浜松観光後半です。
①浜松城に。
遠江の経路拠点として引間城(元城町東照宮)が手狭であったことから家康は西南の丘陵地に大規模な築城を行い1570年に入城。その際に引間を浜松に改名したそうです。現在残っている遺構は天守曲輪を中心とする一帯で荒く組まれた野面積みの石垣は、ほぼ戦国時代そのままの姿で残っています。
現在の天守は昭和33年、天守門は平成26年に建てられたものです。
天守から降りてくると、⑫家康鎧掛松があります。三方ヶ原の戦いに負けて逃げ帰った際にこの松に鎧を脱いでこの松に掛けたといわれてます。因みに今の松は3代目で初代の松は別の所にあったそうです。
⑪浜松城出丸跡が中央図書館辺りにあったそうですが、現在は跡形もなく「浜松城出丸跡」の標柱があるだけでしたので割愛します。
⑨五社神社・諏訪神社
五社神社は浜松城内に祀られていたが、秀忠の産土神(生まれた土地を守護する神)として家康の命で現在の地に移動。また諏訪神社は家光の命で現在の地に移動。理由はパンフレットにでてないのでわかりません。
⑧金山神社
金山彦命・金山姫命を祀り、鍛冶職人や金工しょくにん、鋳物屋の篤信を集めてるそうです。
浜松の鍛冶集団は1580年に信長、家康連合軍が武田氏を滅亡させたことを契機に甲斐の国から技術者を移住させたのが起源とか。この鍛冶集団が当地に勧進したのが金山神社で、もとは浜松城内にあったが1624年頃に城下の鍛冶町の形成と同時に現地に移ったそうです。
こちらは御朱印なしでした。
⑦松尾神社 708〜715年頃に建造らしいです。もとは引間城下にあった浜松神社を1557年に浜松城構築と合わせ松尾社と合祀し現地に移ったそうです。
家康の散歩道「場内・城下ルート」終了です。
繁華街に移動。
道路の両脇に御殿屋台がたくさん停まっており、傍らでは半被を着た人達が酒を飲んでます。
浜松まつりって、市民でも期間中は避難するほど嫌ってる方もいるそうです。理由は酔っ払いが煩いとか、御殿屋台が道路通行許可時間を過ぎても練り歩いてるとかイロイロとあるみたいです。ワタシのような観光客は賑やかで楽しいそうと思ってしまいますが、地元ならではの問題もあるんでしょうね。
浜松では山車の事を御殿屋台って言うんですね。確かに豪華な造りしてました。
静岡編に続く。