるのは

精神的にもしんどいなとは思う。



前よりは僕も悟ってるから

そこは割り切って、

自分が心の病気でしんどい時も

介助も含めしないといけないことは

快く進んで笑顔でちゃんとやる。


ただこれからの人生に関してや

僕が生きる上で大切と思うことは

別に親に何も言わずに黙って守り抜く。


悪いことをしてるわけでも

裏切ってるわけでもないんやから。


僕が大切にしてること、

将来にも関わってくる大事なことを

「別にどうでもいい」と言うんやから


僕もわざわざその話やその内容を

嫌な気持ちになると分かってて

必要以上に話しはしない。


むしろそこまで言われて

僕の大事なことについて

わざわざ必要以上に話す必要はないと

改めて思えた。


僕は、自分と価値観や考えが

違う部分でも親に歩み寄ろうと

何回かは努力したし、


僕が我慢したり譲って済む部分は

これまで幾度となくそうしてきた。


暴力がある歪んだ家庭にずっといたし。


でも、親はそうではないんやな(;ω;)


前に比べて、自分がするべきことを

ちゃんとすれば心の中では

将来のことや自分にとって大事なことを

考えててもそれに向けて動いてもいい


という考えをするようにしてるから

そこまであれこれは思わないけど

それでも悲しい気持ちにはなる。


★★


昨日の蛍光灯の交換、ほんま疲れたな;





古い家やし、色々大変な部分も
あるのは仕方ないけど、
なるべく蛍光灯の交換の期間を
長くするためにも夜ふかしは
避けようと本気で思う。苦笑